四国遍路 番外編 マイナス1日目 遍路再開 でも車で・・

 いよいよ遍路を再開します

 足摺岬で痛めた足の腫れは10日ほどで良くなり、今は毎朝12kmほどのウォーキングをこなしています。遍路再開にあたっては、8月末までの期限(9月からは次の仕事、というかボランティアが始まる)を前提にすると、行けるところまで歩きで行って、残りは仕事の合間を見て、とするか結願を優先して車遍路に切り換えるか、の判断でした。

 私の四国遍路の目的は長年の趣味であるウォーキングの集大成と40年以上務めた仕事をリタイアして次の人生をスタートさせる区切り、の2点でした。ウォーキングの集大成としては中途半端になりますが、私の今のウォーキングポテンシャルは10kg以上の荷を背負い、1日30km以上歩くのであれば10日が限界と見極めた、と納得させ、区切りとしての結願を優先し、車遍路での再開に決めました。

 このブログについては一番の読者である家族も再開を希望しているので続けますが、車遍路で「ウォーキング日記」もないだろうと一応「番外編」とします。車遍路では結局宿と札所の「点」で四国と接点を持つことになり、歩きの「線」での繋がりとは当然情報量が異なります。どんなブログとなるか私にも判りませんができるだけ魅力ある記事としていきたいと思います。

四国高知三原村へ

 いつものように午前1時過ぎに起きて、荷物の再確認を行い、午前3時前には家を出発しました。まだ深夜といってよい時間帯ですから高速もすいていて順調に進みました。2時間に1回、トイレ休憩と合わせて顔を洗い、居眠り運転とならないように気を付けながらのドライブです。

 午前7時には多賀のサービスエリアまで来ることができましたので、そこの吉野家で納豆付きの朝食を頂きました。

多賀のサービスエリア。名神では一番大きなサービスエリアなのではないでしょうか

吉野家特朝定食。野菜が無いのが難点

 岐阜や愛知は所々で強い雨が降っています。この雨が神戸あたりからまた強く降ってきました。淡路大橋は完全に雨に煙っています。淡路のサービスエリアでトイレ休憩としましたが、この時が一番雨が強く、天気が良ければ淡路大橋が眺められる展望台も真っ白です。シンボルの大観覧車も営業はしていましたが、お客はほとんどいません。

淡路サービスエリアの大観覧車。天気が良ければ楽しいでしょうが・・

 10時半ごろには四国に上陸しました。四国遍路を車でやるとは思っていなかったのであまり予備知識がなかったのですが、四国の高速道路もかなり整備されて来ていて、てっきり四国山地を横切るのは一般道だと思い込んでいましたが、高知の四万十町まで高速が繋がっていました。

 四万十町からは国道56号で、この道は20日ほど前に歩いて通った道です。見覚えのある景色もあり、懐かしかったのですが、歩きだと2日も3日もかかるところを車だとほんの1~2時間で到達します。車の便利さを改めて実感しましたが、歩きはその分じっくりと四国の土地を眺め、関りを持つことができます。

 昼時に高速の終点すぐのところにある「道の駅あぐり窪川」に」寄りました。ここは37番岩本寺に向かう途中、ヘロヘロになりながらアイスで一息つけた場所です。レストランもあるようなのでお昼にしようとしたのですが、レストランは「都合により閉店します」の案内が。物販所におにぎりの看板があるので行ってみましたが、おにぎりコーナーが営業している形跡はなく、お昼になりそうなものも見当たりません。やむなく国道56号を走っていくと、岩本寺から民宿たかはまに向かう途中にお昼をとった「道の駅なぶら土佐佐賀」がありました。ここのレストランは充実していた記憶がありますので迷わず入店。午後の1時半過ぎでしたがレストランも7割程度の入りでした。夕食までの時間が短いのと、なにせ今日は歩いていませんから軽くきつねうどんを頂きました。

道の駅なぶら土佐佐賀のきつねうどん。揚げががんもかと思うくらい分厚い

 道の駅のうどんですからあまり期待していませんでしたが、おいしいうどんでした。またこの道の駅ではカツオの藁焼きパフォーマンスもやっていました。

カツオの藁焼き実演。なかなか迫力があります

三原村に向かう途中、予定より早く着きそうだったことと、明日には愛媛にに抜ける予定で高知のお土産を買うのは今日しかない、ということで、中村駅そばの物産館に寄り、前回お土産として好評だった馬路村のゆずドリンクと四万十のあおさを購入しました。車だと重いお土産も躊躇なく購入できるところも利点です。

今日の宿 民宿森本〇

 4時頃到着として予約していましたが30分ほど早く着きそうだったので連絡すると、用意できていますのでどうぞ、とのお言葉。すぐ向かいました。

民宿森本〇の外観。農家民宿としてどぶろくづくりも行っています。

庭には日本ミツバチの巣箱が3つ据えられています。

 今日の宿泊客は私一人。先回キャンセルした時は森本の奥さんによればかえって良かった、との事。話を聞くとその前日の宿泊客が微熱で検査したところコロナ陽性判定だった、とのことです。今は稲刈りの時期で、この日も稲刈りを家族で行い、概ね終わった、との話でした。これから新米を使ったどぶろくづくりも始まるそうです。

夕食は別棟の食堂でいただきます。

食事だけの提供もあるとの事です。

野菜、山菜中心の前菜。どれもおいしかった

鮎は四万十の鮎。頭から頂きました

地元の川でとれた手長エビときゅうりの炒め煮。絶品でした

 お酒はもちろん森本〇さん特製のどぶろく「桂」。アルコール度数が16度とやや高めの辛口。上澄み部分も頂きましたが濁り酒と味も異なりおいしくいただけました。

 お米も土鍋で炊いたとかで歩き遍路で来たなら間違いなく2,3杯おかわりしたと思うおいしさでした。

四国遍路20日目 まさかのドクターストップが!

民宿田村の朝 足首の腫れの対応に悩む

 昨日よりかかとを氷で冷やし、その部分は幾分痛みが和らいできましたが、見ると足首がかなり腫れています。

 夜が明けてから宿周辺を少し歩いてみました。痛みは昨日より改善していますが、足首の腫れで、歩き辛さがあります。

 どうもくるぶしの下にできた水泡の破れから細菌が侵入したようです。まめや水泡でこんなに腫れることは初めての経験で、今日は歩きを断念し、バスで民宿くももに戻り、くもも近くの医療機関を受診する、という計画を立てました。民宿くももの女将にガイドブック地図に掲載されている、近所の診療所と医院は予約が必要だろうか、と電話すると「両方ともとっくに閉まっている。この辺では土佐清水市内の病院が一番近い」とのご返事。土佐清水までバスで移動し診察を受け、民宿くももにもバスで行くという方法しかなさそうです。民宿田村のご主人と奥さんに訳を話してバスの時刻表を確認してもらおうとしたのですが、ご主人より「土佐清水には行く用事があるから送っていくよ。でもこちらの病院はあらかじめ連絡しないと診れる先生が居ない、ということが良くあるんだ。あらかじめ電話しておいた方が良いよ」との有り難いお申し出とアドバイスが。

 ガイドブックでは病院の目の前にバス停がある足摺病院に狙いを定め、連絡しました。歩き遍路をしていて水泡の処理が良くなかったのか足が腫れてしまった。診てもらえるだろうか、と話すと、県外の方なのでコロナ抗原検査を行って陰性が確認されれば診察はできる、とのお話でした。ご主人にその状況を話し、ご主人が出かける時間まで待機となりました。

 順不同で申し訳ない 民宿田村の朝食&お接待のお弁当袋

 民宿田村の朝食は7時にとりました。

 シンプルですがおいしい朝食です。今日は歩かないのでご飯は一膳だけ(遍路の最中は2膳)です。

 後ろの青い巾着袋が、宿のおばあちゃんが手作りしているお弁当が入った巾着袋です。全ての宿泊者にお接待しているのですから、すごいです。

足摺病院にて

 9時半頃宿をご主人の車で出発。20分ほどで足摺病院に着きました。ご主人に心からお礼を言って病院に向かいます。

土佐清水市の足摺病院

 遍路姿で病院の窓口を訪ねると、すでに窓口に連絡がいっていたようで、すぐ看護師さんが来てくれました。病院の横の別棟に案内され、椅子に座って待つように言われました。しばらく待つと、完全防備の看護士さんになって抗原検査をしてくれました。この病院の抗原検査は唾液ではなく鼻の中を綿棒で拭い、検査するものです。結果が出るまでの間、看護師さんは高知でもコロナ感染者が増え、病院の内部で感染者がでると大変なことになるのでご容赦ください、といった話をしてくれました。私もそうした事は十分理解できますし、今日は急いでいませんから、と返しました。その後「これに履き替えて」と使い捨てスリッパの立派なもの(ビジネスホテルの不織布スリッパをもっとしっかり作ったといった感じのもの)を持ってきました。

 診察棟に移り、足の洗浄、水泡の破れ具合を確認し、診察室に通されました。

 なんとドクターストップが

 ドクターは高知大医学部からの派遣ドクターでまだ若い方でした。いろいろ問診を受け、水泡の破れ具合、足の腫れ具合などを確認したうえで「水泡の破れたところから細菌が侵入し腫れたものでしょう。このままもし遍路を続けると細菌が全身に回り、大変なことになるので一旦中止した方が良いでしょう。今日は傷口の処理と抗生物質の飲み薬、塗り薬を出します。明日長野に帰るのであれば長野のかかりつけ医にも見てもらってください」とのお言葉。私は「歩けるようになるにはどの程度期間がかかるものでしょう」と聞くと、「私の見立てでは2週間です。」

 1日2日休んで再開できるかも、という思惑は脆くも崩れ去りました。ケイちゃん(妻)に連絡し、ドクターストップがかかってしまったので一旦うちに帰る旨伝えました。また明日予約していた民宿には訳を話し、キャンセル料は教えていただいた口座に振り込むと伝えると、そういうことならキャンセル料は結構です。また再開するときご利用ください、との有り難いお言葉。

 病院では今日明日と靴は履かない方が良い。そのスリッパは差し上げるのでそれをはいて帰ってください、とこれまたありがたいお言葉。薬を頂き、会計を済ませ、病院前のバス停からくももに向かいました。

民宿くももにて

昼過ぎに民宿くももに到着しました。宿の女将にこれまでの経過を話し、明朝長野に帰る旨伝えました。

 お昼は民宿田村のお接待弁当です。

民宿田村のお接待弁当

 おにぎりは青じそを下に巻いてあります。とてもやさしい味のおにぎりでした。

着替えやレインコートなどまとめて宅急便で先に送り返し、軽くなったザックで帰ります。

 

このブログについて

 私の四国遍路編はこれで2度目の中断となります。最初の中断ではその中断期間中の対応や遍路への対策も書きたかったので「中断日記」という形で不定期掲載しましたが、今回は2週間というとお盆になるので、再開は早くても8月17日となります。そうすると8月中の結願は難しく、対応の検討が必要です。

 このブログは一旦お休みし、対応が決まったらお知らせします。

 

四国遍路 19日目 いよいよ金剛福寺 でもその前に遍路小屋について考えてしまった

 民宿くももの朝

 いつもの通り、早く寝た事(午後7時半頃)、いつもの習慣で朝(というより夜中)の1時過ぎに目が覚めてしましました。昨夜ほとんど書くことができなかったブログを仕上げ、時計を見るとまだ3時半。もう少し寝ようと布団に横になりました。

 次に目覚めたのが4時半。そろそろ太陽が昇る時刻です。この間高知で海岸沿いの宿を取った時に水平線から登る朝日を拝みたいと思っていました。

4時50分頃の民宿くももから見た東の空。雲がかかっています

 少しの時間PC操作をしていると窓に光を感じました。

民宿くももからの朝日。水平線からでないのが残念

 実は明日も38番から39番に行く途中この宿でもう一泊することにしています。その時拝めれば、と切に願います。この時を逃すと水平線からの朝日は絶望です。朝食時、Oさんと今日のコース、明日以降のコースと宿泊場所の検討を行いました。その事と、朝食に納豆が出て、狂喜乱舞の挙句すぐ箸をつけたため、四回連続で朝食写真がありません。

 Oさんによれば今日のコースの注意点は半島の真ん中を通る国道に出ない事。そのためには海側、海側とコースを取ること。明日以降はくももをでたら昨日下見した三原村への道を間違えない事。新しい道を行っても時間ばかりがかかるはず。

三原村の宿から39番延光寺までは10km前後。25km歩くつもりならさらに愛媛の愛南町まで行けるのではないか。そうすれば40番観自在寺も翌日参拝できる、といった計画でした。参考にさせてもらうとしてルートの検討(どの道を行くのか)も行いました。

 いよいよ、この3日間の最終目的地、金剛福寺 

 Oさんは今日の午後2時台のバスに乗り、今日中には栃木に戻っていなければならない、として7時にでかけました。私も足のご機嫌を伺いながら、ですから7時半には出発しました。今日のコースは22km。この間、連日30km以上歩いていますから、足を休めるために短めとしました。それでも特に右足のご機嫌は斜めで、今まで痛くなかったかかとの接地面、足首なども痛みます。だましだまし歩いているとそのうちにテンポも上がってきました。

7時半頃の東の空。今日も暑くなる予報です 

 はじめは時速4kmほど、そのうちに4.5kmほどとなってきました。

 大岐の浜を歩く

「大岐の浜」は遊歩道を歩きます。

大岐の浜の全景。観光客、海水浴、キャンプの人が居ます。

 皆さん水着や短パンの避暑地ルックの中に暑苦しい格好のお遍路が闖入します。怪しまれてはいけない、といつも以上に大きな声で挨拶しました。海岸には遊歩道が見当たりません。海水浴の家族連れに「ここに遊歩道があると聞いたのですが」と聞くと「その階段を登って裏手に行けばありますよ」とのご返事。お礼を言って階段に向かいます。確かにありました。

入野松原と違い、雑木林の中を進む遊歩道です

 砂利ですが、歩きやすく、何より直射日光に当たらないので快調に進んでいきます。ただ執拗に私の周りを飛び回る虫がいて、一度肩を刺されました。私はぶよやアブに刺されると自分でもあきれるほど腫れ上がるのですが刺し痕は蚊のような感じで大事には至りませんでした。それでも薬を塗り、様子を見ました。

 この遊歩道は砂利から落ち葉が積もる山道のような道になりました。

落ち葉積もる道は足にはやさしい

 とても海岸沿いの遊歩道とは思えません。山の中を歩いている気分です。先ほどの虫も私の何が気に入ったのか引き続きまとわりついてきます。

 遊歩道が終わり、また舗装道路を進みます。

概ね8kmの地点に休憩所がありました。Oさんがその休憩所から出ていくのが遠目に見えます。Oさんもここで休んだようです。私も靴を脱ぎ一休み。

 再び歩き出すと、お遍路の案内板が海岸方向を指します。その案内に従っていくと

藪で道が途切れ砂利の海岸を歩くことになりました

 さらにこの道は

険しい山道のような所を登らせます

 なにせ足場が悪いですから、ご機嫌のよくない右足が悲鳴をあげます。この山道の途中には1m近くはあろうかと見える黒い蛇が。近づいても動きません。しかたなく金剛杖で地面をトントンするとやっと藪の中に姿を消しました。

 ようやく舗装道路に出ることができました。

舗装道路は足にやさしい

 舗装道路を歩いていくと、また下に降りる遍路道の案内が。先ほどで懲りていますから、無視し、断然舗装路を行きます。この間海岸を歩かされて以降、人家が見えません。行きかう車も1,2台。少し心配になりながらさらに進むと、ようやく人家が見えはじめ漁港(窪津漁港)に着きました。自動販売機があり、休憩所もあります。予定ではさらに先のへんろ小屋でお昼の予定でしたが11時でしたから宿のお接待でいただいたお弁当を食べることにします。

漁港の休憩所 風も通り、休むには最適でした

宿のお接待のお弁当。おにぎりの具はたくあんと梅干。乳酸飲料もあります

 

 この休憩所はガイドブックには載っていません。裏は漁協ですから漁港の設置した休憩所かもしれません。
 お昼を食べ、足のケアをし、歩きを再開します。

 海岸沿いを歩く、といっても、谷を迂回したり、山尾根の先端(鼻)のアップダウンがあったり、と平坦な道ではありません。でも人家もあり、車も行きかいます。

 遍路小屋でお遍路について考えてしまった

 昼食を食べる予定であった遍路小屋が見えてきました。

 

足摺のへんろ小屋

 地域の行政などしかるべきところが設置したのではななく、個人が設置したように見えます。建物の中には古い自転車に菅笠、茶色くなった白衣が投げ出すようにありました。人影は無く、この自転車遍路は裏の家(そこで泊まれるようになっているよう)にいるのでしょうか。

 個人の運営する遍路小屋でも管理のしっかりした施設はあると聞きます。この遍路小屋はそうした管理を忘れ去った様な危険な感じがありました。小屋の前の椅子に腰かけ休んではみましたが、居心地の悪さからすぐ立ち去りました。

 遍路小屋も地域の人らの善意による設置でしょうし、野宿中心に回るお遍路さんにとってはありがたい存在なんだと思います。でも設置した人が高齢等の理由で管理できない状況になるとそのへんろ小屋はどうなるのでしょうか。

 遍路はだれでも行え、だれも拒否されません。遍路のサポートも多くあります。このこと自体は素晴らしいのですが、最低限の管理が行われなくなった時、地域の人にとってその施設はどう見えるのでしょうか。

 また機会があったらベテランの遍路さんに聞いてみたいと思いました。

 

いよいよ金剛福寺

 

あと1kmの案内です

 遠くにタワーと鉄塔が見えたのであそこが足摺だ、と見当をつけたのですが、近づくと山しか見えません。それでも駐車場が見え、ようやく到着です。

金剛福寺の山門

 これまでの札所では山門を入ってから長い坂や石段を登らされた経験が多々あるため心配していましたが、比較的フラットな境内で胸を撫でおろしました。お参りと納経を済ませ、今夜の宿民宿田村に向かいます。寺からは1kmほどでショッピングセンターの裏と記憶していましたから、ショッピングセンターを探します。ショッピングセンターとは大仰な名前を付けたものだ、と思わせる少し大き目の個人商店があり、その裏手に登って行きますが看板も見当たりません。山手にどんどん登りますがありません。すると酒屋の御用聞き(のように見える)バイクの若者が「道に迷っているん」と聞いてきます。これ幸いに「民宿田村を探している」と答えると、場所を丁寧に説明してくれました。

 民宿田村の夕食はおいしかった

 民宿田村に到着です。

民宿 田村 看板を撮りたかったのでこんなアングルになってしまいました

 宿について早々、特に痛む右足かかとを冷やしたいからと近所に冷シップを売っている店がないか聞いたところ、無い様でシャワーの水で冷やし、氷嚢で冷やしたらとアドバイスされ、実施しました。くるぶしあたりにも新たな水泡がありこの処置も行いました。

 夕食の案内がありました。

民宿田村の夕食 刺身、たたき、焼き魚、天ぷら、何より椀物の炊き合わせがおいしい

 この宿は食事と宿のおばあちゃんがご接待で作っている古い着物を使った巾着袋に入ったお弁当が有名です。巾着袋についてはおもてなしに関する賞も頂いています。

 食事を作っているのはご主人との事で、転勤族で各地で暮らしたのでおいしいものを知っている、との奥さんの話でした。

 お味噌汁も

岩ノリでしょうか これもおいしい味噌汁です

 ビールと焼酎できれいに平らげました。

明日はくももに戻ります。絶対舗装道路以外は歩かない、と決意しています。

 

本日の歩行距離  23.03km(ガーミン駆動時)

本日の歩数    46,247歩(歩数計アプリによる)

 

 

四国遍路 18日目 38番金剛福寺への86kmを歩く その2

 民宿たかはまを出発 

 民宿たかはまで朝食語、6時30分過ぎに出発しました。朝食写真は撮るのを忘れました。どうも同宿者がいる時はお話に夢中になり、写真を撮るのを忘れる傾向にあります。

 同宿の栃木のOさんと納札で改めて挨拶したのですが、Oさんは緑の納札(つまり5回以上)で、昨日5回目、と書いていましたが、6回目でした。

 Oさん曰く、遍路はそれぞれの歩くテンポが違うので一緒に歩くのは難しい。宿でまた再会するとして、それぞれのペースで歩きましょう、との事で別々の出発です。

はるか彼方に足摺岬が、と思ったらさらにその奥でした

 今日は約32km先の民宿くももを目指して歩きます。

歩き始めて40分ほどのところにある無料休憩所で、野宿したと見られる若い男性がいました。挨拶すると、「先の情報を教えますよ」とのことで休憩所に行きました。髭が伸び、腕にタトゥーを入れた見るからに怪しげな人物でしたが、話してみると気さくで、この先の情報について教えてくれました。そうはいってもあまり長居をするべきではないと、早々に別れました。

 Oさん、そしてこの男性もこの先の道の駅から国道56号を逸れ、入野松原を進んだ方が良い、とのアドバイスでしたから、道の駅から入野松原に入りました。

入野松原の遊歩道 日差しを遮ってくれるだけで助かります

 入野松原は左手が砂浜で日曜日ですから朝でも多くのサーファーが居ました。

ただ遊歩道そのものは行きかう人が少なく、約2kmの遊歩道ですれ違ってあいさつしたのは5人でした。休憩所が見えました。ここで1回目の休憩です。

入野松原西はずれの休憩所

 この休憩所は公設で、この一帯の公園に遊びに来る人のトイレ、シャワーなども使える施設です。休憩所には遅れて宿を出たOさんが先着していました。やはり遍路それぞれの歩くテンポは違います。

 

四万十川を渡る

 この休憩所からはやや道が複雑になりますから、Oさんに先に行ってもらい、私がその姿を追いかけるようにしました。そのOさんも時々道に迷う姿があります。この辺りはあまり遍路シールや案内が無く、どちらに行ったら良いのか迷う分岐点でも案内がない事があります。この辺りで四万十川を越えるには四万十大橋しかなく(河口近くに渡し舟がありますがコロナで営業中止との事)その方向、また足摺方面の看板も参考にしながら歩きます。

 2回目の休憩を予定していた四万十川そば、のローソンの休憩ベンチで2人並んで休憩です。11時前でしたがOさんがこの先の食事場所は川を渡って少し行った先にあるうどん屋だけで、やっているかわからない。ここでお昼にした方が良いとのアドバイスでしたから、アイスだけを買っていた私は再び店内に入りおにぎりを買いました。

 おにぎりを食べ、足のケアを行いました。休憩中は2人で足のケア談議に花が咲きました。また、この先6kmを越えたところにある伊豆田トンネルは1600m以上と長いのでトンネルの前で国道を逸れ、遍路道を行った方が良い、とのOさんの意見でしたが、私は今の足の状況ではトンネルしか選択できない、とヘッドライトを着用して出発しました。

 出発してすぐ四万十川大橋です。

四万十川の水面。河口そばですから驚くほどの清流、とはいきません

 四万十川の川幅はこの辺りで1kmほどでしょうか。うわさに聞く四万十川の清流はもっと川上でないと見れないのでしょう。そうはいってもきれいな川です。

トンネルを越える

トンネルに向かっては登りになります。日差しも強く、大汗をかきながら登ります。5kmでペットボトル1本空になるほど水分も摂りました。道の右側の広くなった部分に車を停め、日陰で煙草を吸っていた男性がいたので挨拶をしました。男性はそのすぐ後私に声を掛けてきます。

お接待のオロナミンC。のどが渇いていたのですぐ飲んでしまい空瓶です

 男性からの栄養ドリンクのお接待は2回目です。ありがたくいただき納札を渡しました。お接待の時の納札は辞退される方も多いのですが、「本当にありがとうございます。〇〇から来た〇〇です」と名刺交換のように渡すと抵抗なく受け取ってもらえました。この男性はしばらくして私を車で追い越しながら「がんばれよ」と声もかけてくれました。

伊豆田トンネル。歩道がしっかりあります。ヘッドライトオン。マスク着用

トンネルに近づきました。見ると出口の明かりが見えます。1600m以上と聞いていましたが案外短いかも、と思いましたがしっかり1620mありました。

トンネルの中。出口はすぐそこに見えますが、ここで約1,000m先にあります

  長いトンネルの場合、トンネル内部の排水のため斜度をつけたり真ん中を高くして、入り口から出口が見えないのが普通です。このトンネルは何かの理由で直線的に掘られたようです。それでも道は平坦ですし、涼しいですから応えられません。最後まで迷っていたOさんもトンネルを選択したようで、後からついてきます。

 今日の宿へ

 トンネルを抜けてしばらく行ったところにある休憩所で休憩します。右足のかかと部分に鈍い痛みがあったので靴下を脱いでみると水泡がありました。すぐ処置をしてOさんと再び足のケアについて話の花が咲きました。

 宿に向かう途中に3日後、39番延光寺に向かうために泊まる三原村への入り口が判りづらいからあらかじめ確認しておこう、とのOさんの提案で国道を逸れ遍路道を進みます。途中何か所か川で遊ぶ子どもの姿がありました。

この辺の子は海が近いのに川でよく遊んでいます

 三原村への入り口を確認し、宿に向かいます。その途中、私たちを追い越した軽自動車が停まり女性が下りてきました。その両手にはカルピスウォーターです。

お接待のカルピスウォーター。宿まで持ち帰り冷蔵庫で冷やしてもらいました

 1日に2人の一般の方からお接待を頂くのは初めてです。宿でおいしくいただきました。

 宿まで後3kmのあたりから疲れで足の進みが遅くなります。何とか踏ん張りながら宿に到着しました。

民宿くもも すぐ前が海です

 変わった名の民宿と思っていましたが地名でした。宿についてまずOさんがお風呂、私が洗濯と優先順位を決め、足のケアも終わったころ食事の案内がありました。

向きが変ですみません。「くもも」の夕食です

今日は殊の外ビールがおいしく大瓶をすぐ飲み干し、焼酎も頂きました。

 

 本日の歩行距離  32.80km (ガーミン駆動時)

 本日の歩数    63,797歩 (歩数計アプリによる)

 

四国遍路 18日目 38番金剛福寺への86kmを歩く その1

岩本寺での朝のお勤めに参加する

 宿坊宿泊者はだれでもお寺の朝のお勤めに参加することができる、ということです。(やっていないお寺もあるようですが)

 めったにない経験なので同宿3名で参加しました。

岩本寺の本堂

 朝の6時から始めるとの事でしたから10分前からスタンバイしていました。一応正式なおまいりとなりますから持っていれば白衣、輪袈裟、数珠、経本を持って参加します。

本堂の内部。写っているのは同宿の二人

 正式な参拝スタイルでなくても全然OK。右の神戸の人は遍路装束を持たずに回っているとの事です。

 お勤めが正座だったらどうしようと危惧していましたが、椅子でした。

本堂の天井画 はじめは気づきませんでしたが同郷の同宿者が気づき教えてくれました

この天井画は名のある絵師の手による、というよりアマチュアの絵描きが複数人で書き上げた、といった印象の絵でした。やや稚拙なところもありましたが、これだけ揃うと見事です。

 和尚様のお勤めが始まりました。最初は焼香だけですが、その後「岩本寺勤行次第」との小冊子に従い、皆で声を揃えてお勤めを行います。「開経偈」から始まり「懺悔文」と続きます。途中からは、経文を3回、ご真言は7回繰り返します。一番声をそろえたかったのは般若心経の部分ですが、ここは太鼓を打ち鳴らしながらの読経となり、リズムなどあまり理解できませんでした。本尊のご真言は遍路では3回、となっていますが、お寺では7回繰り返します。知りませんでした。

 お勤めの前、赤の納札の同郷お遍路に、納経帳を見せてもらいました。

繰り返し納経して真っ赤になった納経帳

 お勤めが終わり、朝食後出発します。(朝食写真は撮り忘れました)

 

38番金剛福寺

 38番金剛福寺まで86km。実際には90km近くあると思います。この行程を3日かけて歩きます。札所間の距離としては四国遍路の中で最長、丸二日は移動のみですから、頭陀袋もザックに仕舞います。

 宿をでて最初のコンビニで水とフローズンのペット飲料を購入、歩き始めます。

最初はゆるい登りです。足のご機嫌は悪くなく、ある程度の速度であれば耐えてくれそうです。

ゆるい登りの国道56号。写っていませんが気温は28度の表示です

 約5㎞で登りの頂上です。峠名は表示ありませんでした。(後で確認したら片坂峠というらしい)ここから標高で約300m下ります。

 今日は国道56号をひたすら歩くつもりです。

時々ある遍路道への誘い

 遍路道の先を見ると、立派な山道です。下りとはいえ、万全ではない足への負担は舗装道路以上ですから、無視して国道を進みます。ですが休憩に適した場所がありません。そろそろ休憩を必要とする8kmになりますが日陰で、靴が脱げて、安全で交通の妨げにならない、といった場所が見当たらず、以前は使っていて今は使っていないと思われる国道への合流道路の斜面を使わせてもらい、休憩しました。 

 休憩後山すそを通り抜けると人家があり、自動車販売店の上には屋根付きの休憩所がありました。すこしガックリしながら歩いていくと

民家の軒先を利用したお遍路さん向け休憩所

 「お遍路さん、お休みください」の看板と、さらに中から「どうぞお寄りください」との声もかけられ、先ほど休んでから何ほどもたっていませんが寄らせてもらいました。70代くらいの男性が日よけの裏にある冷蔵庫を開け、「お好きなだけどうぞ」との事。冷蔵庫の中にはペット飲料やチョコが入っていました。持ってきているフローズン飲料にはまだ手を付けていませんが、手元のペット飲料は残りわずかとなっていたためお茶とキットカットを1つ頂きました。

 少しお話しすると、やはり夏のこの時期は歩き遍路をする方が少なく1日で一人いるかどうか、という日もあるとの事。実は昨日の岩本寺到着前お会いした歩き遍路の方と会い、今日の宿が一緒でしたので、そのことをお話しすると、「そういえば1時間ほど前に休んでいった人がそんなことを言っていたな」との事。単調な道では話し相手がいるとまぎれますが、1時間の差があると同行は無理。宿でお会いすることを楽しみに歩くことにします。

 単調な国道をひたすら歩きます。また8kmの休憩目安が近づいてきました。

お昼時に見つけたたこ焼きのお店

 お昼にたこ焼きも悪くない、と勇んでいきましたが「休業」の貼り札。やむなく店の前のバス停のようなベンチで休むことにしました。

 足の調子を伺うと、少し痛みのでていた右のかかとに水泡ができていました。処置をし、他のところもばんそうこうやテーピングを貼り替え、お昼を食べられるところを探します。休憩中に見たガイドブックの地図では、黒潮町佐賀の手前にローソンがありました。ローソンでいいか、と歩いていきました。

 ローソンの看板が遠くに見えました。併せて道の駅の案内看板も。ローソンと道の駅がほぼ並んでありました。コンビニ飯よりちゃんとしたごはんの方が魅力的なので道の駅へ直行。

かつおのたたきとシラス丼

 高知では何度もカツオのたたきを食べていますが、やはり地の物。はずれがありません。

 道の駅を過ぎてしばらく行くと遠くに海が見えました。

あまりはっきりと写っていませんが海です

 トンネルを通り、さらにはっきりと海が見えました。

きれいな海です

 きれいな砂浜です。土曜日にもかかわらず人影が見えないのは遊泳禁止か何かでしょうか。

 さらにその先には公園もありました。

整備された良い公園ですが人っ子一人いません

 土曜日なのに何で?と疑問に思いました。暑さのせいでしょうか、コロナのせい?

もったいないと思います。

 この公園を過ぎたところにあった休憩所で本日3回目(昼食と無料休憩所をあわせると5回目)の休憩です。飲み水が残り少なくなり、国道沿いだから自販機くらいあるだろうと高をくくっていたらこれが無く、この休憩所では水をちびちび飲みながらの休憩です。休憩後100mも歩かないところで隠れるように置かれている自販機を発見。残りの水を一気に飲み干し、自販機で2本購入、一本はその場で飲み干しました。

 午後4時過ぎ本日の宿民宿たかはまに到着。入り口で声をかけると宿の人がだれかに「来たみたいですよ」と声を掛けているのが聞こえました。昨日お会いした歩き遍路の方がやはり先着していました。風呂、洗濯、足のケアをして夕食です。

今日の夕食はタイ料理。めずらしい 

 この宿はタイ料理のお店も併設していて、宿泊客もタイ料理からチョイスします。また土用丑の日でもありましたからウナギもありました。

 同宿となった歩き遍路の方と話しながらの夕食です。栃木の方で、今回5回目ということですが最初の頃は自転車で回ったそうです。焼山寺への遍路ころがしも自転車を担いで登ったそうで、驚くと「若いころの話ですよ」と淡々としたものでした。いろいろお話しましたが、私の最大の関心事は38番金剛福寺から39番延光寺までのルートについてです。「私が足が万全ではないので負担の少ない四万十市まで戻り、国道56号を行くルートを考えている」というと、あまり遍路が使わない道で、金剛福寺から一旦明日の宿(民宿くくもを予約済み)まで戻り、三原村で1泊、翌日延光寺へ行くのが判りやすいし負担も少ない、とのこと。詳しくは明日も同じ宿なのでそこで相談することにしました。この栃木の方は退職者ですが町内会の役員もしており、その仕事で金剛福寺の後はバスで戻られるとの事です。

 

本日の歩行距離 28.41km(ガーミン駆動時)

本日の歩数  56,470歩 (歩数計アプリによる)

 

 


 

四国遍路17日目 高知の難所 七子峠と初めての宿坊体験

 柳屋を後に

 柳屋の朝食は午前6時にお願いしました。

柳屋の朝食 豪華ではないですが気遣いが感じられる朝食です

 手前のかんきつは「小夏」です。時々道の駅や無人販売で見かけました。日向夏のように皮の白い部分も食べます。おいしいです。

 宿は午前7時に出発しました。

柳屋前のうっし~。女将の写真も撮りましたが公開しません

 出発時にはヘッドライトを装着しています。再開にあたり、一度送り返した荷の中で「必要」と判断し今回持ってきたものです。

 今日のコースはトンネルが幾つかあり、ほとんど歩道がない、とのことで安全重視で初めて装着しました。

 今日は土佐の難所の一つ七子峠を越え、37番岩本寺をお参りし、そのまま岩本寺の宿坊で泊まる、というコースです。

 

七子峠へ その1

 歩き始めると、足のご機嫌は悪くないようです。右小指は相変わらずべそをかいていますが、他の皆さんは痛みというより違和感といったレベルで、比較的快調に歩を進めます。そうはいっても慎重にならざるを得ず、時速5km弱のテンポで進みます。

 最初のトンネルがありました。

ヘッドランプをオン。マスクを装着します

 歩道のないトンネルですからできるだけ右端を歩くように心がけます。

またトンネル。同様にヘッドライトオン、マスク装着です

このコースで一番長いトンネル。1㎞弱あります。手前のボックスは安全たすきのボックスです

安全たすきでお接待を考える

 同じようなボックスは徳島にもありました。その時は交通量が少なかったのでお借りしませんでしたが、今回はお借りします。

トンネルを出ると

返却ボックス。ここでたすきを返します。

 ボックスの下には納札が何十枚も入っていました。先輩の遍路さんはこのタスキをお接待と捉えている証でもあります。

 ここでまたお接待について考えてしまいました。このたすきは個人というより行政が歩行者、特に遍路の安全のため設置したものでしょう。考え方として行政として当然のサービス、というのもありますが、このタスキのおかげで安全に通ることができました、と一般の方のお接待と同様、感謝の気持ちとして納札を入れるというのも判ります。ひとつカギとなるのはやはりお遍路は「よそ者」、ということなのではないでしょうか。その地に住んでいれば国であれ市町村であれ、当然の行政サービスとして受け入れるのが普通だと思いますが、遍路は四国全体を回りますから、例え四国在住であっても徳島の人は愛媛では「よそ者」です。「よそ者」として地域住民の方や行政にも、そのサービスについて感謝をする。その証としての納札なのではないか、と考えました。こうして考えるとお接待はかなり幅の広い概念なのではないか・・こうして整備された国道を歩けるのも国の「お接待」、休憩所で休めるのも地域住民の「お接待」。逆に遍路から見ればすべての自身に対するサービスが「お接待」として感謝の対象になる。つづめて言えば行政も含めたすべての自身が受けるサービスは感謝の対象になる、ということか・・

 「お接待」についてはまた触れることもあると思います。

七子峠へ その2

トンネルをいくつかぬけると道が下り、中土佐町になります。いよいよ七子峠へ登ります。ルートとしては昔からの遍路道である谷沿いに進み一気に峠へ登るコースと国道56号で山の尾根沿いに徐々に高度を上げ峠を抜けるコースがあります。重いザックを背負った立場では躊躇なく国道コースを選択しました。車が通る道ですから、ゆるい傾斜の上り坂が続きます。昨日の須崎への上り坂で嫌がった体も、今日は特に文句も無い様で息が上がることもありません。登坂車線のある所などではさすがに急な坂になりますが、全体としては楽に登れます。そうはいっても足のご機嫌伺で8km位で休憩しないといけません。七子峠への登りは人家もなく、自販機も無く、休憩できる場所も峠までありません。道路標識の下で何とか休める場所を見つけました。

リュックを降ろし、靴を脱ぎ、休憩中のうっし~

 この場所は峠まであと2kmの地点です。一気に峠まで行っても良い距離ですが前回の徳島での足の裏ズル剝けの反省として休憩までの距離はしっかり守る、がありますので窮屈な姿勢ではありますが10分ほど休みました。

 登りを再開するとほどなく

七子峠です

 峠を越えると、人家や自販機さえ無かった登りに比べ、下りでは

お店、それも複数。自販機もあります。トイレも

 あまりの違いに少し面喰いました。自販機で水分補給をして峠を降ります。途中で腹ごしらえのためうどん屋を見つけ入店しました。

うどん なかむらやの冷やしぶっかけうどんと天ぷら2品 620円

 考えてみれば高知で初めてのうどんです。外の看板には「セルフ」となっていましたが、うどんをカウンターで注文して受け取り、天ぷらなどは自分で皿にとって清算、水やコーヒーはセルフ、という店でした。ここでも靴を脱ぎ休憩しました。また明日の宿を予約しました。

 このあとは降るだけです。と言っても海岸より200m位高い場所ですから登ったほどは降りません。途中の畑でながのではあまり見かけない作物を大量に作っていました。

長い茎、長い葉、しょうがでしょうか

 確信が持てなかったので農作業中の方に「この作物はなんでしょうか、私の地元長野ではあまり見かけないので」と聞くとやはり「しょうがですよ。長野からの遍路ですか、頑張ってください」と農作業の邪魔をしたのに励まされてしまいました。

 この辺りから歩いている時、体が右に傾くようになってきました。腰と背中に痛みもあります。昨日さぼり癖がついてうまく動かなかった体が、今日は文句ひとつ言わず頑張ってきていましたがここで限界にきたようです。体を右に傾けながらよたよたと進みます。

 

37番 岩本寺 そして宿坊

 やっとの思いで岩本寺に到着です。これでいつものように長い階段でとどめをさされたらどうしようと恐れていましたが、街中にコンパクトにまとまった境内をもつお寺で助かりました。

岩本寺 門と山門

岩本寺宿坊

 ただザックを背負ったまま靴を脱ごうとしてバランスを崩し、玄関で転倒してしまいました。

 ザックを降ろすと背中はパンパンでした。

 部屋に荷物を置いて岩本寺のお参りを済ませました。その後すぐお風呂です。宿坊のお風呂は寮のお風呂のようで4~5人は湯船につかれる広さです。風呂上がりに洗濯をしながら、足のメンテと背中のメンテを行いました。ともに筋肉痛の薬を塗り、足は水泡のばんそうこうを取り替えます。水泡は今日の30kmでも休憩をしっかりとったせいか広がっておらず、胸をなでおろしました。

 食事の案内がありました。

岩本寺 宿坊の夕食 民宿と変わりません

 宿坊での食事でもお酒が頼めるのか恐る恐る聞いてみると、ビール、日本酒、焼酎ならありますよ、との有り難いお言葉。早速ビールと焼酎を頼みました。

 今日の同宿者は私を含め3名。一人は同じ長野県出身者で退職後から車での遍路を始め、もう20回目というベテランの遍路。70代半ばとのことですがとてもそうは見えません。もうお一人は神戸在住の50歳代。まだ現役ですからある程度の休みがとれた時に、区切り打ちとして車で来ている、とのことでした。

 遍路を始めて、宿で遍路同志で話をするのは高知で初めてです。ベテラン遍路から他の札所の情報を聞き、私は歩き遍路として体験したことを話しました。

 話をしてみて感じたのは、車の遍路と歩きではやはり見えるもの聞くものが違う、ということです。歩きはいろいろな経験ができますし、車では一日に何か所も回れます。どちらが良いとは一概に言えませんが、同郷のベテラン遍路さんが自分の家のお寺の住職(高野山真言宗だそうです)に一度は歩きをやってごらん、と言われていたそうです。

 明日の朝は6時から本堂でお勤めをご住職と一緒に行い、講話をお聞きします。楽しみです。

 

 本日の歩行距離  31.62km(ガーミン駆動時)

 本日の歩数   60,066歩 (歩数アプリによる)

 

 





 

四国遍路再開16日目 「海の遍路道」をいく。それも一人で

浦ノ内湾の朝

 今日は8時に青龍寺をお参りし、10時5分の巡航船(昨日は運行船と書きましたが巡航船が正しいようです)で浦ノ内湾の奥まで行き、須崎の柳屋旅館に宿泊する予定です。

 朝6時から宿の周辺を一回りして足のご機嫌伺をしました。昨日はべそをかいていた右小指もそれ程悪化していないようですし、その他の皆さんも痛くないと言えばウソになる、といった程度で今日の行程には問題がなさそうです。

漁港がありました。

宇佐漁港とありました。反対岸にも同じ名前の漁港があったような気がします

 海風が心地よく夏の暑さを忘れさせてくれます。宿に帰って朝食です。

納豆!!卵の黄身を納豆に、白身は味噌汁に、との我が家スタイル朝ごはん

 昨日、一人だけの宿泊者だから、とリクエストを聞かれ、即座に納豆をお願い、と言いました。高知の朝ごはんでは納豆が出てこないので、そろそろ禁断症状が現れてきた頃でした。感謝しおいしく、そしてきれいに平らげました。

 8時前に宿にザックを置いて青龍寺に向かい、帰りにピックアップする予定です。いろいろご配慮いただいた民宿汐風のご夫婦に感謝です

民宿汐風の外観

 

36番 青龍寺

 青龍寺まで宿から2kmほどと見込んでいました。するとお寺はあるにはあるのですが

境内に本堂も大師堂もありません

 境内の案内図を見ると今いる所の左にあるように読み取れたので、そちらに向かいますがそれらしいものはありません。これはおかしいと戻ってみると、たまたま車を出そうとした人(頭を見るとお坊さんかも)がいて、その方に「本堂はどちらですか」と聞くとその石段の上だよ、との答え。その石段は先ほども見たのですが石碑の案内では「奥の院」となっていたので違うと判断していたのです。石碑をよくよく見ると正面は「奥の院」と書かれていますがその指さす方向は左。石碑の横に「本堂」と書かれ指さす方向は正面、でした。勝手な思い違いではありますが、30分以上時間をロスしてしまい、急いで階段を登ります。

石段の上には山門が

山門の先には更に石段

 やっとの思いで石段を登り切り、お参りを済ませました。

宿にいったん戻りザックをピックアップして巡航船の乗り場に急ぎます。この乗り場は昨日偵察済みですから迷うことなく到着しました。

「海の遍路道

 この航路は陸でいえば10km以上の距離、浦ノ内湾奥深くに繋がっています。弘法大師もこの地の移動は船で行ったと伝えられており、この航路こそ本来の遍路道という人もいます。

 足のご機嫌があまりよろしくない私にとっては、その距離足を休めることができる、というのが理由の一つ。もう一つがお遍路のアクセントとして海の遍路道を体験してみたい、ということも理由となっています。

 この航路は日に3往復、須崎市の運営との事です。乗船時刻の10分前になってもだれも待合室に来ません。5分前に待ちきれず堤防から身を乗り出していると、乗員とみられる方が来て、「乗っていただいていいですよ」とのお言葉。早速乗り込んだのですが、その後だ~れも乗ってきません。結局私一人を乗客として出発しました。

巡航船の内部はこんな感じ

 定員は36名とのことです。途中6か所の乗り場に寄って乗客を乗せていくようですから、他の乗り場でだれか乗ってくるだろうと思っていました。

最初の乗り場 誰もいません

別の乗り場 やはりだ~れもいません

 結局すべての乗り場で私以外の乗降者0。そもそも今の時代1日3往復の船便なぞ需要があるのか考えてしまいました。ただ遍路には人気のようでシーズン中は乗客も多いようです。だったら遍路に特化した観光船の方が良いのに、などと現代の頭で海の遍路道について考えてしましました。

巡航船の外観

 下船後、今度は陸路で今日の宿柳屋旅館に向かいます。

宿のある須崎市内には標高差はあまりないですが一山超えていきます。トンネルもあるのでそれ程きついことはないのですが、昨日ザックを背負わないで遍路したためかなまけ心が芽生えた体が嫌がり、上り坂で何度も足を止めて息を整えます。

 やっと山を越えて、食事する場所を探しますがありません。やっと見つけたコンビニデイリーヤマザキ(のようですが)の看板に「お遍路さん休憩してください」とあり、店の横にベンチとテーブルもあるのでここでお昼としました。

おにぎりとコロッケ 飲み物は欲しますが食べ物はそれほどでもありません

須崎市には市街地と須崎湾をはさんで大きなセメント工場があります。何気なく道を曲がったら市街地へ行く道ではなくセメント工場を迂回する道で、ガックリしながら戻りました。今度はガイドブックの地図を手に持ち、間違えないように見比べながら歩きます。

須崎の町並みは瓦屋根がきれいで落ち着いた街並みです。遍路とは関係なしに訪れてみたいと思う町でした。

須崎の民家

柳屋旅館

柳屋旅館の外観 良い風情です

柳屋旅館は先輩の遍路ブログによく登場する宿です。今は母屋は民芸品の店、裏の2棟が一棟貸しの宿となっています。私が案内されたのは二棟の大きい方の建物で、1階にリビングダイニングキッチンとお風呂そして和室2部屋、2階が和室4部屋と、6~8人でも十分収容できる大きさです。そこに今日は一人。

私の泊まった棟のリビングダイニングキッチン

母屋との間の中庭 モミジがあり季節には良い風情と思われました。裏は平屋の別棟

柳屋の母屋は民芸品店となっています。

母屋の中 なかなか良い雰囲気です

こちらも母屋 私が泊まる別棟に繋がる通路です

夕食は私が泊まっている別棟のリビングダイニングキッチンでいただきます。

二の膳付きですよ。ごはんと果物だけだけど。天ぷらは白身かき揚げとのこと

 ビールとお酒を追加し食べ始めました。宿の奥さんに須崎の市内を見ると立派な家が多い印象だが、この辺りは何の産業が盛んだったのだろう、と問いかけると、宿場でもあり、商店も多く、自分が子どもの頃は北の方(愛媛との境方面)からバスで須崎に買い物に来て、うちに泊まり、翌日の朝一番のバスで帰るお客さんが結構いたとの事。交通の便が良く主に商業で栄えた町のようです。
 明日は岩本寺を目指す約30kmです。足の状態が万全ではありませんので、できるだけ早く出発したいと朝ごはんは6時にお願いしました。明日の宿はこの遍路で初めて宿坊が予約できました。ただ2食付きでお願いしたところ、食事の用意はできるかどうかわからない、と電話に出たおばあさん。だめなら諦めますが一応2食付きでお願いしますと念を押しました。

 

追伸

このブログの日記タイトルに「再開」の言葉を入れていましたが、やや煩雑になるので明日から「再開」の文字を取り、遍路実施の通算日数としていきます。

 

本日の歩行距離  22.08km ガーミン駆動中 巡航船移動は含まない

本日の歩数    44,525歩 歩数計アプリによる