四国遍路再開15日目 ザックを背負わない遍路は楽。でも・・・

 33番 雪蹊寺

 昨日、目の前まで来ていた雪蹊寺を朝食前にお参りします。

6時半前の境内に人が居ます

 境内には3~4人が歓談していました。私も皆さんに挨拶をしてお参りしようとすると聞こえてきたのはラジオ体操のメロディー。ご近所の皆さんがラジオ体操をするために集まってきているのです。

 まだ拙い私の般若心経はラジオ体操の音楽と混ざってとても奇妙なものになりました。納経の時刻まで少し時間があるな、と思っていたらラジオ体操参加者のおひとり(おじさんです)が話しかけてきました。寺や裏の神社の話、行き倒れ寸前から雪蹊寺の和尚に救われ、高僧となった山本何某の話など。また時間のある時にじっくり聞きたいお話ばかりでしたが納経時刻が迫っていましたのでそれを理由に別れました。このおじさんがお寺の通夜堂を見せてくれました。

通夜堂は寺が用意する無料のお遍路宿泊施設です

  通夜堂の存在は承知していましたが実物を見るのは初めてです。布団もないので基本はシュラフ持参の野宿遍路が使います。野宿よりよっぽど快適です。

高知屋さんの朝食 すべて食べきりました

 漬物の後ろの鉢はヤマトイモのとろろです。シラスもおいしいものでした。夕食の時は気づきませんでしたが、食堂の壁に錦の納札が沢山飾られていました。

錦札といっても同じものではありません。また紙ではなく布製もあります

 錦の納札は100回以上お遍路をした、いわば勲章ですからそれぞれこだわって作っているようです。

今日は遍路を始めてはじめてザックを背負わなくて良いお遍路です。

 歩く速度が速くなるかと思いきやあまり今までと変わりません。

足のご機嫌は右の小指がべそをかいていますが他は元気のようです。小指にはしばらく我慢してもらうことにします。2~3kmほど歩くと調子が出てきました。

 はじめは河口近くのためか流れの無い川でしたが進むにつれ登ってきたのでしょうか

沢に沿って進みます

 沢の流れも比較的早くなってきています。

34番 種間寺

 種間寺に到着です。距離は自動車道を進んできたため、本来の遍路道より長く、約7kmでした。

山門はありません。整備された境内でした

 お参りと納経を済ませ、門のそば、自販機の隣のベンチで休んでいると、車が停まり、中から男性が出てきて私の方に名刺を取り出しながら近づいてきます。何かの勧誘か?と身構えましたが、本日の宿民宿汐風のご主人でした。私のザックを高知屋さんに引き取りに行っての帰りだそうで、私を見かけたのでもしかしたら、と声をかけたとのことです。

 ザックのお礼をして今後の遍路について少し話しました。今日のコースはやはり次の清龍寺が一番の難所だそうで、神峯寺のように参道が長くはないが登りがきつい、とのこと。「あの重さのザックを背負ってだと厳しいと思うよ」との事でした。また清龍寺を降りて土佐市内で迷う遍路が多い。この辺はお遍路の案内板も少なく、できるだけお遍路道にこだわらず幹線を行った方が良い、とのアドバイスでした。また宇佐市へ向かう道では塚地坂トンネルを素直に言った方が良い、塚地峠を通る遍路道にはマムシがでるとの事。塚地峠マムシについては高知屋のご主人も、「マムシは空を飛んで襲ってくるから絶対に近づかないよう」とのご忠告も受けていました。マムシは人を襲うとき飛び上がってくるそうで、そんな剣呑な生き物にお近づきにはなりたくないのでトンネルを進むことにします。改めて民宿汐風のご主人にお礼を言って別れ、清龍寺に向かいます。道はほぼ平坦で、仁淀川を渡り、土佐市内に入ります。見えてきました

清龍寺のある山。中腹の建物が清龍寺だと思ったら違いました

 清龍寺の登り口前にあるタクシーの営業所にも「荷物預かります」との案内が。やはり相当厳しそうです。

 

35番 清龍寺

 

清龍寺 参道入り口

 この時点では先ほどの写真にある中腹の建物が清龍寺だと思っていたのでザックもないことだし、言われるほど厳しくないのではないか、と楽観していました。しかし、

清龍寺ではなく民家でした

 かなりの急坂を喘ぎ喘ぎ登ってきて、民家とわかった時には心が折れそうになりました。それでもザックを背負っていないので遍路ころがしや鶴龍に比べると足が進みます。

 自動車道に逸れて山門を発見

清龍寺山門 この山門を越えてさらに長い石段を上がると境内です

 清龍寺には何組か車でのお遍路さんのグループが参拝していました。一組に声を掛けると愛媛からのお遍路さんでした。

 お参りと納経を済ませ山を下ります。麓の民家に

遍路前なら何の思いもなかったことでしょうが

 2週間以上遍路を続けている身としてはウルウルするところがあります。本当に出会えたすべての人に感謝です。

 

今日の宿へ

 今日の宿民宿汐風さんに向かいます。時間があれば36番青龍寺を打ちたいところですが微妙です。午後1時半を過ぎていましたから目についたラーメン屋さんに入り、ラーメンはさすがに厳しい暑い陽気でしたから親子丼を注文しました。

また先に食べてしまった・・ ルックスより味は良かった

 店には何組かのお客さんがいましたが男性7人グループ、家族連れ、いずれも男性がビールを飲んでいます。平日の昼間ですが・・この辺が土佐の男の気風なのかもしれません。 

 この間話題になっていた塚地坂トンネルに向かいます。トンネルの少し手前に休憩所がありそこで一休みしました。この休憩所を右に行くと塚地峠への入り口になるようです。休憩所には私と同年配のお遍路さんが休んでいました。声を掛けましたが反応がありません。支度を見ると野宿をメインに回っているようで、反応がないので諦めて先を急ぎます。このころから右の小指以外に両足の親指付け根あたりも泣き出してきました。少し歩みを遅くして歩きます。

地塚坂トンネル もっと長いトンネル化と思いましたが800m程です

トンネルから少し下ると宇佐町です。漁とマリンスポーツが盛んなようで、行きかう男性は皆黒く焼けています。

 足がべそをかいたり泣いたりしていますから明日のコースは少し足を休ませたいとの思いもあって、宿近くから出ている運行船を利用しようと考えています。あらかじめ場所を確認しようと宿を通り過ぎ出発地点に向かいます。宿から2kmほど離れています。何かの水産会社の裏手に乗り場と待合所があり、本当にここでよいのか心配になりました。

 運行船の利用は高知屋さんでも汐風さんでも勧められました。弘法大師もこの地は船で渡ったとのことで、本来の遍路道として歩き遍路さんでも利用する人が多い、との事です。

 宿に向かっていく途中近くに来たら電話して、と汐風のご主人に言われたことを思い出し、電話しました。奥さんが出て、私も宿に行く途中だから乗せてってあげる、とのご提案。遍路道中での車の利用は躊躇しますがそうではないのでお言葉に甘えました。

 宿は内海に面した古民家を改装した民宿です。今日も宿泊は私一人とのこと。

風呂と洗濯をしながら足の様子を見てみました。両足の親指付け根に、まだ小さいですが水泡ができていました。処置をしてブログを書いていると食事の案内がありました。

豚の冷しゃぶがおいしかった

 ビールと焼酎もリクエストしていただきました。話し相手には奥さんがなってくれました。この家はご主人の両親が住んでいて、ご両親が介護施設入所などで空き家になり、ご主人が一人で遍路向けに始めた宿、だそうです。その頃は奥さんも仕事があり手伝えなかったので料理の提供はせず、コンビニ送迎をご主人がしていたのですが奥さんも退職し、歩き遍路さんは食事が大変だから、と食事の提供を始めたそうです。

 明日は青龍寺を7時前にお参りする予定だ、と話すと、今青龍寺の納経所は8時からしか開かない、とのこと。納経所を守っていた高齢の女性が辞められそうなったようです。遍路を回ってみてこの世界も高齢化とコロナでだいぶ変わっていっていることを改めて実感しています。

 

 本日の歩行距離   31.2km (ガーミン駆動時)

 本日の歩数    57,879歩 (歩数アプリによる)

四国遍路 再開14日目 雨の高知市遍路は足のご機嫌を伺いながら

雨降る中の出発

 今日は主に高知市内の5つの札所をめぐる計画です。各札所の距離を合算すると30kmを越え、またほぼ一日雨予報ですから雨宿りの時間ロスも見ると5時には出発したいと、前日きらくのママに朝食はいらない旨伝えてありました。

 朝食替わり、というより朝食までのつなぎのつもりで、昨日のお接待のお菓子を食べました。

 夜半から結構強い雨が降っており、出発時刻の天気が心配でしたが、小雨程度でしたので出発しました。

レインコート姿のうっし~。靴にガムテープも貼り付けました

 今日は今までのように55号線をひたすら歩く、といったコースではありませんからガイドブックの地図もビニール袋に入れレインコートの下に入れてあります。

雨の朝5時 まだ薄暗い

 29番国分寺まではガイドブックの地図によればかなり複雑なコースになっています。雨の中、ガイドブックの地図はなるべく広げたくないので道路の遍路案内を頼りに進みます。ただ、この遍路案内が曲者で、

目立つものばかりでなく、見落としたら大変です

 交差点では意識を集中して見落とさないようにします。ただそうすると足元の注意がおろそかになり、水たまりに足を突っ込んだりしてしまいました。また

こんなあぜ道のような所も歩きます

 田んぼのあぜ道も通ります。前から軽トラックが来て停まりました。私が道を譲ろうと少し広くなったところで道の脇にどいたのですが、その軽トラックもバックであぜ道と90度の空き地に車を入れようとしています。なにせ狭いあぜ道で片側が用水路ですから、何度も切り返しをしています。手招きしますが、運転している女性の方は笑顔で会釈を返すだけ。しかたなく近づくと、軽トラックを自分の畑の隣にある小さな空き地に停めようと四苦八苦していたのでした。横を通り過ぎる時、互いに笑顔で挨拶を交わしました。「雨だからお気をつけて」と声をかけていただきました。

 

29番 国分寺

国分寺山門 さすがに重厚感があります

 国分寺には6時40分頃に到着しました。境内に人影はありません。本堂の香炉には蓋がかけられていました。香炉の蓋を少しずらしお線香をたてお参りをします。

 7時に納経所で納経し、靴を脱いで休める場所がないか聞いたところ、少し困った表情。納経所の隣のお堂の階段で休めないかと尋ねると快諾いただけました。

 階段に座り、靴を脱いで足を休めました。水たまりに足を突っ込んだせいで少し湿気っており、よく足をもんでやりました。

 次の札所善楽寺までガイドブックの地図によれば2つのルートがあります。判りやすい方が良いだろうと幹線道路を長く歩くコースにしたのですが目印の県立歴史資料館を見つけられず、気づいたら別のコースでした。今日はほとんどお寺の参道を除きほとんど平地を歩くつもりでしたが

なぜか道は山に向かいます

  幸いなことにこの山道はそれほど急な坂ではなく、山裾に沿っているようでしたが途中からまた上り坂となり幹線道路に出ると

結局峠越え

30番善楽寺

峠を越えてじきに善楽寺の看板がありました。

善楽寺の門 

 山門が見つかりません。実はこの善楽寺の隣は土佐一之宮の土佐神社が鎮座しています。お寺と神社が表参道を共有しており、その表参道入口に山門がありました。ただ建物はお寺風ですがしめ縄が張ってあり、土佐神社の門との案内でしたので写真は撮りませんでした。

 お参りを済ませ、納経の際、係りの女性に納経所の前のベンチ(屋根があるところです)で休ませてもらえないか聞いたところ快く了解いただき、よろしければタオルもどうぞと渡してくれました。ありがたくお借りし、靴、靴下を脱いで足の様子を確認しました。やはり足がふやけており、上手にご機嫌を取りながら歩かないとまた悲惨なズル剝けにつながるまめができそうでした。お借りしたタオルでよく足を拭き、乾いた後クリームとテーピングをやり直しました。納経所にお礼をして次の札所竹林寺に向かいます。このコースはほとんどが幹線道路で、観光地ともなっている五台山にお寺があるので迷うことは無いだろう、と気安く考えていました。

 コースは良いのですが、善楽寺を出てしばらくした頃から雨脚が強くなり始めました。出発前には雨脚が強くなればどこかのお店に入り雨宿り、のつもりでしたが、なにせこちらはずぶぬれ状態。喫茶店などに入るには気が引けます。コンビニのイートインなら、と思い入ってみましたが、イートインがなかったり、コロナ対策で閉めていたりで休めません。コンビニでおにぎりを2つ買い、店頭の庇の下で食べました。

 田舎の遍路道なら所々に遍路小屋があるのですが、さすがに都会の高知では期待できません。高知市街地に入ってからも大きな水たまりに足を踏み入れてしまい、靴はぐちょぐちょです。足の裏のご機嫌を伺いながら歩いていきます。

 

31番 竹林寺

 竹林寺は五台山にあります。本来の遍路道とは異なりますが、足の負担が少ない自動車道を登りました。自動車道ですから歩きの遍路道より距離はかなり長くなります。

 やっと竹林寺山門に到着しました。

竹林寺山門

 本堂までは

とどめの幅広、長い石階段。手すりもありません

 やっとの思いで本堂、大師堂のお参りを済ませました。納経所の隣がちょっとしたテラスになっていて雨もしのげ、ベンチもあったので納経所でお断りをして休ませてもらいました。靴を脱いで靴下でコンクリートの上を歩くとしっかりと足形がつきます。足を拭こうにも用意した2本のタオルはすでに濡れています。やはり足のご機嫌を上手に取りながら歩くしかないな、と思い定め次の札所に向かいます。

 次の禅師峰寺までは下田川沿いを進み、右に曲がりあとは道なり、という判りやすいコースです。途中にこんな案内がありました。

武市半平太の旧宅と墓の案内

 歴史好きの私としては普段なら必ず立ち寄るであろう場所です。でも今日は雨で先を急ぎますから写真だけで我慢しました。

武市半平太の旧宅は奥に見えるかやぶきだと思います

 32番 禅師峰寺

 禅師峰寺の参道に到着しました。

裏手の山が禅師峰寺。結構登りそうでゲンナリします

 自動車道の横に歩きの登山口もあり、少し整備された道のようだったので登り始めましたが「まむし注意」の看板に怯え、結局自動車道を行くことにしました。

 このお寺も本堂までは

とどめの石階段 手すりがあるので助かりました

 お参りと納経を済ませこの石階段の反対にある休憩所で靴を脱いで休みました。この頃からやっと雨が上がり、レインコートを脱いでザックにかぶせ歩き始めました。

 この後は33番雪蹊寺にお参りする予定ですがなにせ足のご機嫌を伺いながらの歩みですからあまり早く歩けません。無料の県営フェリーが1時間に1本あり16時10分に間に合えばぎりぎりお参りできるかな、と考えていました。

 

県営フェリー

 平坦ですが単調な道をひたすら足のご機嫌伺をしながら歩きます。禅師峰寺を出る時には16時10分には十分間に合うと見込んでいましたが予想以上に自身の歩みが遅く16時前にやっとフェリー乗り場につきました。

一度は廃止されそうになったフェリーですが住民の運動で継続しているとのことです

 浦戸大橋が開通し、橋の通行料が無料となってから車は乗せないフェリーとなっているそうです。この時間の乗客は私と自転車のおじさんの二人だけ。通学時間などは高校生で結構混雑するとのことでした。

 歩みが遅く、今日の雪蹊寺お参りはあきらめ宿に直行します。宿は雪蹊寺の真ん前にありました。今日の宿高知屋さんは先人の遍路ブログに何度も登場し、ぜひ泊まってみたかった宿です。濡れたレインコートやザックカバーは乾燥機にかけてくれ、また洗濯もお接待でやってくれました。

 今夜は私一人だけ、ということで夕食時は奥さんが話し相手になってくれました。

高知屋さんの夕食 右手の鉢はカツオのたたきです

 奥さんによるとコロナ以降やはり利用客は減っているとの事。また明日の予定を話すと明日の宿汐風さんは荷物だけ先に届けてくれるので利用したら、との事。実は今日の善楽寺から汐風さんに予約した時もそうした申し出があったのですが、その時は遠慮していました。ご主人も参加し、35番の清龍寺は神野峯寺のまっ縦ほどではないが結構な登りだからやはり汐風さんにお願いした方が良いとのこと。神野峯寺はザックを麓に預けて登った身としてはご夫婦のアドバイスに従い、汐風さんに連絡し、ピックアップをお願いしました。明日は頭陀袋と肩掛けポーチ、の軽装での遍路となります。

 

本日の移動距離 40.18km  (ガーミン稼働時)

本日の歩数 74,777歩 (歩数計アプリによる)

 

四国遍路 再開13日目 高知・安芸自転車道はいろいろな顔を持っていた

 今日の予定は28番大日寺をお参りし、お寺そばの宿に入る約25kmの予定です。

ゆっくり出発、でも良かったのですが、天気予報では午後3時頃から雨が降る、とのことでしたから早めに出立する事とし、7時にホテルを出ました。

 朝食は奈半利のように喫茶店が早くからやってくれていれば、そこに入ろうと考えていましたが、あんなに早くから開いている店など無く、ローソンを見つけそこで朝食を購入しました。

豪華な朝食もあればそうでない朝食もある

 このローソンはイートインコーナーが無く、店舗前で食べました。隣で煙草を吸っているおじさんが何か話しかけてきましたが、何を言っているか良く判らず、適当に相槌を打っていました。

 変化に富んだ自転車道を行く

 55号線をしばらく行くと、高齢の女性から声をかけられ、「この先に自転車道路があるからそこを歩けば車も通らず危なくないよ」との教え。この間の教訓で地元の人のアドバイスは従うべし、がありますから早速自転車道に行こうとしましたが通行止めの案内。やむなく55号をそのまま進むと工事をしているような箇所があり、その先は自転車道が通れそうでした。

防波堤の修復工事か何かに見えました

 前からくる散歩中の高齢男性に台風か何かの災害で壊れたのでしょうか」と聞くと「自動車道の工事で埋め立てをやるため」との返事でした。

 自転車道路ですが行きかうのは散歩中の歩行者ばかりです。時間が早いせいもあるかもしれません。

 しばらくは防波堤の基礎部分と思われるところを進みます。

防波堤が低いところでは太平洋が見渡せます

今日初めての休憩は赤野自転車道休憩所にしました。

太平洋が見渡せる高台にあります

 この建物の横にはトイレと、公園にあるような水飲み場がありました。上向きに噴き出す水飲みの蛇口を開けすぎて盛大に水を浴びました。

  ここでは靴を脱ぎ、石の床に直接足を接し足を冷やします。石の床はこうした足のケアには向いているな、と感じました。

自転車道沿いの数か所で見つけた看板

 確かに看板の裏手にまだ青い実の柿の木がありました。その季節ならうれしいお接待でしょう。

琴ケ浜というところは松林が広がっています

 この松林の中を歩くのは誠に気持ちよく、海風と松の日陰で涼しささえ感じました。

またこんな施設もありました。

「琴ケ浜松原野外劇場」だそうです

 興味はありましたがトイレだけお借りして先を急ぎました。

岬の小高いところでは切通があります

 更に

トンネルだってあります

 自転車道路のトンネルは当然自動車も通ることは無く、涼しく、得難い体験でした。

ただ、ここで「自転車道路にわざわざトンネルを掘るか?」との疑問が湧きだしました。トンネルの形状も人や自転車用には天井が高すぎます。そこで思い当たったのが土佐くろしお鉄道です。今は高架の上を列車が走っていますが、以前はこの自転車道を走っていたのではないかとの予想です。(後で調べてみます)

 線路の後利用であればトンネルもあるでしょうし、比較的直線的なコースになりますから自転車道向きです。またアップダウンも極力抑えるはずですから、歩きにも優しくなります。

 自転車道の前身の解明はさておき、昼食休憩は「道の駅やす」にします。祭日ですから結構車が止まっていました。現在11時過ぎです。

広い道の駅で物品販売に食べ物やさんも3店舗ありました。

 昼食の場所ですが、ハワイアンのお店、インド料理のお店、和食のお店、とありましたが、和食のお店はまだ開店しておらず、インド料理のカレーはその命のスパイスの香りが判らない(脳挫傷の影響で嗅覚がまったく無くなった)人ですからパスする、となるとハワイアンのお店しかありません。

こんな感じの店構え アイスクリームが人気のお店のようです

 ハワイアンの店にお遍路が入って馴染むのか?本当に悩みましたが背に腹は代えられず入店。ロコモコDON(丼)を注文しました。

スプーンで最初の一口を掬おうとして写真の撮り忘れに気づきました

 お遍路の「托鉢」を見て考えた

 このロコモコDONを食べながらずっと考えていたことがあります。

 実はこの道の駅に入ってすぐ、かなりくたびれた装束の男性のお遍路さんに会いました。同じ遍路同志ですから挨拶して少しお話しするか、と近づいたのですが、そのお遍路の手に托鉢用の鉢があるのに気づきました。僧でもない一般の遍路が「托鉢」をしているのです。これはお近づきになるべきではない、と判断し「お元気で」とだけ挨拶して離れました。

 このブログの前半6日目で書きましたが、民宿の主人が新人の僧侶の托鉢に対し「托鉢の目的はお経を唱えるその家の幸せを一心に祈ること。その繰り返しの中で先にお経をあげた家から何か届けられることもある。それが托鉢じゃあないのかい」と説教した話を思い出したからです。僧でもない一般の遍路が托鉢の鉢を持って、人出の多い施設にお経も上げずに立っていたら、それは托鉢とは全く別のものになってしまいます。ひょっとしたら本人は効率的に「お接待」を集めようと考えているのかも知れませんが、一般の遍路はお接待も托鉢鉢をもって受けるものではありません。これは私自身が歩き遍路をしていて最も気を付けていることですが、行きかう人には老若男女関係なく挨拶をしています。もちろん無視されることもありますが、多くは挨拶を返してくれます。たまたまそうした挨拶を交わした中でご接待をしてくれる人がいる、ということだと思います。自分の住む町を通る遍路はよそ者です。決して敵意や悪意のある人間ではない事を伝えるためにはやはり挨拶がなにより大切だと改めて思いました。

 

大日寺

 道の駅からしばらく歩くと自転車道に別れを告げ、一般道に入ります。こうなると町の案内が頼りです。ありました。

大日寺まであと6.4kmです

 街中にはこんなものもありました。

伊能忠敬の測量による北緯33度33分の碑です。のちに現代科学で計測して正しいことが証明された、とありました。

 この碑を過ぎてしばらく行くと向こうから歩いてくる女性に、改めて元気よくあいさつしました。すれ違ってしばらくすると後ろから声を掛けられました。振り向くと先ほどの女性。お接待でした。

お接待のお菓子。「二人へんろ」という名前です

 先ほど、ロコモコDONを食べながら考えたことが正しかったといわれたような気がしていつも以上にうれしく、本当に心からお礼をしました。

 香南市内を歩いているとこんな施設を見つけました。

芝居小屋です

 決してすたれている風には見えず、まだ現役の芝居小屋です。この辺は街中も情緒があります。

できれば時間をかけて見てみたいと思わせる一角でした。

 

28番 大日寺
 大日寺に到着しました。参道を見ると結構登ります。200m以上あるようなので

これを見て挫けました

 一旦、宿に荷物を置いて登ることにします。今日の宿は民宿喫茶きらく。喫茶部分の入り口に本日の宿泊者と部屋番号が書いてあり、勝手に部屋に入り、勝手に風呂に入り、勝手に洗濯してOKとのことなどでお言葉に甘えました。荷物を置き、頭陀袋だけを持ち、先ほどの斜面を登ります。

大日寺山門。実はあまりに目立たなく通り過ぎてしまいました

 今までの札所の中で最も目立たない山門です。山門の先に本堂と大師堂がありました。

 宿に戻り、まず風呂、そして洗濯です。併せてこのブログを書き始めました。

同宿がもう一人いる、とのことでしたので遍路さんかと思っていたらそうではなく、普段は大阪にいて、今回はたまたま地元の夏祭りで帰ってきた人でした。

 夕食は

魚、肉、野菜。申し分なし。そばもあり、うれしかったです

 焼酎を飲みながら食べているとママさんがお遍路さんへのプレゼントとして曲を弾いてくれました。

ママさんは60歳過ぎに独学でキーボードを覚えたとのことです

 昔の歌の演奏に続き、オリジナルの「母の歌」そして「お遍路の歌」を弾いてくれました。それぞれ歌詞があるのでお遍路の歌を歌ってくれました。なぜか涙が流れてきてママさんに昼間の道の駅の事、民宿の主人の新米僧侶への説教の話などをしました。

 ママさんによればこの近くでも同じような格好をしてスーパーなどの店頭で「托鉢」をしている人を見るそうです。私が今日感じた事、思ったことを話したらとても賛同してもらえました。

 同宿の人も会話に参加し様々な話題で盛り上がりました。

 明日は雨の予報ですが5時出発で先に向かいます。

 

追伸

 自転車道ですが、やはり鉄道の廃線後を一部利用しているようで、サイクリングマニアだけでなく廃線マニアの中では知られた自転車道とのことです。(ネット情報より)」

 

 今日の歩行距離 25.9km(ガーミン駆動時)

 本日の歩数   48,896歩

四国遍路 再開12日目 神峯寺の「まっ縦」に挑む

奈半利の朝

 今日は27番神峯寺を打って宿に向かう行程です。神峯寺は高知の札所最大の難所「まっ縦」と呼ばれる直線的な坂があるとのことです。麓からは往復7km。重いザックを背負って登り降りするのはたまらないので、先人のブログにあった預かってくれる所にザックを預け、頭陀袋と水だけで登るつもりです。

  朝起きてブログのアップをした後、足のご機嫌伺にホテル周辺を歩いてみました。

川沿いに海に向かうと漁港がありました。

奈半利漁港です。少し大型の漁船もいて遠洋漁業をする漁船かもしれません

 この間室戸半島で見てきた漁港の中では大きな部類に入ります。大型(といってもほかの漁船と比べて)の漁船も2隻停泊していました。

 朝の6時前くらいでしたから地元の人も朝の散歩を楽しんでいました。

2km歩きましたが、足のご機嫌は良くもなく、悪くもなく、といったところです。今日の行程には問題ないと判断しました。

 ホテルに戻って朝食です。

豪華な朝食。でも食材の種類は我が家の朝食と大差ありません

 私は一日の食事の中で朝食を最重視しています。特に食材の種類は1食で15種以上を目標にしています。そのため具だくさんの味噌汁が登場するわけです。

 この日のホテルの朝食では手前の「まぐろ節」の削り節が良かったです。ごはんに振りかけ、少しお醤油を垂らすとごはんが幾らでも進む感じでした。

 

街並みなど

 8時過ぎにホテルを出発しました。国道55号を主に歩きます。奈半利町を歩いていて、道路沿いの喫茶店などがその時間なのに結構営業していることに驚きました。通常そうした店は10時開店と思っていました。お遍路にとってはありがたいですが、早くから店を開けることがお遍路に関係あるかはわかりません。

 国道を逸れ、人家の多い旧道を歩くこともあります。こうした道では街並みが素敵なところがあります。

壁の鏝絵が立派です

 この辺りの家は2階建てでもその高さは他の地方より高い、と感じました。また街並み保存も力を入れているようです。ネットで調べるとこの地方は室戸の山中から木材を切り出し、港から出荷させたため、木材問屋、廻船問屋が多かった、とのことです。そういえば室戸からの道中で結構大規模な木材集積所を何か所も見てきました。こんなものも見つけました。

道路沿いの多くの家に掲げてあった「のれん」のようなもの

 初めて見るものでしたがしばらく行くと判りました。

八幡神社の祭礼があるようです

 神峯寺への道「まっ縦」

 神峯寺への登り口が近づいてきました。先人のブログによれば唐の浜にあるドライブインと地場物産品販売所で無料で荷物を預かってくれる、とのことです。ドライブインだと山から下りた時分にはお昼ですから都合が良いと、55号線沿いを探しますが、ありません。地図で示す場所にはそれらしい(つまり駐車場付き喫茶兼食堂)建物がありますが営業していません。結局地場物産品販売所にお願いに行きました。こちらは壁にも無料で預かる旨掲げています。

 荷物を預け、一休みし、いよいよ「まっ縦」に挑戦です。ここは土佐一の難所とされており、片道3.5kmの登りが続きます。地場物産品販売所をでて山の方に向かい、はじめは川沿いに歩きます。

川を逸れ、やや急な坂を登ります

 尾根筋のようなところにでるとそこからは尾根沿いに道は続いています。

尾根道ですから道はほぼまっすぐです。

 神峯寺へ続く直線的な山尾根がそのまま参道となっている訳です。こうした道が神峯寺のある山まで続きます。尾根道ですからそれほど急な坂ではありませんが、登りは登りですから息を弾ませ進みます。山に近づくと、この道は現在の車道ですからウネウネした道になりますが、歩き遍路の道は違い、やはりまっすぐ登らせます。その登り口は

歩き遍路用の登り口 心が動きましたが自動車道を登ります

 歩き遍路用の道はマムシがでるそうで「マムシ注意」の看板がでていました。あえて危険と辛さにチャレンジする必要はない、と車道を進みます。この車道も坂が急になってきましたから途中で何度も立ち止まり息を整えます。その横を車遍路や観光客の車が追い越していきます。

あと1kmほどのところにある休憩所

 平地でしたら1kmなど何ほどの事はなく、通り過ぎる所ですが、山道の1kmは違い、ありがたく休ませていただきました。

 

27番 神峯寺

 神峯寺の下に大きな駐車場があり食事もできそうな休憩所がありました。この駐車場から更に登ると神峯寺の山門がありました。

歴史を感じさせる神峯寺山門

 

山門には極彩色の阿吽金剛力士が鎮座しています

 山門をくぐりしばらく行くと境内に入ります。

落ち着いた感じの境内です

 

本堂や大師堂は更にこの石段を登った先にあります

 本堂のお参りをすませ、大師堂をお参りする際、ご夫婦とみられるお二人に「どちらから来られましたか?」と声を掛けました。奥様(とみられる方)が愛媛で、恥ずかしながら初めての遍路だとのこと。私の出身地や年齢を聞かれ、長野県で66歳と答えると奥様(とみられる方)が「ほら」という感じでご主人(とみられる方)に目配りします。ご主人(とみられる方)は私よりやや高齢にお見受けしましたが、感じではもう少し早くに遍路を決意すれば歩きでもできたのでは、というように受け止めました。またお嫁さんが長野市出身とのことで、愛媛の札所の事などお話ししました。

 神峯寺には名水がある、として有名です。本堂への石段の右手に滝があり手水として使っているのですがこの滝が本来の名水とのことで、納経所の女性に「飲んだりペットボトルにいれるならそちらをお勧めします。」と言われ手水用の柄杓をよく洗い、何杯も飲ませていただき、ペットボトル(凍らせたアクエリアスを持ってきていてまだ少し凍ったところが残っていましたが)にも入れさせてもらいました。

 ザックを預けた地場物産品販売所へ戻る道すがら、先人たちの遍路ブログで「どこがまっ縦だったのか良く判らない」といった記述があったことを思い出しました。私は街道歩きをしますが、昔の街道も峠に向かってほぼ直線的に登る道が多いことは気づいていました。ただそうした峠道は主に沢沿いに直線的に登ります。これは昔の旅人が飲み水確保に便利なように道づくりをしたのではないか、と想像していました。この神峯寺への道は尾根をまっすぐに登ります。この点が街道のまっすぐな峠道とは異なる点です。尾根道は水の確保も大変です。尾根道に登ったらまず水の確保はあきらめなければなりません。そうした昔の遍路が神峯寺の湧き水を「名水」と讃えたのは判るような気がします。 「尾根道」そして「水」が「まっ縦」と呼ばれる難所の理由だと思いました。

 地場物産品販売所で預かってもらったお礼をし、登る前の休憩で飲んだ馬路村のゆずドリンクがおいしかったので自宅に1ケース送ってもらうよう手配をし、今日の宿に向かいます。ドライブインでの食事、との計画が脆くも崩れさっていましたが、国道沿いなら食べ物屋はあるだろうと思っていたところ、これがありません。ローソンを見つけイートインコーナーがやっていればここでもいいか、と入店しました。イートインコーナーがあり、レジで聞くと飲食休憩OKとの事でしたから、ここで昼食兼休憩にしました。

 靴を脱ぎ足の様子も見ましたが、特に問題はなさそうでした。一休みした後55号を安芸市に向かいます。途中バイパスとして作られた新しいトンネルがあり、明らかに歩行者は歓迎していない様子で、しかたなく旧道を進みます。看板に「道の駅大山」とあり、そこでの休憩を楽しみにしていましたが、バイパスの影響でしょうか、物販飲食の営業はしておらずトイレと休憩所の機能だけでした。この道の駅(跡)からホテルに電話し、あと1時間ほどで着いてしまうがチェックインは可能か問い合わせしました。大丈夫とのことでしたからそのまま歩き、3時過ぎにホテル到着です。でもフロントには誰もいません。フロントのカウンターのトレイにカギと宿泊カードがあり、その横には御用の方はこちらに電話を、との案内があったため電話すると、宿泊カードに記載して部屋に入ってもらって結構とのお話。部屋に入り、そうはいってもランドリーなどどこにあるか判りませんからホテル内を偵察。1階駐車場の脇にコインランドリーを発見。

 風呂で汗を流し、コインランドリーで洗濯をし、5時半に夕食に行くためフロントで声をかけるとやっと中年女性のスタッフが現れてくれました。宿代の清算を済ませ、フロントカウンターにあるホテル周辺地図で今夜の夕食場所を調査。台湾料理のお店を発見し、頭は急に中華モードに突入しました。お遍路での食事は和食が中心でしたから中華料理が恋しくなっていたのでしょう。早速向かうとこじんまりとした店構えの台湾料理店でした。メニューを見ると

料理2品+飲み物1杯1080円、料理1品飲み物2杯でも同じ金額

 ちゃんとした台湾料理のメニューもあったのですがそんなものには目もくれず、早速、都合料理3品、飲み物3杯で注文しました。料理はにらの卵炒め(これはおいしい)、レンコンのから揚げ(いまいち)、麻婆豆腐(片栗粉が多めでしたが味はおいしい)の3品。飲み物は生ビールと焼酎2杯。メニューには+300円でお好きな麺類も、とありましたがそんなものが入る胃の余地はありません。会計はしめて2160円。満足の夕食でした。

 

今日の歩行距離 25.4km (ガーミン駆動時 朝の散歩は除く)

本日の歩数 52,949歩 (歩数アプリによる)

 

 

四国遍路 再開11日目 土砂降りの室戸を歩く

 雨降る中の再開

 台風と足のズル剝けの影響およびワクチン4回目接種実施で、結局お遍路で10日歩き、11日休んだことになります。

 本日よりお遍路再開。手始めに朝食前に最御崎寺をお参りする計画です。

 今日の天気は雨。昨日からヤフーとスマートニュースの天気を確認しているのですが、夜から昼までずっと雨、や6時ころから天気回復など、調べるたびに変わり判断に迷いました。直前のスマートニュースの雨雲の動きでは6時頃から結構激しく降る予想でしたので朝の5時半宿出発。6時には最御崎寺のお参りと室戸岬灯台の見学をして、寺の境内で雨宿り、7時に納経印をもらい宿に帰り7時半から朝食、との行程にしました。

 

24番 最御崎寺室戸岬灯台

 宿から1km弱、登り口から700mとのことで、前回同じ宿に泊まった時に対応してくれた女性スタッフは「20分もあれば登れますよ」との事。大きな荷物はホテルにおいて行くのですから「楽勝」と思っていました。確かに焼山寺や鶴龍の厳しさに比べると優しいのですが、昨日来の雨で濡れた斜面や石畳が滑りやすく結構危険で慎重に登りました。

雨に煙る最御崎寺の山門

  まだ6時前ですからだれもいません。結局宿から25分かかりました。

 本堂でお参りをしていると予報通り盛大に降ってきました。

大師堂のお参りにも行けません。写真の仏塔が大師堂だと思っていました

 しばらく本堂軒下のベンチで休憩です。 

実は仏塔状のお堂は大師堂ではなかったのですが、大師堂だと思い込んで雨が弱くなったタイミングでお参りしてしまいました。後で境内案内を見て間違いに気づき正しい大師堂でお参りしました。

 納経所は7時からですからまだ時間があります。土砂降りではない時を見計らい室戸岬灯台を見学しました。お寺からはすぐです。

さすが日本を代表する灯台。貫禄が違います

  この室戸岬は「恋人の聖地」ともなっているようで

こんな看板がありました

 時期と時間が良ければ、観光客もいるのでしょうが夏の朝6時過ぎで雨ですから、だ~れもいません。

 7時前には車でのお遍路でしょうか、一人の男性と二人連れの女性お遍路が参拝にきていました。

 納経印をいただいて宿に戻る途中、雨で濡れた斜面で木の枝を踏んだのか、滑って転んでしまいました。幸いにも左ひじを軽く擦りむいた程度で済みましたが、雨の下り斜面は本当に危険です。

宿の朝食 ごはん等が減っていますが撮り忘れた訳ではなく、遅れて出てきた卵焼きを撮るためです

 この宿の朝食卵焼きはこだわっているようで、必ず宿泊客が席に着いてから焼き始めます。焼きたてですからとてもおいしくいただきました。

雨への対策

 雨対策をして出発です。今日の雨対策は

判りづらいですがレインコートを着ています。最御崎寺お参りの時ですから頭陀袋を雨から守るため、羽織るように着用しました。

 更に

靴に布テープを巻きました

 レインコートは6月下旬に遍路を始めた時には上下で持参していたのですが、荷物を減らすために送り返していました。再開にあたり悩んだのですが、週間天気予報によれば高知周辺には梅雨前線がいて連日の雨予想でしたのでレインコートの上だけ持ってきました。

 靴の布テープは最御崎寺お参りでは紙のガムテープを貼って効果は確認できたのですが、テープ同士が剝がれやすく、宿に布テープをお願いして靴に貼りました。靴に水がしみこむと足がふやけて水泡ができやすくなります。その防止が主目的です。靴本来の機能である湿気を逃す効果はなくなりますが、雨で濡れる方が悲惨です。

 

25番 津照寺

 宿を8時過ぎに出発。室戸岬の先端を越えて国道55号をひたすら室戸市街地に向けて歩きます。途中の集落でこんな店がありました。

暖簾から判断するに駄菓子屋兼お好み焼き屋?

 この昭和を思わせる組み合わせは都会に細々と生き残っているだけだと思っていましたが、室戸の市街地とは言えない集落の中での発見ですから驚きました。

津照寺室戸市街地の小高い丘の上にあります。

山門はシンプルですが石段途中の櫓門は派手です

 お参りを済ませ、山門をぬけた右手の納経所で少し休ませてもらいました。靴を脱ぎ足の裏をマッサージします。ここまで雨は小雨程度で靴の水浸みもありませんでしたから、予定通りの行程でした。

 

26番 金剛頂寺

 国道から離れ、金剛頂寺へと向かう道に入ったあたりから雨が段々と本降りに近くなってきました。

雨に曇る金剛頂寺 結構土砂降りです

 何とかお参りを済ませ納経所の横のベンチで小雨になるのを待ちます。この境内で3人グループのお遍路さんに「歩いて回っているのですか」と聞かれ、そうだと応えると「これお接待です」といって塩飴を頂きました。ありがたくいただき、心よりお礼しました。

 歩ける程度の雨になったため、遍路の案内看板を頼りに先に進みます。ところが案内看板の先は草藪。雨でこの道はきついと別の道を探していると農作業に向かおうとしている若い男性に会いました。道を聞くと、下に降りる道は他にないことはないがやはり先ほどの草藪道を行くのが判りやすい、との事。意を決して金剛杖で藪をかき分けながら進みました。しばらく行くと普通の山道になりましたが、雨で道が川のようになっていて、靴を濡らさないよう慎重に降りていきました。

 国道にでるとすぐ道の駅です。雨も盛大に降ってきましたから昼食と休憩をとることにしました。が、この道の駅には食堂はなくお弁当の販売だけ。(もちろん物産品の販売所はあります)仕方なくテイクアウト用のかつ丼を購入し、国道に面したテント屋根の下の机とベンチで靴を脱いでの休憩です。

雨も激しく 車のしぶきも受けるところでの休憩となりました

 休憩中、隣の席の若い男性と少し話しました。私が高知の地名は「後免」や「黒耳」など独特ですね、と聞くと地元にいるとあまり不思議ととらえていなかったがいわれてみるとそうですね、としばらく地名談義となりました。

 少し小降りとなった段階を見計らい出発。ところが途中から土砂降りとなり道が川のようになしました。靴の布テープもこれでは靴への浸水を防げず、足がふやけていくのが判ります。 この道沿いには風情のある街並みもありました。

立派な土蔵もありました

 このほかにも土蔵のある家、古い町並みなど、小雨になっていたこともあって楽しませてもらいました。

 足のふやけ具合の確認と対処のため靴を脱いで休める場所を探しますが、ありません。やっとドライブイン(といっても普通の喫茶兼食堂)がありました。

お客は私一人。店のママさんに聞くとこの時期は歩き遍路もほとんどいない、やはり春と秋が多いとの事。ママさんにお許しをもらって足の状態を確認。やはりかなりふやけていて右の小指には小さなまめができていました。右の小指は先の帰省時にも水泡ができたところで外側の皮が剝け、新しい柔な皮膚となっていましたからもう少し事前に対処する必要があった、と後悔しました。この店から宿までは約9km。2時間弱かかります。道は平たんですから辛くはないのですが、ふやけた足が持つか心配でした。

 やっと宿到着。今夜はホテルなはりに泊まります。この宿は露天風呂付大浴場(温泉ではない)が自慢で小さな町にはそぐわない立派なホテルでした。早速露天風呂と洗濯をします。この宿の難点は露天風呂とコインランドリーがあるのが別棟で、自室からそこまで行くには一旦1階ロビーに出て、フロント横の階段を上り、2階から渡り廊下と階段で別棟1階に降りなければ着けません。上下のジグザク移動で疲れた体にはこたえました。久しぶりの露天風呂を堪能し、洗濯と足のケアを行いました。

夕食は

カツオのたたき定食 この他にビールと焼酎をいただきました

 実はこのホテル、「小さな町にはそぐわない」と書きましたが、町の遠洋マグロ漁船に関連する企業が遠洋マグロの乗組員や会社関係の出張者のために経営しているホテルだそうで、それを早くに知っていればカツオではなくまぐろを注文したのに、と少し悔やみました。それでもカツオのたたきはやはり本場ですからおいしくいただけました。

 明日は27番神峯寺の登りです。距離は短めで25km程度。朝食はホテルでとってから出発します。明日の天気は晴れ予想。日焼け止め対策をしてでかけます。

 

本日の歩行距離 31.8km ガーミン駆動時 朝の最御崎寺分を含む

本日の歩数  60,283歩

四国遍路 一時中断日記 11日目

再開の室戸岬

 四国遍路を再開するため、室戸岬に向かいます。5時前には宿に入りたいので朝6時前に自宅最寄りの駅を出発する切符を手配してあります。私はケイちゃん(妻)と共にJRの「大人の休日俱楽部ジパング」の会員ですから、JR切符は最大3割引きとなるのですが、いかんせん新幹線のぞみなどが対象外となるため、のぞみの利用は名古屋から大阪までとし、大阪から岡山まではこだまに乗り換えます。またお盆の途中中断で帰省する時の切符も購入しましたが、お盆期間中はジパング割引対象外のため額面通りの金額となりました。

 今朝は朝5時前に朝食をとります。またしばらくは自宅の朝食が食べられません。今回は納豆を大粒で用意しました。

我が家の納豆はひきわりも入れ、薬味はねぎ、大葉、ミョウガ、たまごの黄身を入れます。白身はお味噌汁にイン。

 普段は40gの小粒と同じく40gのひきわりですが、今日は今後朝食に納豆が食べられるかわからなかったので、大粒80gを使いましたから普段の1.5倍のボリュームです。

 

 私鉄、JR、新幹線を乗り継ぎ、岡山から南風(「なんぷう」と呼ぶそうです)という特急にのります。

特急南風。3両編成。ディーゼル。加速時はまるで車のような音がします。

 この特急は3両の可愛らしい編成です。その中にグリーン、指定、自由の区分けをしますから、グリーンは1両目の少し、指定は残りの1両目と2両目の三分の二、残りが自由席です。車両ごとに分かれた特急しか乗ったことがなかったので少し戸惑いました。

 後免(「ごめん」と呼びます)で土佐くろしお鉄道に乗り換えます。この列車も1両だけのワンマン車両ですが可愛らしい車両でした。

今日乗った車両はまだおとなしいですが、沿線で見た他の車両はとてもカラフルでした

 土佐くろしお鉄道は各駅に地域にちなんだ名前のスコットがいて、駅への到着アナウンスでもそのマスコットの名前も呼びます。不思議な感覚でした。

 

 11時間かけて宿に到着です。今回も宿泊は私一人。宿の部屋でネットの天気予報を確認したら明日は午前中はほぼ雨。特に9時頃は強い雨、との有り難くない予報です。

岬ホテル 建物は登録重要建造物です。古いですが清潔です

 それでも雨は再開前のお遍路の時から、梅雨時のお遍路として覚悟していたことですので工夫しながら再スタートを図ることにしました。

夕食の刺身の右はびんちょう、とのこと。私の知っているびんちょうとは違いとてもおいしい刺身でした。

 歩いていないのに日本酒できれいに平らげられました。

 明日は朝食前に24番最御崎寺を打ち、8時過ぎに宿を出て25番津照寺、26番金剛頂寺を参拝、宿に入る約30kmの行程です。

 天気予報は最新の予報でも 雨、です・・

 

 

四国歩き遍路の費用とリタイヤ夫婦のお財布事情

 歩き遍路の場合、無料の遍路宿や野宿で回れば宿泊費はかかりません。若者や超ベテランと思われるお遍路にはそうした方もいるようですが、リタイヤおやじはウォーキングの延長としてのお遍路ですから、民宿、ホテルでの宿泊が前提です。この場合、宿泊費が費用の大半を占めます。お遍路のガイドブックには遍路向けの宿泊施設が掲載されています。遍路向けの宿は良心的な価格の場合が多く、民宿で4,000円(素泊まり)~8,000円(2食付き)、ビジネスホテル・旅館で5,000円(素泊まり)~12,000円(2食付き)が目安です。この他に昼食や飲料なども必要ですから、1日1万円を予算にして回っています。それでも交通費も含めれば結願までに60~70万円ほどかかる計算ですから、歩き遍路が最も費用が高くなる、というのも頷けます。更に日数が2か月近く掛かるわけですから相当贅沢な旅行との面もあります。

 私は40代の頃からリタイヤ後に歩き遍路をやるつもりでしたから、ケイちゃんと相談して、早めにその費用を確保して、家計と別管理をしていました。遍路を始めるタイミングでは私たちは年金生活に入っています。当然、現役時代とは収入が違いますから遍路費用は別管理にして、初めから無い物として家計を考えていかねばなりませんでした。

 リタイヤ前にはケイちゃんと年金生活の家計シミュレーションを何度か行いました。当面の収入は私の年金と夫婦2人が別々に掛けていた個人年金保険が全てです。年金保険がある間は貯金に手を付けたくなかったので、やはり費用の切り詰めを行うしかない、と固定費を中心にかなり見直しを行いました。大きいのは太陽光発電をはじめた事です。今年5月から本格的な発電が始まり、自家消費優先の契約でしたが、売電金額が約1万円、消費電気代も数千円下がりました。6月、7月は消費電気代より売電金額のほうが高くなったくらいです。初期投資は掛かりますが、ランニングコストの低減はリタイヤ世代ににとって重要なテーマです。そのほかにも固定電話をドコモのホーム電話に切り替える、2人の携帯の契約の見直し、私のジムの契約見直し、保険の見直し、ガソリンスタンドで最も割引が良いカードに切り替え、などなど。ほとんどはケイちゃんの主導での見直しでした。

 

四国遍路 一時中断日記  8日目

まめ防止のハード面対策

 遍路道中での休憩を増やすことなど、ソフト面のまめ対策とは別に、ハード面での対策として靴やまめ対策グッズの調達をしてきました。

 靴はお遍路に向けて新たに購入したもので、一番重要視したクッション性等は問題なしですが

試し履き100km、お遍路250kmでこの減り方

 ソールが柔らかい素材でできているようで、とてもあと1,000km近い残りのお遍路に耐えられない、と判断。スポーツショップで靴の担当者と相談しながら靴やその他のまめ対策グッズを決めてきました。

 足の3D測定結果や今の靴の減り具合、今回の足の水泡の写真、足の筋肉の張り方、今後の遍路の見込みなど情報交換しながら選んだ靴は

固めのソールで底の減りを抑え、別売りの中敷きで足のホールドとクッションを補います

 私の足は幅広甲高でやはり4Eが良いそうです(今の靴は3E)。足のサイズということで思い出したのが今から30年位前、神戸市長田町の比較的大きな靴メーカー(その後の阪神淡路大震災で大きな被害をだしました)で、当時結構大掛かりな機械による足の立体計測をしてもらったことがあります。その時の判定は「24.5cmのF」でした。

 30年前は幅広でも3Eがせいぜいでしたから「F」との判定に戸惑った記憶があります。その時、係の人は「典型的な日本人の幅広甲高の足です。何か武道をやっていましたか」と聞かれ、高校時代に私は柔道部で、それこそ下駄で通学していましたから、そのことを話すと、そうした事も足のサイズには影響する、とのことでした。

 また、まめ・水泡の対策としては

ネットでめぼしをつけていたソックスがありました

 このソックスは国産の立体縫製品でランナーのまめ防止効果も期待できる、という品です。さらに

まめ防止クリームとテーピング用のテープも購入

  この2品は併用というより30km以下の短いコースはクリーム、長いコースはテーピングといった使い分けで考えています。

 

ついでに今回使っている遍路用品も紹介してしまいます

 

お遍路の基本5点セット

 これらの品は昨年10月にケイちゃん(妻)と下見に行った時、1番と2番の札所で購入したものです。杖、菅笠、頭陀袋はお試しをしながらケイちゃんと共に手を加えています。

金剛杖:一応角の面取りはしてあるのですが、手に持つところはもう少し丸みが欲しいと、石で打ちつけ丸みをつけました。ケイちゃんにはスキーのストックのように手からすぐ離れないようストラップの装着をお願いし、名札も併せて付けてくれました。

菅笠:頭に触れる輪になった部分(名前は知らない)に布を巻いてほしい、とケイちゃんにお願いし、ガーゼ生地で巻き、ホックで止めてもらう加工をしてもらいました。また顎ひももゴムで、やはりホックで脱着可能なものを作ってもらい交換しました。

 札所で売られている菅笠はそもそもヤワなつくりですが、4番大日寺から5番に行く道中で突風を受け、笠と輪になった部分の接続部が壊れてしましました。コンビニで裁縫セットを買い、糸で傘本体に縫い付ける応急処置をしました。今回一時帰宅した際、ケイちゃんにさらに何ヶ所か縫い付けてもらいました。

頭陀袋:結構な重さとなりベルトが首に食い込むのでベルトにカバーをつけてもらいました。頭陀袋の中は

この他に遍路地図や薬などこまごましたものが入っています

 納札と数珠の袋もケイちゃん手作りです。数珠は真言宗のものではありませんが、家のお寺(真言宗智山派)のご住職に聞くと「なんでもいいのよ」との事でしたので使っていたものを持っていきました。

 

35Lザック  緑のお札はお不動様の健脚お守り

 このザックも四国の歩き遍路に使うことを前提にスポーツショップのスタッフと相談して決めたものです。腰のベルトが幅広で、「腰で背負う」には最適と考えました。

 お札は須坂のウォーキング大会に参加した際、記念品としていただいた米子不動の健脚お守りです。緑のお札の下に少し見える木のお札も、別の年の大会でもらった健脚お守りです。このザックは何か所もベルトを止めるフックがあるのですが、ケイちゃんが色シールでどれとどれがセットなのかわかるようにしてくれました。

 ザックの横にケイちゃんにお願いし、金剛杖を結わえるようゴムとフックで三ヶ所、輪を縫い付けてもらいました。金剛杖はアップダウンには極めて有効ですが、平地ではやや持て余し気味となりますので、平地のみ歩く時はザックに結わえていました。

 

 ウォーキングを再開 

 足裏のズルムケ部分がだいぶ回復してきたので、靴の試し履きも兼ねて軽く早朝ウォーキングを再開しました。8kmのショートコースでしたが、足裏はまだ柔肌のためかややヒリヒリした感じがありました。靴は今までのものに比べ固めですが問題ないレベルの履き心地でした。

 

自宅での食生活 その3

 ここ数日はホットプレートメニューが続きました。

今日はねぎ焼きです

 私のねぎ焼きは韓国のチジミ風です。100gのお好み焼き粉で生地を作りますが、その際キムチとごま油を入れます。ねぎは小葱(万能ねぎ)を1.5袋刻んで入れ、シーフードミックスを具として入れます。焼く時は豚バラスライスを敷いてその上に生地を流します。ケイちゃんはこのねぎ焼きが好きで、我が家では普通のお好み焼きはまずやりません。