四国遍路一時中断日記 5日目
再出発の日取りをめぐって
全国的にコロナ感染者が拡大しています。
実は台風4号と足裏のズルむけで一旦帰宅したその日に、コロナワクチン4回目接種の案内が自宅に届いていました。接種日は7月15日との案内で、帰宅時は1週間程度で遍路を再開できるのではないかと考えていたことから、お遍路の結願後に接種してもらうつもりでした。しかし今後のお遍路コースとなる愛媛県でもかなりの感染者がでており、接種後の再出発としたほうが、四国の人のためにも自身のためにも良いのかな、と悩んでおりました。
足のズルむけはほぼ1週間がたち、足裏を床につけても痛まない位に回復しており、主要な判断はやはりワクチン接種をしてから行くかどうか、になっています。
今回の四国遍路の当初計画は45~50日間の日程で、お盆前には結願して帰宅する、という今考えれば甘いものでした。お盆はいったん帰宅するつもりでいますから、7月15日以降に再出発とすると、どう見てもお盆前に結願することはかなわず、お盆後に3度目の再出発をすることになります。
ウジウジしているとケイちゃん(妻)が「もうリタイヤした身なんだから、現役時代みたいにいつまでに何をしなければ、なんて考えなくていいじゃない」とワクチン接種後の出発を強硬に支持。それでも少しでも早く出発したい、とワクチンのコールセンターに電話し、接種日の前倒しができないか相談しました。その結果、1日早い7月14日の接種となりました。14日の接種後に室戸岬までの便があるかネットで確認したところダメ。結局翌15日に室戸岬まで行き、7月16日から遍路を再開することにしました。(来週の皮膚科でダメをだされると変わるかもしれませんが・・)
足裏のまめ対策
前回記事で足裏のまめに対する傾向と対策を書きました。その時の対策は休みの取り方などソフト面での対策が中心でしたが、その後ネットでクリームや靴下にもまめ対策を謳うものがあることを発見。靴を含めハード面でも可能な準備を進めていこうと考えています。
このブログのこと
ブログというものは見ることはあったものの作ったことはなく、長女に設定してもらって始めることができました。
このブログは一人でのお遍路に際し、家族が私の生存確認を行えるように記録しようというのも始めた理由の一つです。そのため第一の読者として家族を念頭において作ってきました。こんなブログではありますが、ブログのアクセス解析画面を見ると結構な数で見られているようで、うれしさと恥ずかしさが半々です。
自宅での食生活 その2
ウオーキング日記なのに、なにせ歩いていませんから食べ物の記事ばかりがアップされます。「まるでお食事日記だ」と自虐しています。
月曜日と木曜日はケイちゃんがダイエット目的で朝食がジュースのみとなります。
右下は我が家定番の具沢山(山盛りになっている)味噌汁です。以前泊りにきた甥っ子はこれを「野菜の味噌煮」と言いました。
7月7日の夕食は「七夕そうめん」という言葉を知ったのでそうめんとケイちゃんのラッキーメニューが串焼きとのことでやきとりも。
私は夕食によく麺類をやります。昨日の夕食も
そばサラダはあえて乾麺を使い1人前を半分に折ってゆで、大量の生野菜とドレッシングで和えて作ります。
帰宅して以降、足の問題もありますが歩けていません。足裏もだいぶ回復してきましたのでそろそろウォーキングを再開しようと思います。
四国遍路一時中断日記 中断3日目
台風接近の中の逃避行
室戸岬を離れる朝、夜中には強い雨や雷(岬で聞く雷鳴は山間の地元で聞くそれとは違い、恐ろしいものに聞こえました)が続いていましたが、明るくなると雨脚も弱まり、朝食のころには一旦止みました。
朝食後8時過ぎに宿をでて、バス、私鉄、JR、新幹線、JR、私鉄と5回の乗り継ぎを行い、午後7時過ぎに自宅に戻りました。移動時間およそ11時間。途中かなり強い雨となる時間もあり、一時中断を判断してよかった、とも思いました。一方そうした雨の中でも歩いているお遍路の姿もあり、やや負い目も感じました。
足の状況
帰宅後、ケイちゃん(妻)に足の様子を確認してもらいました。
経験的には、放置していても一定の時間で修復されることはわかっていましたが、念のため行きつけの皮膚科の診断を受けることにしました。
翌日、皮膚科のなじみの医師に四国遍路の途中でこうなった、できるだけ早く遍路を再開したいと説明すると、「症状は出ていないかもしれないが、調べると白癬菌が確認され、白癬菌がいると水泡ができやすくなるので水虫(白癬菌)対策と化膿防止をしましょう」との事。水虫と水泡が関係しているとは知りませんでしたが処置をしてもらい薬の処方箋も出してもらいました。
足の水泡に対する傾向と対策
9日あまりの遍路でここまでダメージを受けるとは思っていなかったので、今後の遍路に向けて自分なりに傾向と対策を考えてみました。
<水泡やまめに対して変に自信をもっていたこと>
ウォーキングを趣味にして以来足の裏には無数のまめや水泡ができました。都度殺菌した針とバンドエイドで簡単に処理ができ、またこの間は20km程度のウォークではまめができることが無くなっていたことなどから水泡やまめに対し簡単に対処できるという変な自信を持っていて甘く見ていた、との反省です。
<10kg以上の荷を背負っての歩きが足の裏へどのような負荷となるか考えなかったこと>
今まで参加したことがあるウォーキングの大会でも背負うザックの重量はせいぜい3~4kgです。その3倍の重量を背負い、また連続して20km以上を何日も歩くというのは初めての経験でした。
重い荷を背負ってのお遍路についての不安は、主にザックの肩ベルトが食い込み、肩が痛くなる、という問題に対してでした。その対策で腰ベルトのしっかりしたザックを買い、予行演習でも肩への負担を減らす背負い方を工夫していました。足の裏の負荷も当然強くなるはずですから、それに対する対策が必要でした。
<対策として>
①まずまめをできるだけ抑える、そのために休憩回数を増やし、休憩の都度足の裏をよ くマッサージする。
②できてしまった豆はできるだけ早めに処置し広がらないようにする。
③ザック重量を可能な限り減らす。
また原因となっているかはっきりしませんが靴の裏の減りが早いことから靴が遍路にマッチしていない可能性もあり、これは後日シューフィッターに相談しようと思います。
自宅での食生活
リタイヤしてすぐお遍路に出て行ったのでリタイヤ後自宅でゆっくり過ごすのは新鮮でもありました。当然ごはんづくりは私のミッションとなりました。
夕食の天井焼きは丸なすのある時期(つまり夏)だけのメニューで、丸なすの皮をむき、2~3cm厚の輪切りとし、真ん中になすの中心程まで切り込みを入れます。そこに味噌、砂糖、みりんでペースト状にしたみそだれを青じそと共に挟み込み、てんぷら衣より濃い目に溶いた小麦粉をくぐらせ、ごま油を引いた鉄板で両面がこんがりするまで焼くとできあがりです。
朝食は魚がメインのことが多いのですが、今日はウインナーの賞味期限が迫っており目玉焼きと一緒に焼きました。
四国遍路日記10日目 台風迫りくる室戸岬へ
朝4時に出発
台風4号接近のニュースが流れています。ネットの天気予報や雨雲の動きもかなり変化し、読めませんが、予定通り室戸岬の24番に向けて朝4時に出発しました。この時点での室戸地方は午後天気が悪くなる、ということでしたのでなるべく早く着きたいと、暗いうちの出発です。
この間の経験で、4時20分頃には薄明るくなってくる、と見ていましたが雲が厚く、なかなか明るくなってくれません。
明るくなってきたころ「東洋大師」の看板を発見。
国道を外れてもそれ程違いはなさそうだったので迷わず旧遍路道へ。
経本やろうそく、線香などザックの中で、更にレインカバーをかけていたため手を合わせ、南無大師遍照金剛を3回唱えるだけ、のお参りとしました。
この後から雨が降り出しました。結構強い降りで雨宿りできるところを探しましたが見当たりません。そのうち小雨になってくれました。
国道沿いに電柱の無い光景をはじめて見た
人家が途切れると樹木で見えませんが、左から波の音が聞こえます。出発前は今日の道は右手に山、左手に海、のかっちりした景色をイメージしいましたが山の中を歩くのと大差ありませんでした。でも左の樹木が切れると。
この辺りはお店はもちろん人家すら見当たりません。よく見ると電柱さえありませんでした。
10kmほど歩いたので休憩場所を探しますが、こんなところですからありません。やっと休めそうなところを発見。
ここで朝食として昨日道の駅で買ったパンを食べました。
この後も単調な道を進みます。「鼻」と呼ばれる山尾根が海にせり出している部分は、ちょっとした峠のようになっていてアップダウンもありました。
やっとの思いで雨宿り
室戸岬まであと15kmほどのところで急に雨脚が強くなりました。ビニールカバーを付けた菅笠で頭と顔は守られますが、肩から先は菅笠からの雨水も加わり、しっかりと濡れていきます。また歩道が道路の関係で右、左と移動するため、走行していく車の水しぶきも左右均等に受けていきます。
これはたまらんとバス停のような休憩所を発見し飛び込みました。
アプリの雨雲レーダーでは30分ほどで雨脚は弱まるとのことでしたからここでも休憩として残りのパンを食べました。
室戸の激しい自然環境に思いをはせる
室戸岬が近くなると人家も増えだしていきました。この辺の集落には変わった施設がありました。
崖に設置したシェルターで崖の上に上る階段でもあるのでしょうか。それとも一時避難だけ?。また民家の塀も変わっています。
津波対策かと思ったら宿の方は強風対策と教えてくれました
この辺りは風が強く、台風などでは海から石が飛んでくる。それを守るためのコンクリート塀とのことです。
厳しい自然環境の中での暮らしが覗えます。
高知初めてのお接待
だいぶ疲れ、雨でふやけたためか足の裏もかなり痛むようになり、よたよた歩いていると、前に止まった車から男性の方がおりてきて「歩きの遍路さんだけに渡しているお接待です。」と飲み物と袋入りの塩飴をいただきました。高知で初めてのご接待で感激し深く頭を下げました。お接待は塩飴だけだと思ったら
1月の脳挫傷の影響でにおいを感じないのに、なぜカレーを注文したのだろうと自問しながらいただきました。
宿の近くには巨大な青年空海像があります。
やっと宿に到着しました。宿の人によれば他の予約客は台風接近で皆キャンセルとなり、利用者は私一人だけとのこと。まだ時間があるから24番お参りに行って来たら、とのご提案でしたが、今まで以上に足が痛く、ありがたくご辞退し、シャワーと足のメンテナンスを行いました。足の水泡は今日の雨でふやけたこともありかなり広がっています。一部はやぶれ、下の皮膚も見えています。だいぶ前の善光寺御開帳を記念して行われた、小諸から善光寺までの64kmウォーキングで、大きく足の裏の表皮が剥がれた時以来の惨状でした。
高知の暮らし
今日の宿でお世話をしてくれた若い女性スタッフと、夕食を食べながらお話をしました。なにせ一人だけの宿泊客となり話し相手もいないと寂しいだろう、との心づかいです。
彼女によれば高知でも西と東では気候や人の気質ば違うようです。また四国4県の気質の違いについても面白い話をしてくれました。「もし1万円をもらったら徳島の人はすべて貯金する、香川の人は半分貯金する、愛媛の人は元手にして商売をする、高知の人は更に1万円を自腹で追加し、飲みに行く」
お酒を飲みながら聞いた話ですから少し正確性は欠けますが、土佐人の気質は判る話です。
また特に土佐の東の人は雪をあまり見たことがない、そのため霜のように白く薄く雪が降っただけで大騒ぎをする、当然スタッドレスやチェーンは持っていない、など。接客商売の方ですから話題も広く楽しいひと時でした。
四国遍路一時中断を判断
ケイちゃん(妻)とも相談し、台風が接近し木曜ごろまでは影響があるのではないか(宿の人の話)、室戸岬は薬局もコンビニもないところで足の手当も十分できない。(すでに持っていたバンドエイド類はほぼ使い切っている)などの状況からいったん四国遍路を中断し、足の手当等を行ったうえで再開する判断をしました。
このブログは今後「四国遍路一時中断日記」として随時更改、再開時は「四国遍路再開11日目」として基本毎日公開、で考えています。
よろしくお願いします。
四国遍路 9日目 徳島遍路のまとめと今後の見通し
甲浦の朝
今日は完全休養日と決めています。そうはいっても長年の習慣で午前2時には起きてしまいました。ブログをアップして4時すぎからホテルの外に出てみました。足を休めることが第一目標の完全休養日ですから,、ホテル前の芝生テントサイトを歩いてみました。足には優しいですが、サイトにはいくつかのテントが張ってあり、まだ薄暗い中歩き回ることは不審者扱いされると思い、甲浦の港に行ってみました。
甲浦は二つの島に囲まれ、入り江が深く天然の良港という感じでした。ホテル横の道の駅にある案内板に甲浦の歴史が記載されていましたが、古代より貴人の土佐流罪の中継地として、長曾我部氏の出撃拠点として、そして山内氏の参勤交代出航地として栄えてきたようです。
ホテルの朝食はお弁当と聞いていました。
徳島遍路のまとめ
改めて徳島の遍路を振り返るためにブログを読み返し、すこし気になった点などを修正しました。読み返してみるとその情報量の多さに我ながら驚きます。
徳島遍路を終えて特筆するべきは新米僧侶に説教をした宿の主人の話でしょう。その日のブログには記載しませんでしたが、他にも高齢の山岳マラソンも行うような女性に「そんなに健康な体に産んでもらって自分の趣味だけにその力を使っていていいのかい、もっとその体力を世のため人のために使えることができるんではないかい」と説教した話や、自分で前向きに仕事に向き合っているうちはいいが「やらされ感」で仕事をするようになると体を壊す。そしてまじめな人ほどどんどん仕事が来るからほどほど、をわきまえないと健康を害してしまう。かくゆう自分も2度入院してしまった、など共感できる話をたくさん聞けました。特に「やらされ感」については自身の経験でも思い当たることが多々あり大いに共感しました。
このほかにも平等寺での若者の「その時代のお遍路が通る道が遍路道」との話、赤い納札の先達さんとのお話、走って遍路をしている女性の話など今でも大切な思い出として残っています。
お接待について
徳島遍路ではほぼ毎日、何らかのお接待をいただきました。お店ではもちろん通りすがりでもいただき、心から手を合わせて感謝しました。こうしたお接待の時、みなさんが自然に声をかけてくれることにも驚きました。お接待が風土にまでなっていることの証だと思います。また道すがら挨拶を交わすと必ずと言ってよいように「頑張ってくださいね」と声をかけられたこともうれしかったです。これは徳島市など都市部ではあまりありませんでしたが農村地帯では老若男女問わず、ほぼ声をかけてくれました。
札所の作法について
各札所ではある程度決められた作法があります。私はウォーキングの延長としてのお遍路ですから、ろうそく、線香3本、本堂で納札とお賽銭をあげ、本堂脇か階段下で般若心経を唱え、本堂では本尊のご真言、大師堂では南無大師遍照金剛と共に三回唱える、といった簡易版でお参りしました。
今でも苦戦しているのは本尊のご真言です。おそらく古代サンスクリット語をひらがな表記したものでしょうから読み上げが難しく、徳島ではしっかり、正確に唱えられたことはありません。
また般若心経も経本を見ながら唱えるので良いのですが、変な節がついてしまい、とてもお経には聞こえません。アプリの「般若心経を聞く」で一緒に唱えながら修正していきます。
体の事
40代後半からウォーキングを趣味にして、歩く体力についてはある程度自信がありました。それでも十数キロの荷を背負っての歩き遍路ですから、体力が続くか心配していました。一緒になった歩き遍路の方から「その荷を背負って早く歩けるその体力がうらやましい」と言われ、健康な体に産んでもらえたことに感謝です。
それでも両足の裏の親指付け根には大きな水泡ができています。殺菌した針で水を抜き、保護パットを貼って処置していますがこれ以上大きくならないよう養生する必要があります。また両足の親指と人差し指の先にも水泡ができています。これは下り坂で踏ん張るために、足のつま先が擦れたためだと思いますが、こんな場所に水泡ができたのは初めてで少しびっくりしています。
また驚いたのは靴の底のすり減りが早いことです。この靴はお遍路用にスポーツ店の係りの人と相談して決めたもので、足の保護という面ではクッション性の高いランニングシューズの方が良いと勧められ、決めたものです。
普段愛用しているウォーキングシューズでは1,000km程度履き込んだ時の減り具合で、クッション性が高いことが影響しているかもしれません。この調子では最後までこの靴で持つのか心配しています。
今後の見通し
体力的にはなんとか持ちそうですが台風も接近しているとのニュースもあり、一言でいえば「わからない」に尽きると思います。
今日の休養日の様子
足を休ませることが最大の目標の休養日ですから午前1時間半、午後2時間お昼寝しました。昼食はホテル隣の道の駅に行きました。
道の駅には海産物も販売しており、カツオなど私の地元のスーパーと比べ半値程度の価格でした。
道の駅、テントサイトの前は海水浴場になっています。
道の駅には男女に分かれた二棟の大きな建物があり、海水浴客向けのシャワー、着替え室、トイレが入っているようです。もし家の近くにこんな海水浴場があれば、若い時分なら毎週のように遊びにきていただろうな、と思わせる所でした。
道の駅で明日の朝食用・非常食用として、パンと熱中症対策としてスルメイカを購入しました。このスルメイカは平等寺の若者に教えられたことの一つで、スルメなどは結構塩分が高く、他のミネラルなどの補給にもなるのでお勧め、とのことでした。また柿の種はカロリーも高く完全食だとも教えられましたが嵩張るため却下しました。
夕食は昨日一度は入ろうとした居酒屋に向かいましたが開店直後にも関わらず満席で仕方なく昨日の店で焼肉を食べました。実はこの文章の少し前で食事に行く時間になり、一旦下書き保存しようとして失敗し、すべての記事が消えてしまいました。そのショックで携帯を持っていくのを忘れ写真はありません。
本日の歩行距離 0
本日の歩数 4,904歩(歩数アプリによる)
四国遍路8日目 明日は足の休息日として今日はひたすら歩く
朝4時半に出発
今日からいよいよ四国遍路の札所間が2番目に長い(一番長いのは足摺岬への82.7km)室戸岬に向けた75.7kmの海岸線を歩くお遍路です。初日は37km先の高知県東洋町を目的地と定めました。この間当然ながら札所はなく、いくつかの大師堂があるばかりです。そのため頭陀袋もザックに入れて出発の準備を整えました。
宿ではいつでも出発できるよう軽食を準備してくれています。
この朝食を午前3時ころに食べて4時半の薄暗い中、出発しました。
宿近くのコンビニで冷凍された飲料1本と冷蔵の飲料2本を購入しました。
国道55号線をひたすらまっすぐ高知県の東洋町を目指して進みます。
国道がお遍路道になっているためか休憩できるところは公的設置、私的設置あわせて充実している印象でした。
当初のイメージとしては今日のコースは海沿いを歩く、というものでしたが
今日は国道55号をひたすら歩く、としていましたので地図もザックに入れたままにしてあります。歩いているのは国道55号で間違いありませんから構わず歩を進めます。
上り坂と言っても喘ぐような坂ではありませんからそれほど歩行速度も遅くはなりません。
国道がお遍路道になっているからでしょうか。トンネル用に用意していた点滅する安全灯とヘッドライトを角龍に登る前、ザックを軽くしようと自宅に送り返したため、使わせてもらうか悩みましたが、交通量も少なく歩道に柵もあったため見送りました。
重いザックを背負っての歩きは10km、2時間を目安にザックを下して休憩しようと思っていました。10kmを過ぎ、休める場所を探します。
12km地点、小松大師の少し前にありました。
ここで休憩です。ザックを降ろし、靴を脱ぎ、しばらく体を休めました。小腹がすいたので何かないか見てみたのですが、稼働していないカップヌードルとスナックの自販機があるだけで食べ物はありませんでした。諦めます。
国道沿いの看板に「小松大師すぐ上」とあったので間違いないとは思いますがお堂のそばには何の案内もないので自信がありません。
海沿いの道を歩く
山間からやっと海が見えました。山国育ちの私は海を見るとテンションが上がります。下り坂でもあり、足のまめは痛いものの快調に歩きます。
すべてのトンネルにあるわけではありませんが、トンネルを通らず山の上を歩く遍路道があります。四国に来る前は危険で暗いトンネルを通るより、山越えの遍路道を行くのもあり、と思っていましたが、昨日の平等寺での若者の教え、「その時代に歩く遍路が行く道が遍路道」に励まされて断然トンネルを進みます。
鯖大師の看板があり、国道からそれ程遠くなかったので寄ってみました。立派な大師堂でしたが写真をとるのを忘れました。境内のお堂の横に仏像があり寄ってみると干支別の守り本尊の仏像でした。
鯖大師を過ぎてしばらく歩くと、道路わきのカフェの女性主人から声をかけられ、お接待として氷入りの冷たい水をジョッキでいただきました。直射日光がきつくなり暑かったタイミングでしたから心より感謝しながらいただきました。
海陽町に入り今日の目的地まであと10km少し。お昼に近い時間ですので国道沿いのお店に入りました。
炎天下を歩いてきて熱いちゃんぽんを欲するとは自分でも不思議でしたが、大汗をかいていますから少し熱いものを食べてもあまり苦痛には感じません。
海陽町を過ぎると海沿いを歩きます。平日のためか、海辺で遊ぶ人の姿は見かけません。
今日も快晴で日差しは強いですが、海風が心地よくあまり暑いとは感じません。
いよいよ高知県 そして本日の宿へ
トンネルを貫けたところに県境を示す看板がありました。今日の目的地まではあと2kmほど。はっきりした場所を確認するためホテルに電話しました。
国道沿いにあるとのことでそのまま進みます。
外観は薄汚れた印象ですが中は清潔です。ただリゾートホテルという割には宿泊者の姿をみかけません。ホテルの前は
ホテルで入浴、洗濯、足のまめの手当、を済ませて早めの夕食をとろうと、ホテルで聞いた近所の飲食店にいってみましたがまだ5時過ぎという時間帯もあって、開いている店は1件だけでした。焼肉と普通の食堂のメニューが同居する不思議な店でした。
このあと小腸、野菜、焼酎もいただきました。会計もリーズナブルで満足しました。
明日は1日休養日とします。
本日の歩行距離 38.51km (ガーミン駆動時)
本日の歩数 75,883歩 (歩数計アプリによる)
四国遍路7日目 徳島最後の札所へ
朝食に納豆がついた
今日も2時に目が覚め、ブログをアップした後、宿の前の広場でストレッチと足のご機嫌伺を行いました。筋肉痛はだいぶおさまり、足の裏のまめの痛みはあるものの今日の遍路に支障なし、と判断しました。
朝食は6時にお願いしていました。
昨日夕飯の時、朝ごはんでリクエストはないか聞かれ、できれば納豆があればと答えたのですが、「あ~準備がないや」との返事だったので諦めていました。
食卓についてみると、なんと真ん中に納豆が鎮座していました。昨日の夕食後買いに行ってくれたようで心よりお礼しました。写真にはありませんが酢の物の小鉢もあとから出てきてご飯2膳をたべたら満腹となりました。
今日の予定は宿から6kmほど先の22番平等寺をお参りしたあと、その先20kmほど歩き、徳島最後の札所薬王寺を打って今日の宿に入る計画です。宿のご主人とルートの相談をしました。平等寺までの遍路道はしばらく舗装道路で途中から大根峠を越えるルートとなるがそのまま舗装道路を行っても1~2km多くなるだけで楽だよ、とのアドバイスでした。ガイドブックの地図を見ると大根峠は峠への分岐と比高60m程、地図でもそれほど険しい道とは思えず、遍路道を行くことにしました。
宿をでてからずっとだらだらした上り坂ですが舗装道路ですから特に困難はなくすすめました。
分岐を過ぎてしばらくはなだらかだった勾配が急になってきました。へんろころがしや鶴龍ほどではないものの、かなりの重量となっているザックを背負っていますから少し進んで息を整え、少し進んで息を整えの繰り返しです。大根峠が見えてきました。
舗装道路を歩いていれば荷を背負っても1km14分程度ですから1~2kmの遠まわりのほうが早いし楽だったか、と何度目かの後悔。
昔の遍路道はそうはいっても風情のある景色を楽しめる利点もあり、一長一短、と自らを納得させました。峠を下りきると何か建物が見えてきました。
遍路小屋としては床面積は他の遍路小屋と大差なく(むしろ狭いかも)、上に登れ眺望が楽しめるかというとそうでもなく、なんのためにこの形状となっているのか不明でした。
この先は田園地帯です。農作業に行く農家の方からは「あと少しで平等寺だよ」と声をかけられました。お遍路さんはその姿ですぐわかるためか地元の方に声をかけられることが多いと感じていました。こちらもできるだけ挨拶をするようにしていました。
22番平等寺
ここのご本尊は本堂への石段を登ったところにある柱とひもで結ばれていました。まるで善光寺御開帳のようなので納経所で聞くと、特に関係はなく以前からこうなっている、との答えでした。
平等寺の境内にテントを張って飲み物や軽食を売っている人がいました。ジュースを買い、一休みしているとその店の方が話しかけてきました。四国遍路の札所は88か所だけでなく300以上あること、本来の遍路道というものは無く、その時代のお遍路が歩く道が遍路道となる、など四国遍路の知識も豊富で楽しい会話となりました。
その方が自作の23番までの地図を示してルートの相談に乗ってくれました。多くの遍路は海沿いの道を選ぶが、実は岬の上を超えるなどアップダウンが結構あり、海もあまり見えない、それよりもう一つの道、内陸の国道を素直に言ったほうが良い、とのアドバイスでした。内陸の国道は何か所かトンネルがありそれが心配だというと、自動車専用道ができて、多くの車はそちらに行くのでトンネルが多くても安全面ではそれほど心配ない状況となっている、とのことでした。
自作の地図も良くできていて自販機の場所(この辺は23番の近くまでコンビニがない)も示してあり1枚もらいました。
今回はこの間の反省に則り、地元の方のアドバイスを聞き、内陸ルートとすることを決めました。以前読んだ遍路ブログで「四国遍路はルート選択の連続」といった記事がありましたが、まさにその通りだと思います。アドバイスを採用するも採用しないも自身の判断にゆだねられます。
この手作り地図を参考に進むと、途中でこの間何度かお会いして挨拶程度を交わしたことがある男性の方と同行する形になりました。私より1日早く歩き始めたようで口ぶりでは何度か遍路をしているようです。内陸ルートは単調な道になりますから道連れがいた方が励みになると思い並んで歩くことにしました。
名刺代わりに納札で自己紹介しました。私より2歳若い岡山在住のOさんという方で、ゼネコンにお勤めでしたが、60歳で退職しその後もいろいろお仕事をされているようです。自分より相当重そうな荷を背負い、自分より早く歩く私の体力に前に会った時から驚いていた、とのことで、私は自身のウォーキングの経験談などを話しました。
23番薬王寺
内陸の遍路道は国道ですから単調な景色でしたが話し相手になってくれる連れがいたおかげでそれほど苦痛を感じずに目的地に到着しました。Oさんはこのまま宿に入り明日お参りをする、とのことでしたので寺の前で別れ、徳島最後の札所に行きました。
このお寺は徳島では厄除けで有名とのことで本堂に向かっていくと
炎天下を26km以上歩き、消耗した体にはこたえる2つの厄坂を手すりの力も借りながらなんとか参拝をすませました。
この後本日の宿に向かいます。宿には同宿となる私より高齢の男性が宿の方と何か話していました。すぐは気づかなかったのですが一昨日の宿で同宿だった方でした。その時はあまり歩くことが得意ではなさそうだったので、もうお会いすることはないだろうとお別れしたのですが、歩きから公共交通機関の活用に切り替えたことで再会できたのです。2日同宿となる機縁を感じ納札で自己紹介をしました。
同宿となったSさんと宿近くの定食屋で夕食です。普段はお酒を飲まないというSさんもビールを付き合ってくれました。
ところで本日の宿は、以前海産物問屋だったとかいう100年以上前からの建物でなかなか趣のある宿でしたが古い建物ですから隙間も多く、この遍路にきて初めて蚊に刺されました。それも何か所も。
明日はいよいよ高知に入ります。振り返ると7日間歩き詰めでしたから明日高知に入ったら翌日は休日とし、からだ、特に足を休めようと思います。
本日の歩行距離 26.08km(ガーミン駆動時)
本日の歩数 55,654歩 (歩数計アプリによる)
四国遍路6日目 遍路道の「鶴龍」も手ごわかった
新米のお坊さんに宿の主人が説教をしたお話
この日の朝食は埼玉の同宿者併せ、二人とも早めに鶴龍を責めたかったので6時にしてもらいました。
私はいつもの習慣で午前2時に起きてブログをアップし、少し外に出て民宿の前を歩いたりストレッチをしたりして自分の体調と相談しました。足の裏のまめや筋肉痛はまだあるものの、今日は2つの札所だけで2度の上り下りがあるも、距離は14kmほどですから自身にOKをだしました。
納豆談義となった朝食の後、玄関前の宿のご主人の尺八製造所兼尺八練習所でご主人と少しお話ししました。興味深かった話は高野山の新米の若い僧侶がリュックとシュラフを担ぎ、托鉢をしながらお遍路をしていたので声をかけて家でお風呂と食事の提供をした。
少し話をしたところ、この四国遍路に現金は1円も持っていくことを許されず、托鉢だけで食べるもの、そして寝るところも自分で見つける、というまさに修行としての遍路だったそうです。「それでうまくやれているのかい?」とご主人。僧侶は「托鉢に自信がなく、これまでもあまりうまくいっていない」との答えだったそうです。そこでご主人「托鉢を勘違いしてはいないかい。食事を提供してもらうのが托鉢の目的ではないはずだ。家の軒先でその家の健康と繁栄を心から願い読経する。みんなの幸せを願うことこそ托鉢の目的ではないのかい。その結果として数軒先で読経しているときに先の読経した家の人が何か食べるものをもってきてくれることもある。そういうもんではないのかい。」若い僧侶は何か感じるものがあったようでその数か月後、高級自動車が家の前に止まるので何事かと出てみると件の若い僧侶とその師匠。どうも宿の主人のお説教の後かなりしっかり托鉢ができるようになって無事遍路修行を終え、今回はその時のお礼に師匠とともにやってきた、とのことでした。このほかにもいろいろお話したのですが、どれも興味深いお話で盛り上がり、出発まで時間がない中、充実した時間でした。
いざ鶴竜 前半戦
7時に宿を出発しました。
最初の1km近くはそれほど登りもきつくなく順調に進めました。遍路小屋があり、少し休憩です。
この後道が険しくなります。
普通の山道だと少し平たんな場所もあるものですが、情け容赦なく上りが続きます。
数歩登って息を整えまた数歩登って息を整えるの繰り返しです。へんろころがしより足場が良いのが救いです。
20番 鶴林寺
ようやっと鶴林寺の山門が見えてきました。
この山門の中には
結局3キロ少しの道のりに約2時間かかりました。鶴林寺参拝をすませ次の太瀧寺に向かいますがこの下りも大変。
下りには上りと違う筋肉を使います。息が弾むことは少ないものの、足を踏み外すと大けがになりますから、一歩一歩着実に歩を進めます。
1時間かけて下に降りてきました。
ここで靴を脱いで少し休憩です。
いざ鶴竜 後半戦
太龍寺への登りははじめは自動車も軽なら楽に通れるような道で、渓流沿いでもありこれなら「楽勝じゃん」と思えたのですが、あと2kmの看板のあたりから急に斜度がきつくなってきました。
足を休ませる平坦な場所もなく、本当にあえぎあえぎ登ります。
21番 太龍寺
山門はありましたが境内やお堂が見えません。本堂は300m先と案内があり、ゲンナリしながらまた登ります。
本堂の前にもとどめの長い石段があり、手すりにつかまりようやっとお参りできました。
ここでもう午後1時近く。宿で準備してくれたおにぎりと果物(写真を撮るのを忘れた事に食べ終わってから気づきました)で昼食。少し休憩した後本日の宿に向かいます。
ガイドブックでは龍雅荘となっていましたが違う名前の宿になっていました。
少人数の寮を思わせる風呂に入り洗濯をし、宿のマッサージチェアで体をほぐして隣の建物で夕食です。
実はガイドブックの地図では飲み物の自販機もなさそうな、何もない場所に見えたため、太龍寺で500mlのペットボトルを3本買って下りてきました。でも自販機は2台ありました。
一人の食事ですが宿のご主人と奥さんが話し相手になってくれました。この辺りは最近降水量が少なく水不足が心配されているようです。水の話から農業や農協の話などで盛り上がりました。
本日の歩行距離 12.15km(ガービン駆動時 駆動させず歩いた時もある)
本日の歩数 33,054歩 (歩数計アプリ)