四国遍路5日目 四国88か所を走りで回っている人がいる、とのこと

とにかく「納豆」が食べたい

 今日の前半での最大の目標は「朝食に納豆を食べる」です。先週の木曜日自宅で朝食の納豆を食べて以来、朝食で納豆は食べていません。(昨夜のスシローでは軍艦巻きで食べた)

 自慢ではないが我が家はごくまれに朝食がパンの時以外、納豆を欠かしたことがありません。4日も納豆を食べない経験は海外出張の時以外ありませんでした。

 今日は朝4時ホテルを出発。14kmほど先の18番恩山寺を目指します。その途中で24時間営業の吉野家すき家納豆朝食定食を食べる、を第一に考え行動しました。そのため吉野家すき家(別の店でも朝5時前後に納豆が食べれるならOK)を発見できるよう、遍路道にこだわらず、こうした店がありそうな幹線道路を選択しました。

 片側2車線の幹線道路を、方向としては遍路道に沿って歩いていきました。

 ありました。すき家です。

納豆朝定食並ごはん大盛り 380円

 朝食の納豆は当たり前すぎて特段の感想はありませんでしたが、野菜が少ないものの納得の朝ごはんでした。

 徳島には不思議な建物がありました。

まるでハウルの動く城

 個人宅なのか何かの公的施設なのか気になりましたが、本来の遍路とは外れるため、余計なことにエネルギーを奪われないよう、写真だけで素通りです。

 幹線道路に遍路道がこの先で合流するとのガイドブック案内でしたから進むとありました。

久しぶりの遍路道の案内表示

 ここからは幹線から外れ遍路道を通ることにします。 ところがこれが間違い。地図では道なりに行くとローソンがあって、その先も道なりに行くと警察署のところで幹線に合流する、という間違いようの無いコースですが、どこまで行ってもローソンは「無い」。道なりに行こうとしても自動車専用道の工事でそもそも道が「無い」。地図アプリを見てもローソンも警察署も「無い」。通りかかりの人に警察署の方向はどちらになりますか?と聞いて方向だけを頼りに田んぼのうねうね道を歩き、やっと警察署を発見しました。この裏手に弘法大師御杖の水なるものがある、とガイドブックにあったので水の補給もかねて寄り道しました。

 

飲む気がしない「弘法大師御杖の水」

 残念ながら写真だけ撮って先を急ぎます。

 

18番恩山寺

 さすがに札所のお寺は公的な案内も含めしっかりしていて迷うことはありませんでした。でも「あと〇km」「あと〇m」の案内は信用してはいけないことを再認識。あれは〇〇寺入り口の看板までの距離でしかない。ここでは事前案内の距離で恩山寺入り口の石碑があり「やっと着いた」と石碑の先を見ると山に向かって登る坂道があるだけ。300mほど登ったでしょうか。山門を発見!

門の役割からは完全に逸脱している恩山寺山門

 写真だけ見るとやや古い山門、と見えますが撮影者の私の後ろは何かの工場。おそらく以前は工場の立地しているところが参道だったと思われますが、そこに工場が居座り、山門が門ではなくなった、ということのようです。更にこの不思議な山門から100mでようやく境内となります。

境内に入る前にも石段が・・

 お参りと納経帳への記帳印をいただいて木陰で靴を脱いで休んでいると、バスで乗り付けたとみられる年齢層の幅広い一団(20名位)が登ってきました。

 お先達さん、和尚さんとみられる方に引率されながら、本堂、大師堂と皆でお参りし記念撮影をしていました。

 遍路を始めて初めて目撃する団体さんの遍路です。シーズン中であればこうした団体が大勢訪れるのでしょう。

遍路小屋の立地について考えてしまった

 次の立江寺までは約4km。歩いていると立江寺まで1km位のところに遍路小屋がありました。

良い雰囲気の遍路小屋

 

中はこんな感じ

 一休みしても良かったのですが、目的地まで後1kmでは休まずに進む選択をしました。

 これまでの遍路小屋の立地を見ても比較的札所に近いところにあるように思えます。

想像ですが、こうした遍路小屋を建設するにはお寺の檀家さんやお寺周辺の企業などの寄付が欠かせず、地域おこしの意味もあって選定された立地だと思います。特に歩き遍路にとって休憩をとるタイミングがあり、果たして今の立地でよいのか疑問に感じました。結局利用が少なくなれば、お掃除したりしている方々の張り合いにも影響するのではないか、と。勝手な想像ですよ。

 

19番 立江寺

 立江寺までの参道には昔からの和菓子屋さんなどもあり良い雰囲気です。

きれいな境内の立江寺

 境内では2,3人の女性の方がお掃除をしていました。そのため広い境内もすっきりして見えます。遍路はろうそくをたて線香をあげ、場合によっては休憩で他のごみも捨てるなどしますから、どの寺もこうした清掃スタッフ(ボランティア)は不可欠なのでしょう。ろうそくや線香の後始末だけでも大変だろうと思います。

 

本日の宿へ、そして88か所を走って回る方と

 本日予約した宿は明日挑戦する鶴林寺太龍寺(鶴龍と並び称される)への登山口にあります。まだダメージの残る足のメンテのために早めに宿に入る計画です。

 宿までは10kmほどです。ほぼほぼ平坦な道を進み、宿近くの道の駅で昼食にしました。

久しぶりにラーメン また撮る前に箸をつけてしまった

どんぶりのような大きな器ででてきたかき氷

 食事をしていると隣のテーブルで食事をする二人の女性(母娘か嫁姑かは 聞けない)から「歩いての遍路ですか」と声をかけられました。話をしてみると若い女性の方から「私は走って回ったんです」と驚きの発言。「へんろころがしも走って登ったんですか!?」と聞くと軽装なら走って登れますよ、とのこと。聞くとご夫婦で回ったそうで、特にそうしたツアーがあるわけでなくイベントでもなく、夫婦で走るのが好きで回ったとのこと。高齢女性の方は「この人たちは本当に走るのが好きだから」とニコニコしながら語ってくれました。

 お遍路は「歩く」ものと決めつけていましたが超超ウルトラマラソンのように走って回る人もいるのだな、と激しく感嘆しました。

 

本日の宿へ

 本日の宿は鶴風亭という少し風流な名の民宿です。玄関先でご主人が尺八を唸っていました。尺八づくりもしている方で宿の名が風流なのも頷けます。

奥さんは謙遜していましたがなかなか豪勢な夕食

 夕食は野菜主体ですが品数も多く、どれもおいしい一品でした。同宿となった埼玉の男性(私より少し年上か)と会話を楽しみながらの夕食です。宿のご夫婦も会話に参加し楽しいひと時でした。考えてみれば徳島にきて食事の時はほぼ一人だったのに今日は昼食、夕食と会話付きで満足感もあがりました。

 明日は鶴龍に臨みます。

 

本日の歩行距離  29.08km(ガーミン駆動時)

本日の歩数    58,984歩 (歩数計アプリ)

四国遍路4日目 へんろころがしのダメージ回復のため短めのコースとしたはずが・・

 早朝と言うより深夜起きてみると夕食のエネルギー補給のためかそれほどダメージを受けていないようでした。少し近所を歩いてみたのですが筋肉痛はあるものの平地のウォークに問題はなく、これなら今日予定している約20kmのほぼ平坦な道は問題ないだろうとの感触を得ました。

四国にきて初めての充実の朝食 これで納豆があれば完璧

 ナスやきゅうりは自家栽培とのことです。

朝食を持ってきてくれた高齢の女性と少し話しました。昨日夕食やお洗濯の対応をしてくれた方は別に家庭を持っている娘さんとのこと。私が出身地の話をすると以前に何度か旅行したことを話してくれました。

 

平坦なコースのはずが

朝食後8時前に出発です。今日はほぼ平坦な道で距離も20㎞少し、と見込んでいるため遅めのスタートです。

お遍路のガイドコースは宿から右手に曲がっていくコースです。宿の方は「家の前の広い道も少し距離は長いが合流する」と教えてくれましたが迷わず本来のコースを選択。

順調に歩みを進めましたが、なぜかどんどん坂道が急になり

結局峠越え

 峠と言ってもそれ程高いものではなく、車も通れる道ですから普段では何ということのない道ですが、特にアップダウン用の筋肉にダメージをもつ今日の私には結構きつい峠となりました。

 峠を下った先には橋がありました。

そういえば「潜水橋が渡れます」といった看板がでていた

 「潜水橋」というよりコンクリート一本橋といったもので、自転車でもおっかなくて渡れないような代物でした。歩きでも少し怖く感じ、なんでこんな橋を架けたのか少し疑問。

 橋を渡り切りやっと宿の方がいった広い道と合流。そこからは川に沿ったなだらかな下り坂で足の筋肉も快調に動いてくれました。

 この辺りは川に山が迫り、その間に人家が立ち並んでいます。

まるで木曾のよう

 道下の果樹は梅のようで、所々に梅干しの無人販売所がありました。徳島は紀伊水道を挟んで和歌山と隣り合っていますから気候的には梅栽培に適しているのでしょう。

 

 

13番 大日寺

 大日寺までは宿から概ね10km。2時間程度で着く予定です。大日寺まであと1.6㎞ の案内があってもう少しだ、と思ったときに、先に自販機で飲料を購入した時に金剛杖を忘れた事に気づきました。がっくりしながら約1.5㎞戻ると置いた時のままになっていて、自販機のお店の方に一言お断りをして回収しました。

比較的交通量の多い道に面した大日寺山門

  前々日の猛暑の中親切にしてくれた4番札所も大日寺でした。大日如来が本来の仏となる真言宗ですから同じ名前でも不思議はないんでしょうが少し戸惑いました。

 実は大日寺到着の少し前、道の反対側からおじさんに声をかけれました。たちどまって様子を見るとお接待でした。

お接待の栄養ドリンク

 一般の方からの初めてのお接待でしたから思わず手を合わせて拝みました。ありがたく一気にいただきました。

 

14番常楽寺

 

山門のない初めてのお寺常楽寺

 大日寺からは2.5kmの場所にありますが、実は焼山寺までは事前に地図も読み込み、シミュレーションしていたのですがこの辺からはそうした準備もなく途中で何度も地図を確認し、またスマホのアプリで自分の位置を確認しながら到着しました。

 境内はまるでまるで昨日のへんろころがしを思わせるような岩肌むき出しのごつごつした前庭で「車いすの人はどうするんだろう」と考えてしまいました。

次の国分寺までは1kmないくらい。案内もあるのでまっすぐ向かうことができました。

 

15番国分寺

聖武天皇以来の国分寺

  88か所は真言宗だけでなく他宗派のお寺もあります。ここもその一つ。宗派は違えど大師堂はあります。

 次の16番観音寺までは約2km。ところが案内を見落としたのか遍路道を外れ、地図アプリの力を借りて到着できました。

 

16番 観音寺

住宅街にある観音寺

 観音寺は住宅街にあります。そのため境内もさほど広くなくこじんまりとした印象です。

 このあたりから雲行きが怪しくなり、雷鳴も聞こえ始めました。まだ午後1時であと17番を打ったら後は宿直行となるので「降られたらどこかで雨宿りの休憩をすればいいや」位に考えていました。ところが寺をでると降り始め、見つけたうどん屋に入りました。

写真を撮るのを忘れ残念な姿となった天ざるうどん

 考えてみると徳島の昼食はうどんを選択することが多く、やはりうどん屋の数が多いことや自身が麵好き、暑い、といったことが影響しているのでしょう。

 少し小降りになったことから、菅笠にビニールカバーをかけて出発しました。ところが途中から本降りの雨となり、住宅地でお店もなく、自販機の屋根の下でしばらく雨宿り、となりました。

やや雨脚が衰えたところで出発するも、ここでも案内を見落としたのか16番からの距離2.9kmを過ぎても一向に到着の気配がありません。また地図アプリの力をかりて何とか到着。

 

17番 井戸寺

 

雨の井戸寺

 小雨の中でしたが境内には多くの遍路がいました。自転車遍路中のおじいさん、先達とまわるお遍路さんなど。この先達さんはえんじ上下の遍路装束で新人お遍路さんに参拝の方法などを教えていました。さすがに正式の参拝手順でこちらのようにろうそく、線香、納札、おさいせん、般若心経、本尊ご真言、などの簡略のものとは違います。

 

本日のお宿へ

 井戸寺から徳島市街中心部の今日の宿に向かいます。前日地図で3kmほどと見積もっていたのですが、これが大違い。結局6km以上歩きました。雨で濡れ、到着時刻も遅れ、宿についたらランドリーでの洗濯やお風呂、明日の宿手配など段取りを考えながら歩きました。

 宿に到着してフロントで確認するとホテルのコインランドリーは今使えなく、自転車で20分ほどのところにあるコインランドリーをご案内している、とのこと。ゲンナリしながら浴室で自分で洗濯することとし、明日の宿泊として目星をつけていた宿に電話するとご主人が体調不良で宿泊はお断りしている、とのご返事。このご主人にも別の宿をご紹介いただくなどして何とか確保。入浴と洗濯を済ませるともう6時半。

 夕食にしようとフロントで近くのおいしいお店を聞いたところ「近所には気の利いた店はなく、隣のスシローか道の反対にあるマクドナルド位」とこれまたゲンナリするようなお答え。やむなくスシローにしました。

10年ぶり以上となるスシロー 

 久しぶりのスシローは入店や注文システムも大きく変わり、店内は注文品が届く音声案内や音楽が喧しく、活気はあるものの落ち着いて食事をする雰囲気はなく、食事とお酒をいただいて早々に退店しました。

 

本日の歩行距離  31.37km(ガーミン駆動時)

本日の歩数    59,193歩(歩数アプリによる)

四国遍路3日目 いよいよ前半の山場 「へんろころがし」へ

事前に計画した作戦

遍路を計画した時からこの「へんろころがし」の道中が最も難関だと思っていました。

藤井寺からは12km弱で、距離は大したことがないのですが、様々な遍路ブログでもそのきつさが伝わって来ています。

 その為、明るくなったら登り始め、昼前には焼山寺着、3時ころには宿に到着、と計画しました。そのためにはホテルを朝4時半頃には出発する必要があります。

この点この日の宿の鴨島セントラルホテルは、夕方から朝までいつでも軽食がとれるようになっていました。そのため4時に朝食です。

軽食とはいえバランスを考えれば立派な朝食

ちなみに昨夜の夕食のコンビニ飯

袋に入ったホテル軽食用のパンを非常食としてザックに入れて出発します。藤井寺までは約30分です。

いざ、へんろころがしへ

へんろころがしへの入り口

 登り始めから石段や疑似木の階段が永遠と続きます。

何しろ大きなザックに頭陀袋、水も500mlを3本背負っていますから少し登っては息を整え、登っては息を整え、の繰り返しです。

「登り切ったか」との思いが何度も裏切られる

 急な坂は最初と最後だけ、とのことでしたので空が見えたりすると「登り切ったか」と喜ぶのですが、そこに行くと単に道が折れ曲がっているだけで上り坂は変わらず。

 

辛くても こんなご褒美も

 つらい上り坂でも所々に視界が開け絶景が広がります。(あまり写真ではうまく表現できませんでした。)

やっと少し平たんな道になりました

ところどころに「人生訓」があるのがへんろころがし

長戸庵・流水庵

長戸庵 小さなお堂です

 一応他の札所と同様の作法でお参りしました。ここまで遍路地図では3.2kmとなっていますが1時間半以上かかっていました。時速2km!

 このあと少し下り坂を下りると流水庵です。ここでも一応お参りをしました。

お参りをしていると遍路ならぬ男性のハイカーが登ってきました。遍路道といってもハイカーも当然登るわけですから不思議でも何でもないのですが・・

 流水庵には名の通り湧き水があります。流れは細いものの飲めそうでしたの一口いただきました。

流水庵の休憩所 水の補給ができてありがたかった

 流水庵のすぐ下にある休憩所です。このわきにそこそこの水量で水が出ていました。柄杓の据え付けもあったので飲める水と判断。ここで休憩している間だけでおおよそ1ℓ飲みました。からのペットボトルにも補充しました。

 この休憩所を過ぎるとまた急な登りが続きます。本当にあえぎ、あえぎ登ります。

浄蓮庵・一本杉と弘法大師

浄蓮庵の弘法大師像 疲れ切って登ってきて眺める姿は感動的です

「左右内の一本杉」に包まれる弘法大師

 石段を登って大師像を眺めると、一本杉の手のひらで守られているように見えました。

 お遍路のシーズン中は結構にぎわう場所と聞いていましたが、遍路はおろかハイカーも含めだ~れもいません。ここでもザックを下して休憩しました。

 

最後の上り坂へ

浄蓮庵を過ぎると急な下り坂です。何しろ足場が悪くバランスを崩して転倒でもしようものなら一大事ですから慎重に下ります。岩や石の多い道ですから雨でも降って濡れていると相当危険です。

 激しく下るため、その後に待つ激しい登りを思い憂鬱になりました。

麓の里が見えてきました

へんろころがし道中のオアシスともいえる里が見えてきました。何かの果樹(梅かも)の栽培が盛んなようです。

降り切って渓流の橋を渡ると間髪を入れず激しい登りが始まりました。

危険な場所にはロープも

 急な登りと岩が多く足場をどこに確保するか難しい、など遍路ころがし前半の登りとは格段に難易度が高い道となります。

 足場確保が難しいところにはロープが2か所で設置されていました。ロープがあるから安心ではなく、登ってロープから手を放す瞬間にバランスを崩しそうになりました。

気づくと所々に石柱であったり石仏に「〇丁」の掘り込みがありました。焼山寺までの距離のようで「これは励みになる」と最初は思ったのですが、何せ歩みが遅く、1丁(おおよそ100m)の登りは10分近くかかりゲンナリしました。

 

焼山寺

 

焼山寺山門

 やっとの思いで焼山寺に到着しました。山門の先が覗えず、「本堂までまた長い石段があったらどうしよう」と心配しましたが、常識的な石段で助かりました。といっても上り下りで相当足がダメージを受けており、この山門への石段も本堂への石段も手すりに助けられながら登りました。

 お参り後の納経所で、約6時間かかりでへんろころがしから登ってきたことを伝えると「それは早いですね」と言われ少し喜びました。遍路ころがしは健脚5時間、一般6時間といわれていますから、決して早いわけではないのでしょうが、なにせ大荷物を背負ってのへんろころがしですから、その辺も考慮してくれたのでしょう。

 11時を過ぎ、朝食から7時間、途中休憩時に口に入れたのはお接待でもらったキャンデーとエビせんべいだけ。焼山寺には食事もできる休憩所がある、といくつかの遍路ブログにあったので日曜日ならやっているだろう、と期待していたものの閉まっていてがっくり。休憩所の前にある飲料の自動販売機で飲み物を2本購入。1本はその場で飲み干し、もう1本は昼食用としました。

非常食としてホテルから持ってきたパンと自販機ジュースの昼食

 納経所の横が広いお寺の参拝者用休憩スペースになっていたのでそこで昼食。この後は約10km先の宿に向かうだけなので、エネルギー摂取量としては少ないものの持つだろう、と判断していましたが甘かった。

 本日の宿、植村旅館さんへは玉ケ峠を越えて行く10km、とは承知していました。玉ケ峠は古くからの遍路道ですから旧街道の峠道をイメージしていましたが、へんろころがしと大差ない登りでした。へんろころがしのアップダウンで足にダメージがあり、エネルギー摂取量も不足しており、しかも途中で雨が降ってくるなど大変な行程になりました。(写真を撮る気力もなかった)

 

植村旅館

 峠を越えてからは車も通れるような道が多く断然楽にはなりましたが、エネルギー切れでよたよたふらふらしながら、やっとの思いで植村旅館に到着しました。

 宿の奥さんにお風呂を準備してもらい、また洗濯もしてくれるということで、甘えてお願いしました。

 本日の宿泊は私一人だけ、とのことでまだ新しい客室用の別棟を独占です。

豪勢な夕食 この他に日本酒を追加オーダー

 写真では判りづらいですがなすの煮びたしの後ろはウナギです。お椀物はお蕎麦でした。今日は朝、昼と「軽食」でしたので大満足の夕食でした。

 

本日の距離 25.4km(ガーミン駆動時)

本日の歩数  56,545歩(歩数計アプリより)

四国遍路2日目 333段の石段を登った先には赤い納札を持つ先達がいた

昨日の続き

 昨日の宿越久田やさんは夕食、朝食がコンビニ調達とのことでしたが、連れていかれた日帰り温泉施設には食事処もあるとのことで、入浴後そこで一人、お刺身、天ぷらなどの定食をビールとともにいただきました。

 朝はコンビニ手配でしたが夕食、朝食ともに写真を撮り忘れました。

 

本日の歩行距離  24.07km(ガーミン駆動時)

本日の歩数    51,907歩(歩数アプリによる)

 

 

 

8番熊谷寺

 朝食がコンビニ手配の関係で時間に関係なく出発することができます。

越田屋さんから熊谷寺まで約2km。6時半前に出発すればお参りを済ませ納経所に7時には着ける、と6時半ころ宿を出ました。

 

今までの山門と比べ落ち着いたたたずまいの門です

 予定通り7時前に到着。本堂、大師堂はこの山門から更に上った先にあります。

本堂前にはすでに2人の男性がいました。話を聞くと同じ越田屋さんの同宿者でした。廊下などで簡単な挨拶はしていたのですが、互いに接点が少なく気づかなかったのです。

 

9番法輪寺

 熊谷寺から2km少し里のほうに降りてくると法輪寺があります。

 

由緒あり感満載の山門です

  ここでも先の二人と一緒でした。福井から来たとのことで通しの歩き遍路をやっている、とのことですからこれから何度も会う機会があるかもしれません。

 

10番切幡寺

 いよいよ今日のメインイベント333段の石段をもつ切幡寺です。山門に到達するまで門前町のようになった上り坂を結構登ります。

切幡時山門 結構登った先にありますが 実はここからが本番

 重いリュックを背負ったなかでの上り坂でしたから山門をくぐったところで小休止しました。

いよいよここからが本番 

 先が見えません。とにかく「一段、一段」を心がけて登ります。

少し先にお堂のようなものが見えます。

やっぱりね あと三分の二です

 小休止の後また「一段、一段」を心がけて登ります。

息絶え絶えに登りきると結構大きな伽藍のお寺です。もちろん車でも登れ、お寺のわきには駐車場も整備されています。車で来たお遍路さんが「石段、登ってこられたのですか?」と聞くので「歩き遍路ですから」と息の定まらない声で答えました。

 

赤い納札の先達さんと

 この後は約10km先の藤井寺をお参りし、今日は宿に入る予定なのでここで少し長めの休憩をとりました。隣に腰を下ろしていた女性に声を掛けられ、少しお話ししました。

 Oさんという70代の鴨島町の方で、お話を聞くとすでに何十回とお遍路を結願しており、お先達の資格も持った方でした。私からは亡くなった両親や弟の事、決して信心からの遍路ではなく、ウォーキングの延長で遍路していること、など自然とお話ししました。Oさんは「それでもお遍路していれば必ず弘法大師様が応えてくれる時がありますよ」と優しく教えてくれました。

またOさんは90台になる先輩先達さんの話を聞かせてくれました。この方はすでに100回以上遍路をしている方でこの方の納札は錦だとのことです。このくらいの納札になるともう立派なお守りです。私はまだまだですが、といって互いに納札を交換しました。

Oさんの納札は私の1番札所で購入した白いぺらぺらな納札のようなものではなく、厚く赤色の納札でした。「歩き始めの遍路にとってはこの納札は宝物です」とありがたくいただきました。

 ここでも福井からの二人組と会いました。歩きの通し遍路にしてはずいぶん軽装だったので聞いてみると、初めての歩き遍路のため先達さんに指導を仰いだ。その時とにかく荷物は減らせ、と何度も指導されたので着替えは1日分だけあとはスマホで地図も持たない、とのことでした。

 出発前に少し減らしたとはいえ、PCに着替え2日分雨具、薬に日用品など35リットルのザックパンパンの荷を背負っている自分としては恥ずかしくなるような話でした。

吉野川

藤井寺への道は途中吉野川を横切ります。

吉野川の中州にわたる潜水橋

 四国一の大河吉野川にしては小さな潜水橋だと思ったら中州に渡る橋でした。この中州がやたら広く、広大な田畑になっていました。

 中州や河川敷は基本国の所有となるはずなので、水害になってもあまり保証は期待できないと思うのですが、とにかく広い中州一面耕地となっていました。

 

徳島のうどん

 吉野川を渡り国道を歩いているとうどんの看板を見つけ入ってみました。

徳島のうどん

 注文したのはざるうどんといかとごぼうの天ぷらです。写真にはいかの天ぷらが奥に見えますがこの後ごぼう天もでてきました。いかの横の大きなピーマン(シシトウ?)ははじめごぼうと間違えたのかと思いましたが、いか天の付け合わせのようです。

 徳島のうどんはやや柔らか目ではありますがおいしいうどんでした。このあとお接待で揚げたてのエビせんべいを袋でいただきました。

 

藤井寺の山門 

 このお寺も山麓にあります。この境内に明日の焼山寺への登山道があり下見しましたがやはり手ごたえのありそうな山道です。

 

セントラルホテル鴨島

 今日の宿はセントラルホテル鴨島です。少し古いですがきれいなホテルです。案内にはコインランドリーの記載がなかったのですが同じフロアにしっかりとあり、さっそく洗濯しました。

ホテル併設のチャペル

 ホテルに併設してあるチャペルは「賀川豊彦記念チャペルカナ」とありました。ホテルで聞くとホテルの先代が親しかったようでホテル併設のチャペルに名をつけたとのことでした。

 

本日の歩行距離  27.53km (ガーミン駆動時)

本日の歩数    54,760歩(歩数アプリ)

四国遍路1日目「梅雨はどこだ!」のつづき

今日の遍路道あれこれ

2番極楽寺から先は案内に従って遍路道を歩いてみました。ところが・・

なかなか趣のある遍路道

石畳のところも。でもこの先は藪だった

案内は頻繁にあるので藪を恐れなければ地図もいらない

 歩き遍路用の遍路道は街道歩きの道と違い、あぜ道のような場所もあります。今日は平地が中心だったので金剛杖はリュックに結わえていましたが藪(マムシが出るとも聞きました)が怖くて金剛杖にご先導ねがい歩いていきました。

 

番外 愛染院

 4番大日寺への歩き遍路道で途中にあります。大きなわらじ、大量のわらじが特徴です。

大わらじが目を引く愛染院の山門

 ここの納経印は竹のヘラの先を細かくして幅広の字体で記帳してくれるのが特徴です。またここのご住職さんは今日の宿越久田屋さんのご主人でもあります。「リュックを預かって宿に持っていってあげようか」とのきわめて魅力的なご提案をいただいたのですが初日から甘えてどうする、と丁重にお断りし、大日寺への上り坂ではげしく後悔したのでした。

 

4番大日寺

 大日寺は岡の上に建つお寺です。3番からは5kmあまりですが灼熱で日陰もあまりない道をひたすら上り続けるので結構大変です。

岡の上の大日寺 きれいなお寺です

 ここでは納経所のお姉さまに「冷たいお水がありますよ」と声を掛けられてっきり販売してくれるものかと思っていましたがタダ!とのこと。さらにビニル袋に入れた氷までくれました。ここまでの道すがら飲料の自販機もなく残ったペットボトルの飲み物をちびちびやっていて本気で熱中症を心配していた時でしたから,心よりありがたく「これもご接待?」と納札を出そうとすると「お寺の行為はお接待にはならないんですよ」と優しく諭されました。

 

5番地蔵寺

もっと小さな寺院を想像していたところ以外にも立派なお寺でした

 地蔵寺大日寺から降ったところにあります。もう午後1時を過ぎていたためおなかもすいたので、地蔵寺近くを見てみましたが特にお店もなく、すぐそばの幹線道路沿いにはコンビニがありますが、この日の宿の越久田屋さんの夕食もコンビニ調達とのことでしたから、そうなると3食コンビニ飯。できればそれは避けたいと思っていました。

お昼の冷麺 写真を撮るのを忘れ少し食べ始めてしまいました。

 食べ物屋さんを探すため、あえて遍路道ではなく幹線道路を歩いていると「お遍路さんお休みください」との看板のあるお店を発見。「飲み物だけでは」と思っていたところ食事もあるとのことで速攻で入店。絵画のギャラリーとカフェを合体させたようなお店で、冷麺を注文したところサラダ、スープ、さらに食後のデザートもついていて大満足。お店のお客さんで高齢夫人の二人連れと少し会話も楽しめました。会計を済ませるとお接待にキャンディーの袋詰めをいただきました。

 

6番安楽寺

安楽寺山門 まるで竜宮城

 安楽寺も大きなお寺です。大きな宿坊もあり最初に初日の宿として予約しようとしたのがここでした。宗派の研修会があるとのことで泊まれませんでした。

 

7番十楽寺

こちらも竜宮城。 右手のコンクリートの建物は宿坊です

 十楽寺も大きな宿坊を持ち、安楽寺で断られた後こちらにも連絡したのですが、改装中とのことでこちらもダメでした。そんな話を納経所でしていたら納経印の係りの女性がその私の電話を受けた人でした。

四国遍路 1日目 梅雨はどこだ!

 昨日のブログで「天気がよさそう」と書きましたが「天気が良いにもほどがある」

朝は若干雲がありましたがそのあとはピーカン天気。徳島のアメダス気温では34度を超えていてまさに「梅雨はどこだ!」急いで日焼け止めを買いました。

へろへろになりながら歩いた一日でした。

 

いよいよスタート

 6時37分の列車に乗りたかったのでホテルの朝食はあきらめコンビニで調達。

いつもの朝ごはんよりかなり質素

 これでも600kcalある。いつもの朝ごはんのカロリーはどれくらいあるの。

徳島駅から池谷駅へ。この駅は不思議な駅で二股に分かれた線路の真ん中に駅舎があります。

池谷駅 乗り換え客はいたが降車客は私だけ

 東林院(種蒔大師)

  四国遍路のスタートを種蒔大師としたのは何かの遍路記事で、これから四国遍路を始める挨拶を弘法大師にする場、と読んだからからでした。到着は7時少し過ぎ。

東林院の大師堂 参拝者は私だけ 

 本堂と大師堂で初めてのお参りをしました。つたない般若心経も参拝者が私だけですから恥ずかしさはありません。持参した納経帳は八十八か所用のため納経所で恐る恐る聞いてみると快く納経帳の後ろの余白に納経印をもらえました。

 ところでなぜここが種蒔大師となっているのかその由来を調べようと思っていましたがまだ未実施。後日報告します。

 

1番 霊山寺

種蒔大師から3.8㎞(とのこと)の霊山寺には昨年10月にケイちゃん(妻)と下見に訪れたことがあります。ここで金剛杖や菅笠も調達しました。

一番札所はやはりお遍路さんも多い

 霊山寺は1番札所ということもありお遍路姿が目立ちました。高齢者の2~3人グループが多く、中にはガイド付きのグループもいました。見た限り歩き遍路はおらず、皆さん車利用のようでした。

 

2番極楽寺

 ここも10月の下見で訪れました。ケイちゃんがご住職にいろいろ聞いて遍路の参考にした場所です。ここの石段は10月の時は身軽でしたから難なく登れましたが、今回は大荷物をしょっていますから難儀しました。

極楽寺山門はカラフルです

なんとない石段に見えますが荷物を背負っていると結構大変

 

3番金泉寺

 ここまで下見で訪れたことがあるお寺です。下見は車移動でしたがナビの性能が良くなく迷いに迷ったお寺でした。

金泉寺山門前にて お遍路姿(でも何となくガイドっぽい)の人に撮ってもらいました

 つづく

四国遍路マイナス1日目 「スタート地点の徳島に」

 6月23日

遍路出発地点となる徳島にやってきました。

 

いよいよ40代からの念願だった四国歩き遍路が始まります。

50前の目論みとしては60歳で定年リタイヤし、その直後から遍路をしようと思っていました。それがリタイヤ年齢がどんどん遅くなり66歳の今になってやっとリタイヤすることができました。

 職場の退任時あいさつでも触れたことですが、長年の務めを辞める「喪失感」といったものはほとんどなく、これから始まる旅への期待でわくわくしています。

 昨日まで予行演習、ブログの開設準備、ガーミンとスマホアプリによる位置情報をケイちゃん(妻)と共有できるようにする設定など、結構忙しい日々を送ってきました。

 

本日の行程

 今日は7月10日の参議院選挙の期日前投票が始まる日です。期日前投票の開始時刻より前に役場の投票所入り口前で待機し、開始後速攻で投票を済ませ在来線、新幹線、高速バスを乗り継ぎ徳島にやってきました。

お昼は名古屋で名古屋コーチン親子丼

名古屋コーチン黄金の親子丼 1200円

午後4時半頃に徳島駅前に到着。宿は昨年10月にケイちゃんと2人で偵察と遍路用品の購入に来た際宿泊したJRホテルクレメント徳島を予約していました。

夕食は徳島駅地下の居酒屋さんに行きました。

鮮カツオのたたき

あすから いよいよ四国遍路が始まります。明日の天気予報は晴れ。良いスタートとなりそうです。

 

本日の歩行距離・歩数

11.6km  24,915歩 いつもの早朝ウォーキングでした。