四国遍路 番外編 7日目 四国遍路大団円とおわび
まずお詫び
昨日の記事で天皇寺、白峰寺の両方で崇徳天皇が入水した、との内容を書きましたが源平合戦で入水したのは安徳天皇でした。崇徳天皇は上皇時代に讃岐に配流され、この地で亡くなっています。 昨日の記事から関連する部分は削除しました。
ブログを見ていた昔の同僚から指摘があり、赤面の至りです。情報発信するときはしっかり調べないといけないなあ、と猛省しています。申し訳ありませんでした。
さぬき市志度の朝
ブログを作り、5時前から歩き始めます。コースは八栗寺に向かう遍路道で片道5km歩くつもりです。
志度はさぬき市の中心部にあります。大きな町ではありませんが、志度寺の門前町として発展したようです。海辺のまちですから道は平坦で歩きやすい遍路道です。
感覚的には左手に見えると思っていたら、道路が少し左カーブしていたようで右手に見えました。自信が無かったので駅で電車を待つ中年女性に聞いたら「そうですよ」との返事でした。この辺は道路と駅が並んでいてプラットフォームの人と歩道の人が会話できます。
この町は平賀源内生誕の地でもあります。
また志度寺への参道の道には宿にした[いしや旅館]もそうですが趣のある建物が幾つもあります。
宿に帰り朝食です。
今日の予定は徳島の1番札所霊山寺に結願の報告と結願証明発行をしてもらい、和歌山高野山で弘法大師の眠る奥の院に結願の報告をする、というものです。
1番霊山寺
8時前に出発。ほとんどが高速道路ですから1時間足らずで到着です。
久しぶりのため本堂と大師堂を間違え、大師堂で本尊の真言を唱えてしまいました。
納経所で納経と結願証明をお願いしました。納経は1番札所に上書きするのだと思っていたら88番の後に納経印をいれてくれます。また結願証明はA3と A4があり値段が違います。せっかくだからとA3でお願いしました。発行手数料は2,000円です。筒の賞状入れに入れ「おめでとうございます」と手渡してくれました。
霊山寺近くの道の駅で徳島の土産を購入します。徳島を遍路した時は歩きでした。また戻ってくるつもりでしたから何も買っていません。ゆずのポン酢などを購入、高野山に向かいます。
途中阪神高速が渋滞で眠くてたまらず、パーキングエリアで顔を洗い、パーキングエリアから本線に合流しようとすると、本線を行く車が3車線だんごになって走っています。合流すると、目の前の黒いセダンが怪しい雰囲気。皆この車を警戒しているようです。こちらもおとなしく黒のセダンの後ろに付きます。しばらく行くと一番外側をスピードをあげた車が進み、黒のセダンを追い越します。早速赤色灯が出た、と思ったらすぐ引っ込めました。神戸ナンバーの覆面でしたからちょうど大阪府との境を超えたあたりで管轄外となったこと、追い越した車も直ぐ気づきスピードを落としたことからお目こぼしにあったようです。
高速道路は高野山の麓まで繋がっています。高速を降りるとあとは登りです。17kmほどでしょうか。急な山道を登り高野山に着きました。一の橋前の駐車場に車を入れ高野山奥の院に向かいます。駐車場の係りの人によれば片道30分程度、との事。
平日ですがさすが高野山。結構観光客がいます。
道の左右には戦国武将、大名家、大企業創業一族などの墓が並びます。
参道沿いだけでなく道の左右にかなり広がって墓石、石碑、石塔が並んでいます。奥の院の観光に来たのなら詳しく見ていくのでしょうが、こちらは別目的ですから急ぎ足で奥の院の御廟を目指します。
奥の院御廟は撮影禁止でした。お参りし結願の報告をしました。奥の院手前にあるお堂で納経してもらいます。私の納経帳は一番初めのページが奥の院になっています。これはお遍路を開始する前にその挨拶として奥の院をお参りする人もいるからでしょう。
納経をしてくれたお坊さん(だと思う)は丁寧な人で、筆で文字を入れる時に「これは仏の梵字です。これは弘法大師と書きます。ここには高野山と書きます」などいちいち説明をしてくれます。また日付印もおしてくれたのはここだけでした。これで四国遍路最大の成果物である私の納経帳は完成しました。
本来であれば金剛峯寺などの参拝もするべきでしょうが金剛峯寺前の駐車場が満車だったこともあり諦めました。大門の写真だけは撮りました。
大団円
これで私のウォーキング日記四国遍路編は大団円です。色々なことがあった2か月で人生最長の夏休みを満喫した気分です。
遍路の最中は遍路とブログ作りで結構忙しく、あまり立ち止まって考えることもありませんでしたが、今後思い返しながらこれからの人生や生き方に思いを巡らしたいと思います。その材料としてはこの2か月充分集まったと思っています。
今後は日常のウォーキング記録を普通の日記として時々あげていくつもりです。
拙い私のブログに最後までお付き合いいただきありがとうございました。