四国遍路 番外編 7日目 四国遍路大団円とおわび
まずお詫び
昨日の記事で天皇寺、白峰寺の両方で崇徳天皇が入水した、との内容を書きましたが源平合戦で入水したのは安徳天皇でした。崇徳天皇は上皇時代に讃岐に配流され、この地で亡くなっています。 昨日の記事から関連する部分は削除しました。
ブログを見ていた昔の同僚から指摘があり、赤面の至りです。情報発信するときはしっかり調べないといけないなあ、と猛省しています。申し訳ありませんでした。
さぬき市志度の朝
ブログを作り、5時前から歩き始めます。コースは八栗寺に向かう遍路道で片道5km歩くつもりです。
志度はさぬき市の中心部にあります。大きな町ではありませんが、志度寺の門前町として発展したようです。海辺のまちですから道は平坦で歩きやすい遍路道です。
感覚的には左手に見えると思っていたら、道路が少し左カーブしていたようで右手に見えました。自信が無かったので駅で電車を待つ中年女性に聞いたら「そうですよ」との返事でした。この辺は道路と駅が並んでいてプラットフォームの人と歩道の人が会話できます。
この町は平賀源内生誕の地でもあります。
また志度寺への参道の道には宿にした[いしや旅館]もそうですが趣のある建物が幾つもあります。
宿に帰り朝食です。
今日の予定は徳島の1番札所霊山寺に結願の報告と結願証明発行をしてもらい、和歌山高野山で弘法大師の眠る奥の院に結願の報告をする、というものです。
1番霊山寺
8時前に出発。ほとんどが高速道路ですから1時間足らずで到着です。
久しぶりのため本堂と大師堂を間違え、大師堂で本尊の真言を唱えてしまいました。
納経所で納経と結願証明をお願いしました。納経は1番札所に上書きするのだと思っていたら88番の後に納経印をいれてくれます。また結願証明はA3と A4があり値段が違います。せっかくだからとA3でお願いしました。発行手数料は2,000円です。筒の賞状入れに入れ「おめでとうございます」と手渡してくれました。
霊山寺近くの道の駅で徳島の土産を購入します。徳島を遍路した時は歩きでした。また戻ってくるつもりでしたから何も買っていません。ゆずのポン酢などを購入、高野山に向かいます。
途中阪神高速が渋滞で眠くてたまらず、パーキングエリアで顔を洗い、パーキングエリアから本線に合流しようとすると、本線を行く車が3車線だんごになって走っています。合流すると、目の前の黒いセダンが怪しい雰囲気。皆この車を警戒しているようです。こちらもおとなしく黒のセダンの後ろに付きます。しばらく行くと一番外側をスピードをあげた車が進み、黒のセダンを追い越します。早速赤色灯が出た、と思ったらすぐ引っ込めました。神戸ナンバーの覆面でしたからちょうど大阪府との境を超えたあたりで管轄外となったこと、追い越した車も直ぐ気づきスピードを落としたことからお目こぼしにあったようです。
高速道路は高野山の麓まで繋がっています。高速を降りるとあとは登りです。17kmほどでしょうか。急な山道を登り高野山に着きました。一の橋前の駐車場に車を入れ高野山奥の院に向かいます。駐車場の係りの人によれば片道30分程度、との事。
平日ですがさすが高野山。結構観光客がいます。
道の左右には戦国武将、大名家、大企業創業一族などの墓が並びます。
参道沿いだけでなく道の左右にかなり広がって墓石、石碑、石塔が並んでいます。奥の院の観光に来たのなら詳しく見ていくのでしょうが、こちらは別目的ですから急ぎ足で奥の院の御廟を目指します。
奥の院御廟は撮影禁止でした。お参りし結願の報告をしました。奥の院手前にあるお堂で納経してもらいます。私の納経帳は一番初めのページが奥の院になっています。これはお遍路を開始する前にその挨拶として奥の院をお参りする人もいるからでしょう。
納経をしてくれたお坊さん(だと思う)は丁寧な人で、筆で文字を入れる時に「これは仏の梵字です。これは弘法大師と書きます。ここには高野山と書きます」などいちいち説明をしてくれます。また日付印もおしてくれたのはここだけでした。これで四国遍路最大の成果物である私の納経帳は完成しました。
本来であれば金剛峯寺などの参拝もするべきでしょうが金剛峯寺前の駐車場が満車だったこともあり諦めました。大門の写真だけは撮りました。
大団円
これで私のウォーキング日記四国遍路編は大団円です。色々なことがあった2か月で人生最長の夏休みを満喫した気分です。
遍路の最中は遍路とブログ作りで結構忙しく、あまり立ち止まって考えることもありませんでしたが、今後思い返しながらこれからの人生や生き方に思いを巡らしたいと思います。その材料としてはこの2か月充分集まったと思っています。
今後は日常のウォーキング記録を普通の日記として時々あげていくつもりです。
拙い私のブログに最後までお付き合いいただきありがとうございました。
四国遍路 番外編 6日目 いよいよ結願。それにしても香川のお寺は神仏混合だらけだった。
坂出の朝
ブログのアップが5時少し前と遅れたため、恒例の朝ウォークは5時過ぎのスタートとなりました。コースは昨日巡った天皇寺までの往復約8kmです。
この日の宿はこの商店街から一歩奥に入ったところにあります。この商店街の道は78番郷照寺から79番天皇寺までの歩き遍路道になっています。
雲はありますが、今日は曇り時々晴れの予報です。天皇寺に着きました。
崇徳天皇殯殿の文字が読めます。
普通の人はこの先にお寺があるとは信じないでしょうね。
この参道の前にはお遍路さんに有り難い施設がありました。
昨日この前を車で通りましたからあるのは知っていました。昨夜の夕食の時、宿の奥さんが「あそこはいろいろなお接待をしてくれる。町の人がボランティアで運営していて寄ればよかったのに」と言っていたので少し残念な思いをしていました。
ここからUターンです。明るくなってきたので行きには気づかなかったものが発見できました。
坂出本町商店街のアーケード街は、宿の奥さん曰く「シャッター商店街」との事ですが、店の看板を見るとほとんどが物販の店です。坂出駅すぐの立地ですから物販から飲食に切り換えると結構再生するのではないか、と勝手に考えました。また古い魅力的な建物もあります。
宿に帰り朝食です。
卵焼きもししゃももおいしく、2杯平らげました。
8時少し前に出発です。今日は81番からできれば88番まで巡り、結願できれば、との予定です。
81番は山道を登ります。山道といっても観光道路ですから2車線で危なくなく登れます。
81番白峯寺
正面は納経所のある建物です。本堂は左に折れた先にあります
この本堂の下に崇徳天皇の陵墓があるとのことで行ってみました。
79番の天皇寺のところで殯を行い、ここに埋葬された、ということでしょう。
天皇陵の前には祭殿があります。
納経印をもらい次へ進みます。
82番 根香寺
81番から82番へは五色台スカイラインという観光道路を進みます。片側1車線の快適なドライブコースですが、82番に着くまでの約8kmですれ違った車はわずか3台。平日とはいえ夏休み中ですから少し寂しくないか、と感じました。
ここは山門の所が尾根筋のようで門をくぐると一旦降ります。そして登りになります。
本堂はさらに登ります。
この寺の本堂は回廊に囲まれています。
境内には掃除する寺の方が二人だけ。静かな寺です。大師堂は本堂より一段下がった場所にあり、納経してもらい駐車場に向かいます。山門のところで若い男女二人連れに会い、挨拶を交わし、どちらからですかと聞くと山口からです、との返事。私は長野からで足摺まで歩きで巡ったが足を痛め、残りを車で巡っている、というと足摺まででも歩いて行った、というのは凄いです。尊敬します、と言われ少し気を良くしました。
83番 一宮寺
82番から83番までは約12km。住宅地にあるお寺です。
この境内でお参りしていると「あれ~」という声が聞こえ振り向くと昨日の78番郷照寺の庭園で言葉を交わした先達と埼玉の中年女性2人のグループです。先達は昨日は青の遍路姿で、今日は白でしたからすぐ気づきませんでした。少し話し、またお会いすることもあるでしょう、と別れました。
84番屋島寺
84番屋島寺は源平合戦の戦場となった場所です。観光地でもありますから駐車場は観光客と同じで、善通寺と同じような仕組みです。
実はこの門の前で小学生低学年くらいの男の子が家族の写真を撮ろうとしていたので「撮ってあげようか」と声を掛けたのです、が逆にお母さんから撮ってあげますよ、と言われ、お言葉に甘えました。
それにしても派手な門ですから、別に本来の山門があるのではないかと探すと、ありました。
更に二の門もありました。
この門は55番南光坊の門と同じで四天王が睨みを利かせています。埼玉女性グループの先達が四天王について説明しています。
広いお寺です。本堂で般若心経を唱えていると、隣でもお経を唱える声が。横目で見ると高齢のご夫婦とみられる二人連れが般若心経をそらで唱えています。邪魔になってはいけませんから声のボリュームを下げて、ささやくように唱えました。このご夫婦は地元の方のようですが、そらでお経を唱えるのですから、だいぶ場数を踏んでいるなと思いました。
85番 八栗寺
85番に向かいます。ナビでお寺の電話番号でセットし案内された場所はケーブルカー乗り場です。この寺も雲辺寺と同じく、お寺まで一般の車は行けない様です。
ケーブルカーの乗客は私と埼玉の中年女性+先達の4人だけ。車内で話を聞くと二人は1国巡りとか言うそうですが一つの県の札所だけを回る観光を兼ねた遍路を、3泊4日の日程で行っている、との事でした。一人は一度結願しているのですが、もう一人は今回初めて、ということでお先達のガイドをお願いしたようです。
このお寺も入り口は
長野のお寺にも境内に小さな祠が祭られているのはありますが、一人前のお宮がお寺に立っているのはあまり見たことがありません。明治期の神仏分離はかなり徹底して行われていた、と承知していましたが、香川ではあまり徹底されなかったのでしょうか。この辺も調べてみたいところです。
ケーブルカー駅から一番離れたところに寺の山門がありました。
お参りを済ませ、ケーブルカーで下山すると12時少し過ぎ。八栗寺へ来る途中、有名なうどんチェーン本店の大きなお店がありました。埼玉グループもそこに入っていきます。私も、と一旦駐車場に入れましたが、大型バスの駐車スペースがあるのを発見。長野戸隠のそば屋も大型バスも受け入れているそば屋は確率的にハズレが多いと思っていますから急遽取りやめ、途中郵便局でお金をおろし、86番に向かいます。お昼はうどんと決めていますから良さそうななうどん屋があれば入るつもりです。
86番志度寺
このお寺は海岸に近い場所に立地しています。近くには平賀源内生誕の家もあるそうで資料館もありました。お寺は
森の中をぐるぐる彷徨い、やっと本堂と大師堂を発見。お参りを済ませ納経して、駐車場に戻ろうとしたのですが、どこを彷徨っているのか判らず、駐車場までだいぶ時間がかかりました。彷徨っているときに五重塔を発見
やっとたどり着いた駐車場から車を出し、うどん屋を探しながら87番に向かいます。
途中良さげなうどん屋を発見。
駐車場が広く、車が何台も停まっていました。
店頭の掲示では
店内に入るとお盆を取ってうどんを注文、天ぷらなどをセルフで取って、その先で出来上がったうどんと引き換えに代金を払う、という丸亀製麺に似た方式でした。自分でうどんを温め、だし汁も自分でかけるというのがセルフのうどん屋イメージでしたが違いました。
うどんは前2日間に食べたうどんに比べればやや柔らか目ですが、だし汁がおいしい。天かすも衣だけのカスではなく具材も少し混じった天かすです。満足しました。
87番 長尾寺
長尾寺は住宅街にあります。
比較的コンパクトな境内です。中には観光客らしき家族連れが。お参りを済ませ駐車場に戻るとき高知ナンバーの車が駐車場に入ってきました。車から降りたところで挨拶すると高知県の中年女性で今回で2回目。逆打ちで88番から巡っている、との話でした。お互いに頑張って、とエールの交換を行い、88番に向かいます。
当初は87番でこの日は終了とし、翌日88番を結願してそのまま徳島の1番霊山寺に向かう計画でしたが、最後の札所だけ残すというのも何か落ち着かないものがありました。まだ2時半ですから88番を打って志度の宿に戻るとちょうどよい時間になりそうです。
88番に向かう途中遍路交流館に寄りました。
遍路交流館
交流館の中には女性スタッフがいました。歩きですか、と聞かれ「足摺までは」と答えました。遅れてだいぶ回数を重ねたことが伺える高齢のお遍路が入ってきました。女性スタッフが対応している間に館内を見学します。
「札所0番」との案内のジオラマもありました。
女性スタッフは先ほどの高齢遍路とまだ何か対応しています。お礼を言って最後の88番に向かいます。
88番 大窪寺
本来の山門もどこかにあるはず、と探したらありました。
この山門の前は石段でお土産物屋が並ぶ参道に繋がっています。
大師堂はこの左手、ド派手な門との間にあります。本堂、大師堂でお遍路最後の般若心経を唱え、納経所で納経印を頂きました。納経所に「結願証明」の発行の案内もありましたが、明日は徳島のお土産調達のため1番霊山寺そばの道の駅に行く予定です。結願証明は霊山寺で頂くこととして、今日はこのまま志度の宿に向かいます。
本日の宿いしや旅館
建物全体が重要建造物指定を受けているとかで古いですが趣があります。建物は中庭2つを挟んで3列の建物があり2列目、3列目が客室、1列目が母屋になっていて渡り廊下でつながっています。
今日は同宿者がいるとかでお風呂は順番です。風呂と洗濯を済ませると夕食の案内がありました。
真ん中の角皿はたこで梅肉で頂きます。どれもおいしく焼酎と共に残らず頂きました。
四国遍路 番外編 5日目 弘法大師 生誕の地 善通寺の大師堂は本堂より立派だった
観音寺の朝
今朝はブログも4時半にアップできたので5時前から歩きます。
コースは海岸コースと本山寺までの歩き遍路コースで迷いましたが、少しででも歩き遍路の気分を味わいたく、歩き遍路コースにしました。このコースだと財田川沿いの道ですから迷わないで済む、というのも理由のひとつです。
天気が良いせいか明るくなるのが気持ち早いような気がします。
基本、歩道もあり平坦ですから歩きに問題はありません。でもここも歩き遍路向けの案内が無いな、と思っていたら
そうこうするうちに日の出です。
右手に小さく五重塔の先端が見えてきました。本山寺でしょうか。
一応今日は10kmを目安にしていましたからここから引き返します。
今日は宿で朝食は摂らず、72番への途中にあるコメダ珈琲のモーニングにしようと決めていました。
宿の朝ぶろで汗を流し、荷物の整理をし、8時前に出発です。
予定通りコメダ珈琲でモーニングを注文します。
実はコメダ珈琲のモーニングは初めてです。中々充実しています。
72番曼荼羅寺
曼荼羅寺は山裾のお寺で、境内はそれほど広くありません。駐車場には駐車料200円の案内が。
本堂も大師堂もロウソク立てには一本も立っておらず、香炉に線香もありません。どうも私が今日最初の参拝者のようです。今日は月曜日ですから参拝者も少ないのかもしれません。でも納経所にろうそくや線香を買い求める中年女性2人組が。少し話しました。また駐車場に向かっていると遍路姿の高齢女性が入ってきて挨拶を交わしました。
73番出釈迦寺
出釈迦寺までは400mです。ガイドブックの地図を見た時には同じ駐車場で歩いていくのだろう、と勝手に想像していましたが、そうではなく寺の横に広い駐車場がありました。
参道に、歩き遍路の頃、徳島の鯖大師で見た干支別の守り本尊の石仏がありました。
ちなみにケイちゃん(妻)は丑年ですから虚空蔵菩薩だそうです。
この寺も境内は広くありません。駐車場には何台か停まっていたのですがここも誰もいません。
納経所で駐車料金について聞いたら「ここは頂いていません」とのお言葉。車遍路をやってみると多くの寺で駐車料金があります。納経料は300円のままで、こちらで収入を増やす考えかもしれません。
次の甲山寺までも約3km。近いです。甲山寺は大きな工場の隣にありました。
74番甲山寺
この寺も境内には誰もいません。納経所で聞くとやはり平日は参拝客は少ない、とのこと。それでも駐車場に行くと72番で見かけた高齢女性遍路の車が入ってくるところでした。
次の善通寺までも2㎞弱。この辺は札所の間隔が短く、すぐ着きます。善通寺市街のはずれにあります。
さすが市の名前にもなっているお寺です。大きな境内を持っているようです。
広い境内を横切って山門に向かいます。
善通寺の由来を読むと弘法大師生誕の地、とのことです。それもあってか大師堂は独立した境内を持っていて
山門も本堂に向けた山門に負けず劣らす立派です。
さすが生誕の地。他の札所の大師堂に比べ数倍立派、善通寺本堂よりも立派なくらいです。
納経所で72番から何度かお見掛けした高齢女性の遍路が係りの人と何か話しています。納経帳を見ると真っ赤。そうとう巡っているようです。声を掛けるか迷いましたが、何か話しかけられることを拒絶するような雰囲気があり、やめました。
76番金倉寺
善通寺からは約4kmです。街中にあります。
この本堂には
「金」に「倉」でおめでたいからでしょうか。でも若干違和感はありました。
77番道隆寺
街中の札所でそれ程広くありません。境内にはほとんど人が居ませんが、私より少し年配の男性が本堂や大師堂をぐるぐる回り、何度もお参りしています。お百度参りなのでしょうか。声もかけられず、こちらは参拝を済ませました。
78番郷照寺までは約7km。ナビの案内で進みますが、途中工事中の道があり迂回路をぐるぐる回ってやっと着きました。
78番郷照寺
山裾のお寺で立派な庭園があります。
この写真を撮っていると、上の大師堂から先達のガイドで観光している中年女性二人組が降りてきました。先達に話しかけ、中年女性とも少し話しました。埼玉から観光で来た人でした。
79番天皇寺
天皇寺までは約6kmです。ナビの指定した場所に着くと正面は山門ではなく鳥居です。
明治になった時、神仏分離が行われましたから不思議に思って納経所で聞きました。
ご住職(だと思う)は神仏分離の際、一旦寺は別に移ったのだがまたここに移ってきたのでこのような境内配置になっている、とのお話でした。境内のど真ん中に神社ですから本堂、大師堂と併せ、神社もお参りしました。
予定では今日はここまででしたが、時間があるので80番まで打つことにしました。
さすが国分寺ですから広い境内です。本堂のお参りを済ませた後、大師堂を探しますがありません。納経所で聞こうと納経所の案内看板を見ると大師堂も併せて案内されています。大きなお堂の中に大師堂と納経所がありました。
参拝を済ませ、大師堂の横にある納経所に行くとコロナでどこのお寺も経済的に大変だからお車の人は気持ちで良いのでご寄付を、と箱がおいてあります。さすがに無視はできず200円入れました。
今日の遍路はここまで、とし時間を見ると1時半。国分寺に来る途中、いかにも昔から営業しているような小さなうどん屋があり、駐車場に車が何台も停まっていましたので行ってみました。
店内は結構広く、先客で3人組の観光客らしき人がいました。ここもつゆはセルフですが品物を注文し、カウンターで代金交換で受け取る仕組みです。昨日の釜玉うどんの反省からぶっかけを注文しました。
手打ちのやや不揃いのうどんでコシは十分です。セルフで注いだ汁も良い味でした。
番外の番外 金毘羅さんへ
食べ終わって2時前。これなら金毘羅さんへ行けるな、とナビで設定し向かいました。距離は17kmとの表示です。途中、ずっと晴れていたのに黒い雲がかかりそのうち夕立のような強い雨が降り始めました。さすがに雨降る中金毘羅さんの石段を登るのは有り難くないな、と思っていると金毘羅さんに着く前に雨は止み、少し明るくなってきました。
目についた駐車場誘導のおばあさんに誘われ車を停め、ネットでこの後の天気を確認すると雨の心配はなさそうなので菅笠、金剛杖の遍路支度で向かいます。
この建物の先に金毘羅さんへの石段の登り口がありました。
案内によれば石段の数は785段とのこと。歩き始めは何段かの石段があり平地がある、といった歩きやすい登りです。
「荷物預かります」といった案内が目につきます。昔何かで読んだ記事に駕籠かきさんに運んでもらえるサービスがあるとの記憶があるのですが、そうした案内はありません。
まだ石段は続きます。
小さい子も登っています。
この辺りまで来ると脱落したのか人の姿が減ってきます。
この石段の上に屋根のある長い腰掛があります。多くの人が連れに「私はここまで」と言っているのが聞こえます。
もはや石段マニアと化したうっしーにとってもきつい石段でした。
これを登ると
あれ、本当に785段登ったの?というのが実感で、お守り売りの女性にこの先もあるのですよね、と聞くと奥宮まで続きます。との返事。そちらに向かい、案内を見ると片道30分との事。さすがに奥宮までいったら時間が無いと諦めました。
駐車場に戻ると3時半。宿に電話し4時前に入る事を了解いただき向かいます。
今日の宿はビジネス旅館川久米。お風呂はステンレスの内貼で4,5人が入れる大きさがあります。湯船につかっていると沢庵漬けの大根が水槽で洗われているような感覚になりました。同宿者はお遍路さんが一人いるとのことですが素泊まりで、遅く入って早く出ることからお目にはかかれませんでした。
夕食は私一人。宿の奥さんが話し相手になってくれました。話付きの奥さんで足の痛みなどの話で盛り上がりました。夕食写真は忘れました。
焼酎2杯の効果もあり、ぐっすりと眠れました。
四国遍路 番外編 4日目 雲辺寺は車でもいけない難所。そこに歩きで挑む人もいる
西条市の朝
今日は深夜から断続的に雨が降っています。天気予報でも朝4時頃をピークに大雨とのことです。恒例の早朝ウォークは諦め、ブログ作りに精をだしました。朝食もコンビニしかないかと思いましたが、そういえば納豆をこの何日も食べていない、これは納豆を食べなければいけない、と納豆メインで朝食の購入をしました。
さすがに3パックは多いだろうと思いましたが、他におかずがないので案外ペロリと食べられました。
今日は前日に本日予定の札所2か所を回っているので、予定では65番から70番まで6か所、うち1か所は同じ境内に二つのお寺があるところですから、5か所巡ればよいだけです。楽勝で午前中には終わらせて金毘羅さんにでも行こうかと思って出発しました。時々雨が強く降るあいにくの天気です。
65番 三角寺
ぎりぎり愛媛県のお寺で、愛媛県最後の札所です。標高は350m程ですが結構登った気がします。駐車場は200円の有料で、ポストにお金を入れる方式です。
雨が降っていますから石段を雨水が流れ落ち靴を濡らします。
鐘楼門のように二階に鐘があるのではなく門の中、人の頭よりやや高いところに鐘が吊るされています。
境内には良い塩梅でモミジが植えられています。紅葉シーズンはさぞかし良い風情となるだろうと思いました。
納経所で駐車場の話になり、実は下の駐車場はお寺の管理ではなく個人の管理となっている、とのことでした。集客が期待できる四国遍路の札所ですから、お寺だけでなく様々な形で利益の種にしていく様子が伺えました。
雨も小雨になってきて次の札所に向かいます。次は四国遍路の難所とも呼ぶべき雲辺寺です。カーナビの指示で向かいますが、予想より標高を稼ぎません。麓の小高い尾根のようなところ進みます。急に坂がきつくなるのか、と思っていたら到着しました。なんとロープーウェイの山麓駅です。カーナビに登録したのはあくまでも雲辺寺の電話番号です。それがロープーウェイの山麓駅です。ロープーウェイの待ち時間にケイちゃん(妻)と電話で話しました。妻が言うには雲辺寺への車道は工事か何かで通行止めになっている、との事。つまり車では雲辺寺まで行けず、ロープーウェイを使わざるをえないようです。ロープーウェイの山麓駅に遍路姿は私だけ。日曜日、夏休みということから家族連れが目立ちます。ロープーウェイは20分間隔での運行ですからしばらく待つと出発です。
しばらく前まで雨が降っていた訳ですから、山の上は雲がかかっています。
山頂駅に着きました。標高が900m以上の場所ですから気温も低く
山頂には公園もあり、天空ブランコなどもあるそうで、家族連れは雲辺寺ではなく公園に向かいます。
一部の観光客と共に雲辺寺に向かいます。途中には
釈迦涅槃像もありました。
雲辺寺の山門はだいぶ降ったところにありました。
本堂と大師堂はかなり離れた場所にありましたがお参りし、納経所で納経印を頂くときに、歩き遍路さんが歩きで登ってくることもあるのですか、と聞くと「時々いらっしゃいますよ」と涼しい顔で返事されました。三角寺からは尾根道が多いようですがそれでも三角寺と雲辺寺の標高差は600m近くあります。車も通れない(そうはいってもルートはあるようで宅急便のトラックが山頂にきていました)場所に歩きで来ている遍路がいることに改めて感動を覚えました。
雲辺寺からロープーウェイで降りて67番大興寺に向かいます。もう11時半。今日はまだ2つのお寺しか打っていません。大興寺までの途中でお昼にします。香川県と言えばうどんです。道路沿いのお店(地元ナンバーの車が何台も停まっていたので決めた)に入りました。
セルフではなく注文して持ってきてもらえるお店です。天ぷらやおにぎりはセルフでした。店のお客はおでんも注文しています。気になりましたが今朝歩いていないので釜玉うどんとセルフの天ぷらだけにしました。
コシのあるおいしいうどんです。ただ本場さぬきうどんに対して期待値が高すぎたためか、それ程感動する味ではありませんでした。釜玉ではなく、ふつうのぶっかけうどんのようなものの方が良かったかも知れません。
食べていると会計に向かうおじさんから「順番に回っているのかい」と声を掛けられました。「はい、順打ちです」と答えると「自慢じゃないがおれも20回巡っているんだ。がんばれよ」と言ってくれました。
67番 大興寺
大興寺は山裾の田んぼの中にありました。
このお寺も
石段を上がると目の前の本堂は解体修理中でした。
工事中の本堂前に仮設の参拝所がありそこでお参りです。ここで若い男女二人連れと一緒になりました。男性の方は半そでの下からタトゥが覗き躊躇ったのですが、声を掛けると誠に気のいい男でした。地元で休みにまねごとをしている、との事です。
大興寺から68番、69番までは少し距離があります。
68番神恵院 69番観音寺
ここは四国八十八か所霊場の中、唯一同じ境内に二つの札所があるところです。駐車場に見たことのあるバスが停まっています。
観音寺本堂前で皆で声を合わせてお経を唱えています。
私は神恵院本堂からお参りします。
周りがコンクリートの壁に囲まれ、半透明の屋根がかかっています。お経を唱えてみると反響して良く響きます。大人数でお経を唱和すると迫力あるだろうなと思いましたが、それだけのためにこの仰々しい箱は疑問です。
隣の大師堂でお経をあげていると例の団体のお経とかぶさってしまいこちらも変な節がついたお経になりました。
観音寺のお参りも済ませ、納経所で納経を済ませました。団体参拝について聞いてみると、係りのお坊さんによれば7月頃少し増えたが、また少なくなって今は本当にたまに来るくらい、との事でした。
70番 本山寺
本山寺までは5km程。こちらは平らなところにあるお寺です。
別な方角にも門がありました。
本山寺には五重塔があります。この五重塔は令和の大改修とかで寄付を呼び掛ける看板があちこちにありました。
こうした寺の施設は重要文化財だとしても、国で全部改修費用を負担するわけではないようで、地元やお寺、檀家の皆さんもかなりの負担があるようです。
ここでも例の団体と一緒でした。もう愛着すら湧いてきます。
お参りと納経を済ませると午後2時半。宿に入るには早すぎるし、金毘羅さんに行くには遅すぎるので、行けるところまで行こうと次の71番を目指します。
71番 弥谷寺
あまり予備知識もなく向かった弥谷寺ですが、これが結構歯ごたえのあるお寺でした。駐車場に着いたのですが、まだ車道が上に向かっています。そこには有料道路との案内が。迷っていると若い男性が、「足の弱い人などはこの上の駐車場にも行けるのですが有料ですよ」と教えてくれました。仮にも歩き遍路を志し、足摺岬までは歩いた私が「足の弱い人」の訳が無く、その駐車場に車を停め、金剛杖にもご登場願い参道に向かいます。山道ではないですが石段の参道です。
先ほどの若い男性はこの階段が結構長いと言っていましたが、確かに長い。
石段はさらに続きます。
まだ石段が続きガックリしました。
前を行くのが駐車場でいろいろ教えてくれた男性です。若いので追い越されました。
この先は90段と聞きましたので都合540段の階段になります。
本堂に着いたら息絶え絶えで、写真を撮るのを忘れました。
ここでも例の団体さんがいました。皆さんそれなりのお年ですから上の駐車場からでしょうが、それでもバテバテといった感じです。
この寺の大師堂は建物の中に靴を脱いで入り、納経所が横にあります。納経所の方々の視線を意識しながらのお参りで少し緊張しました。ここで、今日何度か一緒になったタトゥの入った気のいい若者と奥さん?の二人組と一緒になり降りは一緒に降りました。まだ現役世代ですから明日は仕事とのことです。
今日の宿
今日の宿ファミリーロッジ旅籠屋観音寺店に向かいます。ところがナビの電話番号設定で案内されたところはビジネスホテル観音寺。ファミリーロッジ旅籠屋はチェーンで同じ外観のはずですからこれはおかしいと宿に電話し、住所設定で何とか到着しました。
このチェーンは初めて泊まりますが、先輩遍路の栃木のOさんなどは贔屓にしている宿です。
ベットはダブルサイズで、浴室とトイレも別々、冷蔵庫もあり、下手なビジネスホテルなどより数段快適な客室です。広い浴室で早速風呂に入り、洗濯を始めながらこのブログを書き始めました。この宿は簡単な朝食をセルフで用意している、との事ですが基本食事はありません。街中だから何かあるだろうとネットで調べたら宿の200m先にラーメン屋を発見。そういえば昨日中華屋さんに行こうとして閉まっていたことを思い出し、頭は断然中華に傾きます。6時になるのを見計らい店に向かいました。頼んだのは餃子と焼酎。
餃子は看板商品のようで特に特製タレ(茶色い味噌みたいに見えるもの)で食べるとなかなかのものです。またお通しの雑魚煮干しの素揚げはニンニクを利かせているそうで、残念ながら匂いを全く感じない私にはその香りは判りませんでしたが、おいしい一品でした。脳挫傷で匂いを感じなくなっている事を店主に話し、しばらく匂いの話で盛り上がりました。お腹と相談するとまだ不足と言うのでラーメンも注文しました。
餃子、ラーメン、焼酎3杯でちょうど気持ち良くなり宿に帰り就寝です。
本日の距離 0
本日の歩数 11,586歩(歩数計アプリによる)
四国遍路 番外編 3日目 お寺の維持にもお金がかかる
四国遍路 番外編 3日目
松山の朝
恒例となった朝ウォークを5時前から行いました。コースは53番から54番までの歩き遍路コースを片道5km往復します。
海岸沿いですから極めて平坦な道で歩道もあり、問題なく歩けます。ただ遍路道の案内が見当たらず、少し心配になりました。
5km地点でUターンします。帰りは来た道ですから迷うことはないだろうと思っていましたが、見知らぬ場所に出て焦りました。曲がるべきところを直進したようです。急いで戻り10kmの予定が11km強のウォークとなりました。帰ってすぐ朝食です。
納豆が無いのが残念ですがおいしく頂きました。
8時前に出発しました。今日は54番延命寺から今治の札所6か所、西条市の札所5か所巡る予定です。ただ60番横峰寺、は愛媛最大の難所ですから場合によっては翌日にするつもりです。
今治までは朝のウォークで通った道をひたすら進みます。
54番延命寺
予定よりやや早く延命寺に到着しました。
9時少し前ですが駐車場には1台も止まっておらず、境内には落ち葉を掃除するおじさんが一人だけ。境内も広くないのですが大師堂は一段高いところにありました。
車遍路の順打ちだと概ね同じタイミングで参拝しますから、今日は一人のお遍路とも会わずに終わってしまうのではないか、と嫌な予感が走ります。納経所に10円玉の両替がありました。お賽銭の10円は不足気味なので500円両替してもらいました。
55番に向けて出発します。札所はほとんど電話番号を登録していますから電話番号を入力するとカーナビがピンポイントで連れて行ってくれます。便利ですが、歩き遍路時代の遍路案内マークを見落としたらどうしよう、といったストレスや案内通りにいったら道が藪になっていて悪態をつく、といったトラブルも今思えば「悪くない」と思います。
55番は今治市の街中にあります。
55番 南光坊
南光坊の駐車場は境内にあります。ここも停めているのは私一人です。
境内には地元の人と思われる自転車の男性と携帯で迎えをお願いしている高齢女性だけです。納経所で「四天王の山門とは珍しいですね」と声を掛けると「来る時、帰る時の両方を見守っているんです」との返事。ナルホド。
56番 泰山寺
南光坊から次の泰山寺まで3km程です。寺の前の駐車場に入ると大型のバスが停まっています。団体のお遍路でしょうか。嫌な予感がして寺に向かいました。
石段に座っている人は「先達」のネームプレートをしています。足が悪い様で、石段を登らず、下で待機しているようでした。
境内に入ると、いました。大師堂の前で正式な参拝を皆でしています。
個人の遍路が、できれば団体お遍路とかち合わないようにと祈るのは、団体遍路の場合全員分の納経帳をまとめて係りの人が納経所に持ち込むので、個人のお遍路の納経待ち時間が長くなることによります。
今回は場合どうだろう、と納経所に行くと団体分はもう済んでいるようで、すぐ納経印を押してくれました。係りの人に個人の遍路の待ち時間について尋ねると、「うちは個人の遍路優先で団体は後回しにしますよ」との返事。今日の団体については「久しぶりの団体だった。やはり先達さんの主催する団体のよう」とのことでした。納経後駐車場に向かうときに2人連れで2組ほどの遍路さんが車から降りる時でした。簡単な挨拶をして別れました。
57番 栄福寺
次の札所栄福寺までは3kmほど。少し小高くなったところにお寺はありました。
先ほどの団体がいるのではないかひやひやしましたがバスはいません。
栄福寺は比較的小さなお寺です。
お参りを済ませ、納経の時「歩きですか」と聞かれ、足摺までは歩きで今は車、と答えると「車なら申し訳ないが駐車料金として100円お願いできないか」とのお話。断れるはずもなく駐車代も払いました。
次の58番仙遊寺までは距離は3km程ですが標高差が200m以上あります。車で登るのも結構大変でしたが、歩き遍路にとってはきつい札所でしょう。
58番仙遊寺
坂の途中に「この道は寺の私道となるためその整備管理は寺の負担となるのでその一部として駐車場代普通車400円」との案内がありました。こっちは400円かよ、と思いましたが、2km以上の山道を管理するのだから協力しなければ、と思い直しました。
仙遊寺は山の上にあります。駐車場には結構車が停まっていましたからにぎやかな境内を想像しましたが人はいません。
山の上ですから見晴らしは良く、展望台もありました。
また宿坊も立派です。
納経の時、係りの人に宿坊はやっていますか?と尋ねると、「やっていますよ。今日も何人か泊まっています」との返事。駐車場の車は宿泊の人のようです。新しい宿坊ですから少しでも営業しないといけないのかもしれません。
仙遊寺から降り、次の札所を目指します。
59番 国分寺
今の愛媛は松山が中心ですが、今治市に国分寺があるということは律令時代、ここに国府があり伊予の中心だった事がわかります。
56番の泰山寺駐車場で挨拶したご夫婦とみられる2人組と少し話しました。徳島の人でした。順打ちですからまたお会いするかもしれませんね、といって別れました。
納経所で、来る途中に思った、「今治が律令時代の中心地」について聞いてみると「そのようですね」とそっけない返事。あまり歴史に興味が無いのかもしれません。
次は順番通りだと60番横峰寺です。ここは愛媛の札所最大の難所で険しい山中にあります。遍路のガイドブックでも「60番を飛ばし、61番、62番、63番と打ってその後60番に行った方が良い」となっていますし、まだ昼前で十分時間もあることからガイド案内通り61番を目指します。
途中に道の駅を発見。お昼にします。車遍路だと駐車場が広く、地域の物産もあってお土産も買え、地域名産を中心とした食事メニューもある道の駅はとても便利です。この間も道の駅でお昼にしましたが、味もそこそこです。今日は
汁もすまし汁でおいしく頂けました。
61番香園寺
このお寺は変わっています。
ほかのお寺のように本堂と大師堂それぞれのろうそく立て、香炉はありませんからここで2か所分あげました。ところで本堂と大師堂はどこだ、と思って建物に近づくとそこにも賽銭箱と納札入れがあるのでお参りできるようですが、「本堂と大師堂は階段を登り2階」と案内があり行ってみました。
建物の中はちょっとしたホールでご本尊を囲むように多くの椅子(それも市民会館にあるような椅子)が並んでいます。 本尊の隣に大師像が配置され、ここでそれぞれお参りしました。ただ薄暗いため、般若心経の文字が見づらく、つっかりながらのお経になってしまいました。
納経所は建物横のプレハブです。何人か並んでいて、ここで徳島のご夫婦のご主人と少し話しました。まだ現役なので休みの日に区切りで回っている。初めての遍路で最初は母親と回ったが母が体調を崩し、今は奥さんと回っている。今までは一泊したことが一度あるだけであとは日帰り、といった内容でした。確かに四国の人であれば高速道路も整備されてきていますから日帰りで遍路できるかもしれません。
62番宝寿寺
香園寺からは1kmほどです。
駅前にあるお寺です。少し離れたところに駐車場があり駐車料金は300円でした。
寺そのものは大きくはありません。寺の横はJAの施設で「宝寿寺の駐車場ではありません」と何か所も案内があります。街中のお寺も大変です。
63番 吉祥寺
吉祥寺まではここも約1km。すぐです。
境内に入ると本堂が工事中です。
どこでお参りをすればよいか戸惑っていると、徳島のご夫婦が「大師堂で良いようですよ」と教えてくれました。確かに本尊は大師堂に安置してあります、との案内があります。ただロウソク立ても香炉も大師堂のものだけ。それぞれ立てるか、省略するか悩みましたが、省略で決定。お参り後、納経所で「大規模な工事ですね」と聞くと「見た目はほとんど変えず、耐震工事が中心なんです」との返事。
四国の88か所札所も多くのお遍路が参拝にきてかなり潤ったのでしょうが、参道の整備や建物の補修などお寺の維持にはかなりお金がかかります。特にここ何年かはコロナ感染拡大によって、増えてきていた外国人も全くいなくなり、国内旅行も自粛が続きましたからどこのお寺もかなり苦しいのでしょう。駐車場代くらいは一般の遍路も協力しなければ、と思います。それにつけても納経の値段が300円というのは、遍路の立場から言えばありがたいですが、一般の御朱印に比べるとかなり安い設定です。想像ですが88か所のお寺の皆さんの会合などでは値上げも論議されているのではないでしょうか。ただ、安い納経料というのも遍路人気を支えているので慎重に検討してもらえれば、と思います。
60番 横峰寺
いよいよ愛媛札所最大の難所横峰寺に向かいます。歩き遍路では、焼山寺の遍路ころがしなどと並び称される横峰寺です。ガイドブックの地図によれば車の場合ほとんどが林道です。それも有料。一般道(この道も決して広くはない)から林道に入ります。車のすれ違いもできない狭い山道です。新潟県から栄村の秋山郷に行く道と印象が似ていて、見通しの悪いカーブが続きます。交通量が少なく行きで2台、帰りは3台とすれ違っただけなので助かりました。それでもすれ違いはどちらかが道幅が広いところまでバックしなければなりませんから大変です。途中に料金所がありました。有料道路代が普通車1,850円!。高いと思いましたがこの道路を維持するため、と無理に納得しました。
駐車場に到着しました。駐車場の案内を見ると横峰寺はここから降ったところにあるようです。金剛杖にもご登場願い、山道を降ります。降りですから楽ですが、帰りのことを思うと憂鬱になります。しばらく行くと横峰寺の境内が見えてきました。
山門を探すと境内の下にありました。
山門の手前は本来の参道です。
経験しているだけに山道の参道は本当に大変です。
境内には中年女性の4人組が遍路姿でお参りしていました。話しかけようか迷いましたが、何か取っ付き辛さを感じやめました。お参りし、納経を済ませ駐車場に向かいます。登りです。
歩き遍路に比べれば何ていうこともない道ですが、歩き遍路を経験したことのない人や高齢の方にとっては辛い登りでしょう。
駐車場に着くと先ほどの女性4人組が売店の前の席で何か注文していました。彼女たちにすると一仕事終えた感覚なのかもしれません。
こちらはすぐ降りにかかります。険しい山道の降りですから慎重に運転します。途中マイクロバスと向き合い焦りましたが、私が少しバックしてすれ違いました。料金所ではさすがに帰りも1,850円だったら怒るよ、と思いながら、行きの領収書をヒラヒラさせると手で〇をつくり行っていいよの合図。無事林道を通過しました。
64番前神寺
前神寺はナビで電話番号設定ができず住所で入れました。案内通りに進むと目の前に前神寺駐車場の看板が。でもナビは左折を指示します。戸惑いましたが、ナビより目に見えている方を信じ直進。無事駐車場に入れることができました。
駐車場から境内までは少し歩きます。
ここの本堂は立派でした。
このお寺は石鎚山の修験道の拠点となっていたようで寺務所の建物も立派です。
宿坊ではありませんが修行する人の宿泊施設もあるようです。
境内で横峰寺へ向かう途中見かけた歩き遍路の若い方と会いました。声をかけ、私も歩き遍路をやっていたが足摺で足を痛め、車遍路に切り換えた話をすると「私も足摺で足を痛めました」とのこと。「頑張ってください」と声を掛けて別れました。
今日の宿湯之谷温泉へ
ちょうど午後4時で、宿に入るには良い時刻です。宿に向かいます。今日は食事付きの一般の宿泊としては満員で断られ、ドミトリーとしてほぼセルフで食事提供もベットのシーツかけも自身で行うコースでの予約です。
部屋に入ると机がありません。ただ洗濯室に行くと机があります。ここでいいやと温泉のお風呂を済ませた後、洗濯機を回しながらブログを書き始めました。建物は新しく清潔です。
ドミトリー棟の宿泊者は今日は私だけのようです。夕食をとるため宿から200m程先の中華屋さんに行ったのですがやっていません。別のハンバーグ屋さんの看板を見つけ行ってみると閉店の看板が。やむなくその先のローソンで夕食とお酒を調達しました。
部屋での飲食は禁止ということでドミトリー棟1階の談話室で夕食です。
メインは野菜たっぷり焼きビーフンです。
食事を済ませ8時前に就寝です。
四国遍路 番外編 2日目 車遍路はあわただしい
久万高原の朝
今日も朝からウォーキングのつもりでしたが、1日目のブログづくりに時間がかかり5時過ぎから歩き始めました。久万高原は四国とはいえさすが高原。朝のアメダスデーターは18度と長野より涼しいくらいです。
でも明るくなるのはやはり5時半頃です。
宿の前の国道33号はかつての土佐街道で松山から高知に抜ける幹線でした。そのため33号に隣接して旧道があり、風情のある街並みが2km以上にわたって続きます。
小学校も変わっています。
由緒ある学校で、かつての校舎を生かした新しい建物なのかな、と思っていました。ウォークの帰り道にこの小学校の前に散歩中のご夫婦がいて話を聞くと、この辺りは木材の大産地で、町の建物は皆木造で作っている、とのことで前の学校は普通の建物だったようです。他にも可愛らしい建物がいっぱいあるよ、と奥さんが誇らしげに教えてくれました。
またこの道は遍路道にもなっています。
この案内の先には門がありました。行ってみると
この總門から先は門前町になる訳ですから大きなお寺であったことが判ります。
宿に帰り朝食です。
朝食後、8時前に宿を出発します。今日は松山市内の46番から53番を回る計画です。前日の日程が厳しく、ひょっとしたら44番、45番は回れないかもしれない、その保険としてこの日の日程はゆるめに組んでいます。今日は順調にいくと時間がとれるので、以前松山に来た時、行こうと思って行けなかった松山城の見学ができればいいな、と車を走らせます。
46番浄瑠璃寺
46番浄瑠璃寺には9時前に着きました。
浄瑠璃寺には山門はありません。市内に近いお寺ですからこじんまりとした境内です。
境内には猫が二匹と高齢ご夫婦のお遍路が居ました。ご夫婦は私がお参りしている間に納経を済ませ境内からいなくなりました。私が納経所に行くと話好きのお寺の奥さんで、私が長野から来たと言うと、今年善光寺の御開帳と松本城に行った話をしてくれました。こちらもそばの話などで盛り上がりました。
47番八坂寺
46番から47番は約1km。すぐです。
境内には46番にいた高齢者夫婦の遍路もいましたが、話をする機会はありませんでした。他にも観光客らしい参拝者がちらほら居ます。
48番西林寺
交通量の多い道沿いで街中にあるお寺です。
このお寺で先のご夫婦のお参りの様子を見ることができました、私のようなろうそく、線香、納札、お賽銭、般若心経、本尊真言または高祖寶号、といった簡略なものでなく、光明真言や回向文など、先達のようなお参りです。納経の時少しお話しすることができました。京都から来られた方で、今回で7回目とのことです。「どうりで駆け出し遍路の私とは参拝の仕方や般若心経の年季が違う」というと照れていました。
49番浄土寺
浄土寺までは約3kmです。街中のお寺のため参拝客が多くいました。
50番 繁多寺
繁多寺は境内が静かでよい環境でした。帰りに駐車場で到着したばかりの京都のご夫婦と一緒になり、「今日はどこまで回られますか?」と聞くと、「行けるとことまで行くつもりです。今治に宿はとっています」との返事でした。だとするともうお会いすることもないと思うのでご挨拶をして別れました。
51番石手寺
石手寺までも3kmほどです。
その奥は
この手前には茶店もありました。通りの店はおみやげ、扇子、仏壇掃除用の箒、などいろいろな店がありました。その先に
山門がありました。前のアーケードは仲見世のようです。この寺には
また多くの地元の方が何か準備をしています。
本堂の脇でお茶を飲んでしゃべっていたおばさんたちに「何があるんですか?」と聞くと「明日、お寺で施餓鬼があるんですよ」との返事。納経所にいた地元のおばさまお遍路さん(この方は前の寺でもお見掛けしました)は「この時期どこのお寺でもやっていますよ。浄瑠璃寺では昨日でした」とのお話です。この地元のお遍路さんはすでに70回以上廻っているとかで納経帳は真っ赤です。私が足摺までは歩きでやったが足を痛めて車に変えたことを話すと「お遍路は楽しまなければだめ」と諭されました。
石手寺までは松山市の東の山沿いに点在しています。この後52番の太山寺までは松山市内の道後など繁華街を突っ切って行く10kmです。道後温泉本館前も通過しましたが、改装中のようでド派手な膜で覆われていました。営業はしているようです。
はっきりとは写っていませんが、山門の前の参道の先に總門があります。
この山門から駐車場まで100m、駐車場から本堂まで300mとの案内です。ゆるい登りで舗装道ですから金剛杖は使わず登ります。
看板は出ていませんが家のつくりや立地から見て宿坊として始まり今は営業はしていない、といった感じです。場合によっては泊めることもあるのかもしれません。
石段を登り切った先にも
本堂は国宝とのことです。
納経を済ませ、本日最後の札所圓明寺に向かいます。距離は3kmほどです。
山門前に駐車場があり便利です。
53番圓明寺
圓明寺はそれほど広い境内ではないのですが鐘楼門がありました。
納経を済ませ、本日の札所巡りは終了です。振り返ってみると今日の遍路ではひたすら本堂、大師堂をお参りし、納経してもらう、の繰り返しです。どこの納経所で何があったか思い出すのも大変で、一応メモを取ってきたのですが、各寺の印象が薄くなるのは否めません。車での遍路は楽ですがどうしてもあわただしさが付きまといます。明日は回る札所が9か所、90km弱の移動距離の予定です。少し余裕をもって札所巡りをしたいと思いました。
番外の番外 松山城の観光
あわただしい遍路となった理由の一つが早めに札所を巡りきって、松山城を観光したい、ということがあります。松山には現役の頃1度訪れたことがあり、道後温泉本館などはその時楽しませていただきました。でも松山城には行ったことがありません。歴史好きのうっしーとしては何とか時間を作っていきたいと思っていました。53番圓明寺の参拝が終わった時点で午後1時半。十分観光の時間がとれそうで、早速松山城に向かいました。松山城にはロープーウェイもあるようですが、歴史好きなウォーカーとしては断然自分の足で登ります。城の西側に駐車場があり、そこに車を停めて登ります。
ここまで高い石垣はあまりお目にかかれません。さらに先に行くと
松山城は平山城の範疇に入りますが、本丸の比高差は100m以上あり、ほとんど山城です。
あまり予備知識を持たず来てしまい恥ずかしいのですが、現存天守12城の一つということは承知していたので、天守がぽつんとあるだけだと思っていたらかなりの櫓が残っているようです。
愛媛でもコロナ感染者が急増していますので検温、アルコール消毒を行い、入場します。
現存天守ですが松本城などと違い国宝ではなく重要文化財です。今の松山城は幕末と言ってよい時代に再建された城で新しいので重文となり、また建物も多く残っているのでしょう。
松本城などと比べ、天井が高くあまり圧迫感がありません。これも比較的新しい城だからでしょうか。
100m以上の山頂に立つ天守ですから眺望は抜群です。
城から下りたらもう2時半です。本丸にある店で遅い昼食にしました。
味は期待していなかったのですが、うどんもしっかりコシがありじゃこ天もおいしかったです。また小鉢の佃煮もおいしく、店の人に聞くときくらげの佃煮とのことでお土産に買ってしまいました。
3時を過ぎ今日の宿にまだ早い時間だが入れますか、と聞くと大丈夫ですよ、との返事。早速向かいます。
宿で風呂と洗濯を済ませ、ブログを書いていると食事を持ってきてくれました。この宿は部屋食のようです。
夕食は5時半で私の家の休日の時間と一緒です。焼酎2杯ですっかり気持ち良くなり7時前には就寝です。
四国遍路 番外編 1日目 歩きだと6日かかるところを1日で回ってしまった
三原村の朝
お遍路も車となるとやはり運動不足になります。一応この番外編の間は普段と同じように早朝ウォーキングを行おうと、1日目から歩いてみました。
コースは39番までの遍路道となっている県道21号線。三原から39番までは基本下りですから、往復するとなると帰りは登りとなります。昨日三原村に登ってくる時、それ程の坂ではなかったので登りでも問題ないだろうと、一応、片道4kmの降りと登りをやって、三原村中心部を歩けば10~12kmのコースになるだろうと、4時半過ぎに歩き始めました。この時間は私の地元の長野では薄明るくなる時刻ですが、四国はまだ真っ暗で5時過ぎにようやく明るくなってきました。
一応ヘッドライトを装着していますので歩くのに問題はありません。3.5kmほど降ったところで道路下の川のそばに公園がありました。
6時前ですから当たり前ですがだれもいません。この頃から雨が降り始めました。歩く前の天気チェックでは曇りで、雨は降ったとしても霧雨程度と思っていたのですが、結構降ってきています。雨に濡れながら歩き続けるほど物好きではありませんから宿に帰ろうと来た道を帰ります。結局8km弱しか歩けませんでした。
今日の朝食は7時にお願いしてあります。
朝食も野菜中心ですが、卵は三原村産だったり、土鍋ごはんなどこだわった朝食です。お米は自家製のコシヒカリ、とのことですが大変おいしく、2杯いただきました。
朝食を食べながらこの間疑問に思っていた、宿名の「森本〇」の「〇」の意味を奥さんに聞きました。この近所は森本姓ばかりで「森本〇」は近所で自分の家を区別するために昔から使われていた屋号をそのまま宿名にしたのよ、とのお話でした。
39番延光寺
宿を7時半過ぎにでて高知県最後の札所延光寺に向かいます。カーナビの電話番号によるピンポイント設定ですから迷う心配はありません。
8時少し前に着きました。駐車場には県外ナンバー(どこの県か忘れました)が1台停まっていたので境内で少し話せるか期待したのですが、だれもいません。ひとりでお参りをしました。お参りの途中から小雨が降ってきました。昨日のような降り方ではありませんから傘も必要ありません。今日はこの車遍路で最長の170㎞以上の移動で、合計7つの札所を回る計画です。先を急ぎ車を走らせます。
40番観自在寺
この寺から愛媛の札所になります。9時前に到着しました。ここも遍路装束は私だけで他は2,3人の観光客らしい参拝者がいるだけです。納経をすませ国道56号を進みます。次の41番まではガイドブックによれば約50kmの距離があります。距離はありますが渋滞もなく順調に進みました。
途中56号線は海沿いを通ります。小雨ですからあまりきれいには写っていませんが、なかなか良い感じの道です。
海から離れ山道を行く道は遍路道にも重なっています。遍路なのか判りませんがリュックを背負って歩く人を2人見かけました。そのうちの一人はゴム草履のようなものを履いています。雨の中ですから靴で足がふやけることはないでしょうが、長い距離は大丈夫だろうか他人事ながら心配になりました。
ナビの案内に従っていると途中から自動車専用道(松山自動車道)に入りました。
41番龍光寺
自動車道の三間ICを降りて間もなく龍光寺に到着です。
龍光寺は小さなお寺で、重厚な山門もなく、奥の神社の石段下が境内になっています。境内も広いものではなく駐車場には観光客らしき車が2台。境内でお会いしましたが挨拶だけしました。納経の時、途中の海で見た養殖風景を話し、何を養殖しているのかお寺の人に聞いたところ「真珠か何かじゃないですか」とそっけない返事。自分で調べるより他なさそうです。
次の仏木寺までは2.6km。ナビでは3km強の案内です。
42番仏木寺
この寺にも観光客らしき人はいましたが、しっかりお参りするなど遍路のような人はいませんでした。43番には仏木寺前の道をそのまま行くと思いきや、ナビは一旦42番そばの三間IC経由のコースを示します。指示通り自動車専用道を1区間だけ走り、西予宇和ICで降ります。ガイドブックの地図を見ると仏木寺前の道は山越えとなるため歩きだとそうでもないのですが車だとかなりの遠まわりとなる道でした。
43番明石寺
この寺にもお遍路さんらしき人はおらず、本堂前のろうそく台は清掃中のようで使えず、大師堂前のろうそく台で本堂の線香も火を点しました。
ろうそくと言えば今回の車遍路から新たなグッズを持参しています。
歩き遍路の時はろうそくの紙箱をそのまま使っていたのですが、雨でよれよれになりもっとしっかりしたろうそく入れを探していました。使ってみるとなかなか便利。時々ろうそくが穴の前で横になり出ずらい時がありますが、振っているとろうそくの芯が顔を覗かせるので摘まみ上げます。
44番までは本日最長距離となります。ガイドブックの歩き遍路で70.5㎞、ナビでは90kmほどの表示です。車だと自動車道が使えますから昼時も近いため西予宇和ICそばの道の駅「どんぶり館」でお昼にします。
結構大きな道の駅で、農産物直売やレストランがあります。レストランは「どんぶり館」の名の通り普通のメニューもありますが押しは丼ものです。
入店したのは12時前でまだ空いていたのですが、12時になると次々来店しほぼ満席になりました。海老かつあんかけ丼は薄味で美味しく頂けました。
西予宇和ICから自動車道に乗り松山市方面に向かいます。歩き遍路の道はほぼほぼ一直線に44番、45番のある久万高原を目指しますが、自動車道は松山市経由の迂回したルートです。午後になり雨も上がり晴れ間もでてきて気持ちのよいドライブとなります。
歩き遍路と車遍路の違いについて考えた
自動車道は歩き遍路にとってまったく縁のない場所です。一般の国道などでは遍路や歩きのウォーカーを見かけることもありますが自動車道では当たり前ですがまったく見かけません。少し歩き遍路と車遍路の違いについて考えてしまいました。以前から歩き遍路は線で接点を持ち、車遍路は点で接点を持つと漠然と考えていましたが、それだけではなく、歩きはプレーヤーとして競技場に立ち、車遍路は観客としてそれを見る、といった違いもあるのではないか、ということです。足摺岬までは歩きでしたからまさに「遍路をしている」実感がありましたが、車で回ってみるとその疑似体験をしているような感覚です。自身はプレーヤーとして汗をかいているわけではないが観客のようにそのプレーに一喜一憂する、そんな感じです。車遍路もまだ一日目ですからまた違った感想も生まれてくるかもしれません。
松山市近くのサービスエリアで休憩です。
このサービスエリアにはこんな場所もあります。
ハートと鍵のモニュメントですからまあそうなんだろうなという感想ですが、室戸岬の灯台も「恋人の聖地」の看板があり、四国全体や日本全体ではいったい何か所「恋人の聖地」があるんだろうと思わず考えてしまいました。
松山で自動車道を降り、久万高原に向かいます。国道33号で、高知県に抜ける幹線道路です。一部バイパスとして自動車専用道となっていますから順調に進めます。
44番大寶寺
久万高原中心部の国道から少し入ったところに大寶寺があります。駐車場からは約10分の登りとの案内で、金剛杖も車から降ろし向かいます。途中上から降りてくる高齢のお遍路装束の人に会い声を掛けました。奈良から来た逆打ちのお遍路さんでした。
山門を過ぎ、まだ登りが続きます。
歩き遍路だとこの石段をみるとガックリくるのでしょうが車遍路だと体力が余っていますから特に問題なく登れます。
この寺にも大きな宿坊があり、納経してもらった女性に「宿坊はやっていないのですか」と聞くと「団体さんがあればやることもあるけど」との返事。やはり四国88か所の札所では団体、特に先達さんや全国のお寺さんが連れてくる団体さんで成り立っているんだなと思いました。これでちょうど88か所の札所の半分を回ったことになります。
今日最後の45番に向かいます。
45番岩屋寺
ガイドブックの地図で見た時には久万高原の中心部から登っていく道を想像していましたが、一山超える道でした。
この駐車場は有料で300円です。係りはおらず、郵便受けのような箱にお金を入れるシステムでした。境内まで20分の看板です。また金剛杖に活躍してもらいます。
参道途中の小屋掛けの店は他の札所ではあまり見かけませんでした。何店舗もありますがまるでお祭り屋台のような店構えです。
登りの参道ですが特に歩き辛さはありません。
この寺は参道でも観光客とすれ違うなど、今日一番人の多い寺でした。
お寺にしては何か作りが違うな、と思いながら近づくと社務所でした。
岩屋寺の建物はすべて崖下にあります。
納経の時に係りの人に聞くと岩屋寺は大寶寺の奥の院として創建されたため、大寶寺から山を越えてくる道が本来の参道だった、とのことでこちらが本来の山門とのことです。
納経所で私と一緒にお参りしていた若い男性に声を掛けました。神奈川から順打ちで回っているそうで、それならまたどこかでお会いすることもあるかもしれませんね、と言って別れました。
これで今日予定していた札所は全て回りました。今日のコースは歩き遍路のガイドブックでは約170km。カーナビ案内の車での移動距離は220kmを越えています。歩きなら最低6日必要なコースです。車遍路は早い。時刻は3時半過ぎ。久万高原中心部の宿に向かいます。今日の宿は「やすらぎの宿でんこ」。民宿と旅館の間のような施設で、レストランも併設されています。家庭用ではなく4,5人は湯船に入れる大きなお風呂で汗を流し、洗濯をして夕食です。
ご飯も食べ、7時には眠くなって就寝です。
一応今日の歩行距離 7.71㎞ (ガーミン稼働時 三原村ウォーキング時)
今日の歩数 24,127歩 (歩数計アプリによる)