四国遍路 番外編 2日目 車遍路はあわただしい

久万高原の朝

 今日も朝からウォーキングのつもりでしたが、1日目のブログづくりに時間がかかり5時過ぎから歩き始めました。久万高原は四国とはいえさすが高原。朝のアメダスデーターは18度と長野より涼しいくらいです。

 でも明るくなるのはやはり5時半頃です。

朝5時20分頃の久万高原。もやがかかっています

 宿の前の国道33号はかつての土佐街道で松山から高知に抜ける幹線でした。そのため33号に隣接して旧道があり、風情のある街並みが2km以上にわたって続きます。

土佐街道沿いの家

 小学校も変わっています。

久万小学校とのこと

 由緒ある学校で、かつての校舎を生かした新しい建物なのかな、と思っていました。ウォークの帰り道にこの小学校の前に散歩中のご夫婦がいて話を聞くと、この辺りは木材の大産地で、町の建物は皆木造で作っている、とのことで前の学校は普通の建物だったようです。他にも可愛らしい建物がいっぱいあるよ、と奥さんが誇らしげに教えてくれました。

 またこの道は遍路道にもなっています。

久しぶりの遍路案内

 この案内の先には門がありました。行ってみると

昨日お参りした44番大寶寺の「總門」でした。

 この總門から先は門前町になる訳ですから大きなお寺であったことが判ります。

宿に帰り朝食です。

ご飯は久万高原産とのことです。おいしくすべて頂きました

朝食後、8時前に宿を出発します。今日は松山市内の46番から53番を回る計画です。前日の日程が厳しく、ひょっとしたら44番、45番は回れないかもしれない、その保険としてこの日の日程はゆるめに組んでいます。今日は順調にいくと時間がとれるので、以前松山に来た時、行こうと思って行けなかった松山城の見学ができればいいな、と車を走らせます。

 

46番浄瑠璃寺

 46番浄瑠璃寺には9時前に着きました。

 浄瑠璃寺には山門はありません。市内に近いお寺ですからこじんまりとした境内です。

 境内には猫が二匹と高齢ご夫婦のお遍路が居ました。ご夫婦は私がお参りしている間に納経を済ませ境内からいなくなりました。私が納経所に行くと話好きのお寺の奥さんで、私が長野から来たと言うと、今年善光寺の御開帳と松本城に行った話をしてくれました。こちらもそばの話などで盛り上がりました。

 

47番八坂寺

 46番から47番は約1km。すぐです。

可愛らしい門が迎えてくれます

 境内には46番にいた高齢者夫婦の遍路もいましたが、話をする機会はありませんでした。他にも観光客らしい参拝者がちらほら居ます。

 

48番西林寺

交通量の多い道沿いで街中にあるお寺です。

駐車場が山門のすぐ横にあります。車遍路にはありがたいお寺です

 このお寺で先のご夫婦のお参りの様子を見ることができました、私のようなろうそく、線香、納札、お賽銭、般若心経、本尊真言または高祖寶号、といった簡略なものでなく、光明真言や回向文など、先達のようなお参りです。納経の時少しお話しすることができました。京都から来られた方で、今回で7回目とのことです。「どうりで駆け出し遍路の私とは参拝の仕方や般若心経の年季が違う」というと照れていました。

 

49番浄土寺

 浄土寺までは約3kmです。街中のお寺のため参拝客が多くいました。

浄土寺山門。山号が「西林山」ですから先の西林寺と紛らわしい

 

50番 繁多寺

繁多寺山門。シンプルです

 繁多寺は境内が静かでよい環境でした。帰りに駐車場で到着したばかりの京都のご夫婦と一緒になり、「今日はどこまで回られますか?」と聞くと、「行けるとことまで行くつもりです。今治に宿はとっています」との返事でした。だとするともうお会いすることもないと思うのでご挨拶をして別れました。

51番石手寺

 石手寺までも3kmほどです。

仰々しい山門ではなく変わった入り口です

 その奥は

屋根付きでまるでアーケードのよう

 この手前には茶店もありました。通りの店はおみやげ、扇子、仏壇掃除用の箒、などいろいろな店がありました。その先に

石手寺の山門

 山門がありました。前のアーケードは仲見世のようです。この寺には

三重塔がそびえています

 また多くの地元の方が何か準備をしています。

テントを張ったり、何か祭壇のようなものを作ったりしています

 本堂の脇でお茶を飲んでしゃべっていたおばさんたちに「何があるんですか?」と聞くと「明日、お寺で施餓鬼があるんですよ」との返事。納経所にいた地元のおばさまお遍路さん(この方は前の寺でもお見掛けしました)は「この時期どこのお寺でもやっていますよ。浄瑠璃寺では昨日でした」とのお話です。この地元のお遍路さんはすでに70回以上廻っているとかで納経帳は真っ赤です。私が足摺までは歩きでやったが足を痛めて車に変えたことを話すと「お遍路は楽しまなければだめ」と諭されました。

 石手寺までは松山市の東の山沿いに点在しています。この後52番の太山寺までは松山市内の道後など繁華街を突っ切って行く10kmです。道後温泉本館前も通過しましたが、改装中のようでド派手な膜で覆われていました。営業はしているようです。

太山寺山門 後ろ姿。駐車場が山門の先にあるのでこうなりました

 はっきりとは写っていませんが、山門の前の参道の先に總門があります。

この山門から駐車場まで100m、駐車場から本堂まで300mとの案内です。ゆるい登りで舗装道ですから金剛杖は使わず登ります。

参道途中の民家。宿坊のような構えです

 看板は出ていませんが家のつくりや立地から見て宿坊として始まり今は営業はしていない、といった感じです。場合によっては泊めることもあるのかもしれません。

本堂前はお決まりの石段です

 石段を登り切った先にも

本堂境内前の門。都合三つの門があったことになります

 本堂は国宝とのことです。

国宝の本堂。1305年再建された、とのことです

 納経を済ませ、本日最後の札所圓明寺に向かいます。距離は3kmほどです。

 山門前に駐車場があり便利です。

53番圓明寺

圓明寺山門

 圓明寺はそれほど広い境内ではないのですが鐘楼門がありました。

境内のど真ん中にあり存在感のある鐘楼門です

 納経を済ませ、本日の札所巡りは終了です。振り返ってみると今日の遍路ではひたすら本堂、大師堂をお参りし、納経してもらう、の繰り返しです。どこの納経所で何があったか思い出すのも大変で、一応メモを取ってきたのですが、各寺の印象が薄くなるのは否めません。車での遍路は楽ですがどうしてもあわただしさが付きまといます。明日は回る札所が9か所、90km弱の移動距離の予定です。少し余裕をもって札所巡りをしたいと思いました。

 

番外の番外 松山城の観光

 あわただしい遍路となった理由の一つが早めに札所を巡りきって、松山城を観光したい、ということがあります。松山には現役の頃1度訪れたことがあり、道後温泉本館などはその時楽しませていただきました。でも松山城には行ったことがありません。歴史好きのうっしーとしては何とか時間を作っていきたいと思っていました。53番圓明寺の参拝が終わった時点で午後1時半。十分観光の時間がとれそうで、早速松山城に向かいました。松山城にはロープーウェイもあるようですが、歴史好きなウォーカーとしては断然自分の足で登ります。城の西側に駐車場があり、そこに車を停めて登ります。

 

早速、とんでもなく高い高石垣がお出迎え

 ここまで高い石垣はあまりお目にかかれません。さらに先に行くと

札所巡りでさんざん見た石段です

  松山城平山城の範疇に入りますが、本丸の比高差は100m以上あり、ほとんど山城です。

本丸の櫓群が見えてきました

 あまり予備知識を持たず来てしまい恥ずかしいのですが、現存天守12城の一つということは承知していたので、天守がぽつんとあるだけだと思っていたらかなりの櫓が残っているようです。

本丸に到着しました

 愛媛でもコロナ感染者が急増していますので検温、アルコール消毒を行い、入場します。

櫓群に囲まれた天守。重厚です

 現存天守ですが松本城などと違い国宝ではなく重要文化財です。今の松山城は幕末と言ってよい時代に再建された城で新しいので重文となり、また建物も多く残っているのでしょう。

天守群の内部

 松本城などと比べ、天井が高くあまり圧迫感がありません。これも比較的新しい城だからでしょうか。

天守最上階からの眺望

 100m以上の山頂に立つ天守ですから眺望は抜群です。

城から下りたらもう2時半です。本丸にある店で遅い昼食にしました。

名物のじゃこ天入りぶっかけ冷やしうどんです

 味は期待していなかったのですが、うどんもしっかりコシがありじゃこ天もおいしかったです。また小鉢の佃煮もおいしく、店の人に聞くときくらげの佃煮とのことでお土産に買ってしまいました。

 3時を過ぎ今日の宿にまだ早い時間だが入れますか、と聞くと大丈夫ですよ、との返事。早速向かいます。

 宿で風呂と洗濯を済ませ、ブログを書いていると食事を持ってきてくれました。この宿は部屋食のようです。

民宿上松の夕食。アジの塩焼きがうまかった

 夕食は5時半で私の家の休日の時間と一緒です。焼酎2杯ですっかり気持ち良くなり7時前には就寝です。