四国遍路再開15日目 ザックを背負わない遍路は楽。でも・・・

 33番 雪蹊寺

 昨日、目の前まで来ていた雪蹊寺を朝食前にお参りします。

6時半前の境内に人が居ます

 境内には3~4人が歓談していました。私も皆さんに挨拶をしてお参りしようとすると聞こえてきたのはラジオ体操のメロディー。ご近所の皆さんがラジオ体操をするために集まってきているのです。

 まだ拙い私の般若心経はラジオ体操の音楽と混ざってとても奇妙なものになりました。納経の時刻まで少し時間があるな、と思っていたらラジオ体操参加者のおひとり(おじさんです)が話しかけてきました。寺や裏の神社の話、行き倒れ寸前から雪蹊寺の和尚に救われ、高僧となった山本何某の話など。また時間のある時にじっくり聞きたいお話ばかりでしたが納経時刻が迫っていましたのでそれを理由に別れました。このおじさんがお寺の通夜堂を見せてくれました。

通夜堂は寺が用意する無料のお遍路宿泊施設です

  通夜堂の存在は承知していましたが実物を見るのは初めてです。布団もないので基本はシュラフ持参の野宿遍路が使います。野宿よりよっぽど快適です。

高知屋さんの朝食 すべて食べきりました

 漬物の後ろの鉢はヤマトイモのとろろです。シラスもおいしいものでした。夕食の時は気づきませんでしたが、食堂の壁に錦の納札が沢山飾られていました。

錦札といっても同じものではありません。また紙ではなく布製もあります

 錦の納札は100回以上お遍路をした、いわば勲章ですからそれぞれこだわって作っているようです。

今日は遍路を始めてはじめてザックを背負わなくて良いお遍路です。

 歩く速度が速くなるかと思いきやあまり今までと変わりません。

足のご機嫌は右の小指がべそをかいていますが他は元気のようです。小指にはしばらく我慢してもらうことにします。2~3kmほど歩くと調子が出てきました。

 はじめは河口近くのためか流れの無い川でしたが進むにつれ登ってきたのでしょうか

沢に沿って進みます

 沢の流れも比較的早くなってきています。

34番 種間寺

 種間寺に到着です。距離は自動車道を進んできたため、本来の遍路道より長く、約7kmでした。

山門はありません。整備された境内でした

 お参りと納経を済ませ、門のそば、自販機の隣のベンチで休んでいると、車が停まり、中から男性が出てきて私の方に名刺を取り出しながら近づいてきます。何かの勧誘か?と身構えましたが、本日の宿民宿汐風のご主人でした。私のザックを高知屋さんに引き取りに行っての帰りだそうで、私を見かけたのでもしかしたら、と声をかけたとのことです。

 ザックのお礼をして今後の遍路について少し話しました。今日のコースはやはり次の清龍寺が一番の難所だそうで、神峯寺のように参道が長くはないが登りがきつい、とのこと。「あの重さのザックを背負ってだと厳しいと思うよ」との事でした。また清龍寺を降りて土佐市内で迷う遍路が多い。この辺はお遍路の案内板も少なく、できるだけお遍路道にこだわらず幹線を行った方が良い、とのアドバイスでした。また宇佐市へ向かう道では塚地坂トンネルを素直に言った方が良い、塚地峠を通る遍路道にはマムシがでるとの事。塚地峠マムシについては高知屋のご主人も、「マムシは空を飛んで襲ってくるから絶対に近づかないよう」とのご忠告も受けていました。マムシは人を襲うとき飛び上がってくるそうで、そんな剣呑な生き物にお近づきにはなりたくないのでトンネルを進むことにします。改めて民宿汐風のご主人にお礼を言って別れ、清龍寺に向かいます。道はほぼ平坦で、仁淀川を渡り、土佐市内に入ります。見えてきました

清龍寺のある山。中腹の建物が清龍寺だと思ったら違いました

 清龍寺の登り口前にあるタクシーの営業所にも「荷物預かります」との案内が。やはり相当厳しそうです。

 

35番 清龍寺

 

清龍寺 参道入り口

 この時点では先ほどの写真にある中腹の建物が清龍寺だと思っていたのでザックもないことだし、言われるほど厳しくないのではないか、と楽観していました。しかし、

清龍寺ではなく民家でした

 かなりの急坂を喘ぎ喘ぎ登ってきて、民家とわかった時には心が折れそうになりました。それでもザックを背負っていないので遍路ころがしや鶴龍に比べると足が進みます。

 自動車道に逸れて山門を発見

清龍寺山門 この山門を越えてさらに長い石段を上がると境内です

 清龍寺には何組か車でのお遍路さんのグループが参拝していました。一組に声を掛けると愛媛からのお遍路さんでした。

 お参りと納経を済ませ山を下ります。麓の民家に

遍路前なら何の思いもなかったことでしょうが

 2週間以上遍路を続けている身としてはウルウルするところがあります。本当に出会えたすべての人に感謝です。

 

今日の宿へ

 今日の宿民宿汐風さんに向かいます。時間があれば36番青龍寺を打ちたいところですが微妙です。午後1時半を過ぎていましたから目についたラーメン屋さんに入り、ラーメンはさすがに厳しい暑い陽気でしたから親子丼を注文しました。

また先に食べてしまった・・ ルックスより味は良かった

 店には何組かのお客さんがいましたが男性7人グループ、家族連れ、いずれも男性がビールを飲んでいます。平日の昼間ですが・・この辺が土佐の男の気風なのかもしれません。 

 この間話題になっていた塚地坂トンネルに向かいます。トンネルの少し手前に休憩所がありそこで一休みしました。この休憩所を右に行くと塚地峠への入り口になるようです。休憩所には私と同年配のお遍路さんが休んでいました。声を掛けましたが反応がありません。支度を見ると野宿をメインに回っているようで、反応がないので諦めて先を急ぎます。このころから右の小指以外に両足の親指付け根あたりも泣き出してきました。少し歩みを遅くして歩きます。

地塚坂トンネル もっと長いトンネル化と思いましたが800m程です

トンネルから少し下ると宇佐町です。漁とマリンスポーツが盛んなようで、行きかう男性は皆黒く焼けています。

 足がべそをかいたり泣いたりしていますから明日のコースは少し足を休ませたいとの思いもあって、宿近くから出ている運行船を利用しようと考えています。あらかじめ場所を確認しようと宿を通り過ぎ出発地点に向かいます。宿から2kmほど離れています。何かの水産会社の裏手に乗り場と待合所があり、本当にここでよいのか心配になりました。

 運行船の利用は高知屋さんでも汐風さんでも勧められました。弘法大師もこの地は船で渡ったとのことで、本来の遍路道として歩き遍路さんでも利用する人が多い、との事です。

 宿に向かっていく途中近くに来たら電話して、と汐風のご主人に言われたことを思い出し、電話しました。奥さんが出て、私も宿に行く途中だから乗せてってあげる、とのご提案。遍路道中での車の利用は躊躇しますがそうではないのでお言葉に甘えました。

 宿は内海に面した古民家を改装した民宿です。今日も宿泊は私一人とのこと。

風呂と洗濯をしながら足の様子を見てみました。両足の親指付け根に、まだ小さいですが水泡ができていました。処置をしてブログを書いていると食事の案内がありました。

豚の冷しゃぶがおいしかった

 ビールと焼酎もリクエストしていただきました。話し相手には奥さんがなってくれました。この家はご主人の両親が住んでいて、ご両親が介護施設入所などで空き家になり、ご主人が一人で遍路向けに始めた宿、だそうです。その頃は奥さんも仕事があり手伝えなかったので料理の提供はせず、コンビニ送迎をご主人がしていたのですが奥さんも退職し、歩き遍路さんは食事が大変だから、と食事の提供を始めたそうです。

 明日は青龍寺を7時前にお参りする予定だ、と話すと、今青龍寺の納経所は8時からしか開かない、とのこと。納経所を守っていた高齢の女性が辞められそうなったようです。遍路を回ってみてこの世界も高齢化とコロナでだいぶ変わっていっていることを改めて実感しています。

 

 本日の歩行距離   31.2km (ガーミン駆動時)

 本日の歩数    57,879歩 (歩数アプリによる)