四国遍路再開16日目 「海の遍路道」をいく。それも一人で
浦ノ内湾の朝
今日は8時に青龍寺をお参りし、10時5分の巡航船(昨日は運行船と書きましたが巡航船が正しいようです)で浦ノ内湾の奥まで行き、須崎の柳屋旅館に宿泊する予定です。
朝6時から宿の周辺を一回りして足のご機嫌伺をしました。昨日はべそをかいていた右小指もそれ程悪化していないようですし、その他の皆さんも痛くないと言えばウソになる、といった程度で今日の行程には問題がなさそうです。
漁港がありました。
海風が心地よく夏の暑さを忘れさせてくれます。宿に帰って朝食です。
昨日、一人だけの宿泊者だから、とリクエストを聞かれ、即座に納豆をお願い、と言いました。高知の朝ごはんでは納豆が出てこないので、そろそろ禁断症状が現れてきた頃でした。感謝しおいしく、そしてきれいに平らげました。
8時前に宿にザックを置いて青龍寺に向かい、帰りにピックアップする予定です。いろいろご配慮いただいた民宿汐風のご夫婦に感謝です
36番 青龍寺
青龍寺まで宿から2kmほどと見込んでいました。するとお寺はあるにはあるのですが
境内の案内図を見ると今いる所の左にあるように読み取れたので、そちらに向かいますがそれらしいものはありません。これはおかしいと戻ってみると、たまたま車を出そうとした人(頭を見るとお坊さんかも)がいて、その方に「本堂はどちらですか」と聞くとその石段の上だよ、との答え。その石段は先ほども見たのですが石碑の案内では「奥の院」となっていたので違うと判断していたのです。石碑をよくよく見ると正面は「奥の院」と書かれていますがその指さす方向は左。石碑の横に「本堂」と書かれ指さす方向は正面、でした。勝手な思い違いではありますが、30分以上時間をロスしてしまい、急いで階段を登ります。
やっとの思いで石段を登り切り、お参りを済ませました。
宿にいったん戻りザックをピックアップして巡航船の乗り場に急ぎます。この乗り場は昨日偵察済みですから迷うことなく到着しました。
「海の遍路道」
この航路は陸でいえば10km以上の距離、浦ノ内湾奥深くに繋がっています。弘法大師もこの地の移動は船で行ったと伝えられており、この航路こそ本来の遍路道という人もいます。
足のご機嫌があまりよろしくない私にとっては、その距離足を休めることができる、というのが理由の一つ。もう一つがお遍路のアクセントとして海の遍路道を体験してみたい、ということも理由となっています。
この航路は日に3往復、須崎市の運営との事です。乗船時刻の10分前になってもだれも待合室に来ません。5分前に待ちきれず堤防から身を乗り出していると、乗員とみられる方が来て、「乗っていただいていいですよ」とのお言葉。早速乗り込んだのですが、その後だ~れも乗ってきません。結局私一人を乗客として出発しました。
定員は36名とのことです。途中6か所の乗り場に寄って乗客を乗せていくようですから、他の乗り場でだれか乗ってくるだろうと思っていました。
結局すべての乗り場で私以外の乗降者0。そもそも今の時代1日3往復の船便なぞ需要があるのか考えてしまいました。ただ遍路には人気のようでシーズン中は乗客も多いようです。だったら遍路に特化した観光船の方が良いのに、などと現代の頭で海の遍路道について考えてしましました。
下船後、今度は陸路で今日の宿柳屋旅館に向かいます。
宿のある須崎市内には標高差はあまりないですが一山超えていきます。トンネルもあるのでそれ程きついことはないのですが、昨日ザックを背負わないで遍路したためかなまけ心が芽生えた体が嫌がり、上り坂で何度も足を止めて息を整えます。
やっと山を越えて、食事する場所を探しますがありません。やっと見つけたコンビニデイリーヤマザキ(のようですが)の看板に「お遍路さん休憩してください」とあり、店の横にベンチとテーブルもあるのでここでお昼としました。
須崎市には市街地と須崎湾をはさんで大きなセメント工場があります。何気なく道を曲がったら市街地へ行く道ではなくセメント工場を迂回する道で、ガックリしながら戻りました。今度はガイドブックの地図を手に持ち、間違えないように見比べながら歩きます。
須崎の町並みは瓦屋根がきれいで落ち着いた街並みです。遍路とは関係なしに訪れてみたいと思う町でした。
柳屋旅館
柳屋旅館は先輩の遍路ブログによく登場する宿です。今は母屋は民芸品の店、裏の2棟が一棟貸しの宿となっています。私が案内されたのは二棟の大きい方の建物で、1階にリビングダイニングキッチンとお風呂そして和室2部屋、2階が和室4部屋と、6~8人でも十分収容できる大きさです。そこに今日は一人。
柳屋の母屋は民芸品店となっています。
夕食は私が泊まっている別棟のリビングダイニングキッチンでいただきます。
ビールとお酒を追加し食べ始めました。宿の奥さんに須崎の市内を見ると立派な家が多い印象だが、この辺りは何の産業が盛んだったのだろう、と問いかけると、宿場でもあり、商店も多く、自分が子どもの頃は北の方(愛媛との境方面)からバスで須崎に買い物に来て、うちに泊まり、翌日の朝一番のバスで帰るお客さんが結構いたとの事。交通の便が良く主に商業で栄えた町のようです。
明日は岩本寺を目指す約30kmです。足の状態が万全ではありませんので、できるだけ早く出発したいと朝ごはんは6時にお願いしました。明日の宿はこの遍路で初めて宿坊が予約できました。ただ2食付きでお願いしたところ、食事の用意はできるかどうかわからない、と電話に出たおばあさん。だめなら諦めますが一応2食付きでお願いしますと念を押しました。
追伸
このブログの日記タイトルに「再開」の言葉を入れていましたが、やや煩雑になるので明日から「再開」の文字を取り、遍路実施の通算日数としていきます。
本日の歩行距離 22.08km ガーミン駆動中 巡航船移動は含まない
本日の歩数 44,525歩 歩数計アプリによる