四国遍路 19日目 いよいよ金剛福寺 でもその前に遍路小屋について考えてしまった
民宿くももの朝
いつもの通り、早く寝た事(午後7時半頃)、いつもの習慣で朝(というより夜中)の1時過ぎに目が覚めてしましました。昨夜ほとんど書くことができなかったブログを仕上げ、時計を見るとまだ3時半。もう少し寝ようと布団に横になりました。
次に目覚めたのが4時半。そろそろ太陽が昇る時刻です。この間高知で海岸沿いの宿を取った時に水平線から登る朝日を拝みたいと思っていました。
少しの時間PC操作をしていると窓に光を感じました。
実は明日も38番から39番に行く途中この宿でもう一泊することにしています。その時拝めれば、と切に願います。この時を逃すと水平線からの朝日は絶望です。朝食時、Oさんと今日のコース、明日以降のコースと宿泊場所の検討を行いました。その事と、朝食に納豆が出て、狂喜乱舞の挙句すぐ箸をつけたため、四回連続で朝食写真がありません。
Oさんによれば今日のコースの注意点は半島の真ん中を通る国道に出ない事。そのためには海側、海側とコースを取ること。明日以降はくももをでたら昨日下見した三原村への道を間違えない事。新しい道を行っても時間ばかりがかかるはず。
三原村の宿から39番延光寺までは10km前後。25km歩くつもりならさらに愛媛の愛南町まで行けるのではないか。そうすれば40番観自在寺も翌日参拝できる、といった計画でした。参考にさせてもらうとしてルートの検討(どの道を行くのか)も行いました。
いよいよ、この3日間の最終目的地、金剛福寺へ
Oさんは今日の午後2時台のバスに乗り、今日中には栃木に戻っていなければならない、として7時にでかけました。私も足のご機嫌を伺いながら、ですから7時半には出発しました。今日のコースは22km。この間、連日30km以上歩いていますから、足を休めるために短めとしました。それでも特に右足のご機嫌は斜めで、今まで痛くなかったかかとの接地面、足首なども痛みます。だましだまし歩いているとそのうちにテンポも上がってきました。
はじめは時速4kmほど、そのうちに4.5kmほどとなってきました。
大岐の浜を歩く
「大岐の浜」は遊歩道を歩きます。
皆さん水着や短パンの避暑地ルックの中に暑苦しい格好のお遍路が闖入します。怪しまれてはいけない、といつも以上に大きな声で挨拶しました。海岸には遊歩道が見当たりません。海水浴の家族連れに「ここに遊歩道があると聞いたのですが」と聞くと「その階段を登って裏手に行けばありますよ」とのご返事。お礼を言って階段に向かいます。確かにありました。
砂利ですが、歩きやすく、何より直射日光に当たらないので快調に進んでいきます。ただ執拗に私の周りを飛び回る虫がいて、一度肩を刺されました。私はぶよやアブに刺されると自分でもあきれるほど腫れ上がるのですが刺し痕は蚊のような感じで大事には至りませんでした。それでも薬を塗り、様子を見ました。
この遊歩道は砂利から落ち葉が積もる山道のような道になりました。
とても海岸沿いの遊歩道とは思えません。山の中を歩いている気分です。先ほどの虫も私の何が気に入ったのか引き続きまとわりついてきます。
遊歩道が終わり、また舗装道路を進みます。
概ね8kmの地点に休憩所がありました。Oさんがその休憩所から出ていくのが遠目に見えます。Oさんもここで休んだようです。私も靴を脱ぎ一休み。
再び歩き出すと、お遍路の案内板が海岸方向を指します。その案内に従っていくと
さらにこの道は
なにせ足場が悪いですから、ご機嫌のよくない右足が悲鳴をあげます。この山道の途中には1m近くはあろうかと見える黒い蛇が。近づいても動きません。しかたなく金剛杖で地面をトントンするとやっと藪の中に姿を消しました。
ようやく舗装道路に出ることができました。
舗装道路を歩いていくと、また下に降りる遍路道の案内が。先ほどで懲りていますから、無視し、断然舗装路を行きます。この間海岸を歩かされて以降、人家が見えません。行きかう車も1,2台。少し心配になりながらさらに進むと、ようやく人家が見えはじめ漁港(窪津漁港)に着きました。自動販売機があり、休憩所もあります。予定ではさらに先のへんろ小屋でお昼の予定でしたが11時でしたから宿のお接待でいただいたお弁当を食べることにします。
この休憩所はガイドブックには載っていません。裏は漁協ですから漁港の設置した休憩所かもしれません。
お昼を食べ、足のケアをし、歩きを再開します。
海岸沿いを歩く、といっても、谷を迂回したり、山尾根の先端(鼻)のアップダウンがあったり、と平坦な道ではありません。でも人家もあり、車も行きかいます。
遍路小屋でお遍路について考えてしまった
昼食を食べる予定であった遍路小屋が見えてきました。
地域の行政などしかるべきところが設置したのではななく、個人が設置したように見えます。建物の中には古い自転車に菅笠、茶色くなった白衣が投げ出すようにありました。人影は無く、この自転車遍路は裏の家(そこで泊まれるようになっているよう)にいるのでしょうか。
個人の運営する遍路小屋でも管理のしっかりした施設はあると聞きます。この遍路小屋はそうした管理を忘れ去った様な危険な感じがありました。小屋の前の椅子に腰かけ休んではみましたが、居心地の悪さからすぐ立ち去りました。
遍路小屋も地域の人らの善意による設置でしょうし、野宿中心に回るお遍路さんにとってはありがたい存在なんだと思います。でも設置した人が高齢等の理由で管理できない状況になるとそのへんろ小屋はどうなるのでしょうか。
遍路はだれでも行え、だれも拒否されません。遍路のサポートも多くあります。このこと自体は素晴らしいのですが、最低限の管理が行われなくなった時、地域の人にとってその施設はどう見えるのでしょうか。
また機会があったらベテランの遍路さんに聞いてみたいと思いました。
いよいよ金剛福寺
遠くにタワーと鉄塔が見えたのであそこが足摺だ、と見当をつけたのですが、近づくと山しか見えません。それでも駐車場が見え、ようやく到着です。
これまでの札所では山門を入ってから長い坂や石段を登らされた経験が多々あるため心配していましたが、比較的フラットな境内で胸を撫でおろしました。お参りと納経を済ませ、今夜の宿民宿田村に向かいます。寺からは1kmほどでショッピングセンターの裏と記憶していましたから、ショッピングセンターを探します。ショッピングセンターとは大仰な名前を付けたものだ、と思わせる少し大き目の個人商店があり、その裏手に登って行きますが看板も見当たりません。山手にどんどん登りますがありません。すると酒屋の御用聞き(のように見える)バイクの若者が「道に迷っているん」と聞いてきます。これ幸いに「民宿田村を探している」と答えると、場所を丁寧に説明してくれました。
民宿田村の夕食はおいしかった
民宿田村に到着です。
宿について早々、特に痛む右足かかとを冷やしたいからと近所に冷シップを売っている店がないか聞いたところ、無い様でシャワーの水で冷やし、氷嚢で冷やしたらとアドバイスされ、実施しました。くるぶしあたりにも新たな水泡がありこの処置も行いました。
夕食の案内がありました。
この宿は食事と宿のおばあちゃんがご接待で作っている古い着物を使った巾着袋に入ったお弁当が有名です。巾着袋についてはおもてなしに関する賞も頂いています。
食事を作っているのはご主人との事で、転勤族で各地で暮らしたのでおいしいものを知っている、との奥さんの話でした。
お味噌汁も
ビールと焼酎できれいに平らげました。
明日はくももに戻ります。絶対舗装道路以外は歩かない、と決意しています。
本日の歩行距離 23.03km(ガーミン駆動時)
本日の歩数 46,247歩(歩数計アプリによる)